ヨハネ福音書9章の続きです。
9:13 人々は、もと盲人であったこの人を、
パリサイ人たちのところにつれて行った。
9:14 イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、
安息日であった。
9:15 パリサイ人たちもまた、
「どうして見えるようになったのか」、と彼に尋ねた。
彼は答えた、
「あのかたがわたしの目にどろを塗り、
わたしがそれを洗い、そして見えるようになりました」。
9:16 そこで、あるパリサイ人たちが言った、
「その人は神からきた人ではない。
安息日を守っていないのだから」。
しかし、ほかの人々は言った、
「罪のある人が、
どうしてそのようなしるしを行うことができようか」。
そして彼らの間に分争が生じた。
近所の人たちはパリサイ人、
つまり当時の宗教指導者たちのところへ、
その人を連れて行きました。
なぜ、そこへ連れて行ったのでしょうか。
生まれつき目が見えない人が
見えるようになったというのですから、
これはスゴイ神の奇跡なのか、
そうではないのかを
その宗教指導者に判定してもらうためだったと思われます。
ということは、近所の人たちで、
彼のことをよく知っている人たちは、
自分たちでそれを判断できなかったということですね。
不思議ですね。
この話を聞いたパリサイ人たちの間で紛争が起こりました。
それはどういう紛争だったのでしょうか。
本人の言っていることを、そのまま信じなかった人たちと
信じた人たちの間で論争が起こったのです。
信じなかった人たちは、
その人は安息日を守っていないから、罪びとであり、
そういう人が盲人を癒すことなど出来るはずはないと言っています。
今、目が見えている本人を前にして、
この男はうそを言っているのではないか、
もともと見えていたのではないか、と思ったようです。
不思議ですね。
生まれつき目が見えなかった人が癒されて、
見えるようになって目の前に立っているのに
それを認められない人たちがいたのです。
これはこの聖書に出てくる、このパリサイ人たちが
特別頑固で物分かりが悪い人だったとも言えますが、
一般的にも言えることではないでしょうか。
ここで、人間とはどういう者でしょうか。
自分たちの大事にしてきた信仰上の伝統や決まり事に
反することをする人たちのことを認められない者です。
そしてまた、今、目に見える現実からすべてを判断して、
自分たちの経験や知識を超えたことを言う人のことを
簡単には信じられない者です。
「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、
心をかたくなにする者がないように、
『きょう』といううちに、日々、互に励まし合いなさい。」
(ヘブル 3:13口語訳)





