お気づきのことと思いますが、この「聖書との対話」で、
わたしはいつも聖書の中の「ストーリー」の個所を取り上げています。
ストーリーではない「教え」の個所は飛ばしています。
もちろん教えの個所は大切ではないということではありません。
お話、つまりストーリーの個所は、絵に描くように分かり易いからです。
分かり易いところを先に読むと、教えのところもその関連で分かり易くなります。
例えば、前回のマリアの香油の所のお話の後、
その同じ12章の24節にはこのようなみ言葉があります。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。
しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12:24新改訳2017)
言うまでもなく、この「一粒の麦」とは主イエスのことですね。
マリアが高価な香油をイエスの足に注いだ時、
その行為をイエスだけは、
「わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです」と受け取られました。
そして、同じ章に地に落ちて死ぬ「一粒の麦」の話が出てきます。
イエスはご自分の死について、ただその出来事だけを預言的に語っておられません。
イエスのこの世での人生が終わるというその出来事は、
とても重大なことですが、イエスはただ、その出来事だけを語っておられません。
その意味、そのイエスの死がどういう意味をもっているのかを語っておられます。
先に絵に描くように分かり易いお話、ストーリーの個所を理解しておくと、
その後の教えの個所が分かり易いのです。
あなたもこのことを確認してみてください。
ヨハネ6章の5000人の給食の、
あの驚くべき奇跡の後にもイエスの教えが続いています。
そのお話、ストーリーがあって、教えの所も分かり易いのです。
そして、その教えの個所こそ、
イエスが伝えたいとても大切な霊的メッセージであると言えます。
その教えは、あの5000人の給食のストーリーがあってこそ、
もっと分かり易くなっています。
このストーリーの後のヨハネ6章35節
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(新改訳2017)
もうお気づきのことだと思いますが、
5つのパンと2匹の魚で5000人の人たちが満腹したというあの奇跡は
スゴイ、ということで終わってはいけないのです。
マリアの高価な香油がイエスの足に注がれた話から、
マリアはスゴイことをしたという、
そのことだけで終わってはいけないのです。
以上の点を確認のために付け加えておきます。
次回から、ヨハネ福音書13章に入ります。





