過去に5人の男と結婚、離婚を繰り返してきたサマリアの女性の、
人に知られたくないようなプライベートな話題になりましたが、
ここでイエスは、彼女の過去のことをもっと詳しく知ろうと
していません。
その後どうなったでしょうか。
ヨハネ福音書4章18節で「あなたは本当のことを言いました。」
と、イエスが言った後、
彼女は、「主よ。あなたは預言者だとお見受けします。」と言い、
その後、話題が変っていきます。
どちらが話題を変えたのですか。
彼女ですか。
イエスの方ですか。
そうです。
彼女の方が話題を変えて、礼拝のことを言い出しました。
4:20 私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、
礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
4:21 イエスは彼女に言われた。
「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、
エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が
来ます。
4:22 救いはユダヤ人から出るのですから、
わたしたちは知って礼拝していますが、
あなたがたは知らないで礼拝しています。
4:23 しかし、まことの礼拝者たちが、
御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。父はそのような人たちを、
ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する人は、
御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
サマリアの女性は礼拝の場所について、
「この山でする礼拝」か「エルサレムでする礼拝」か、
を話題にしています。
それに対して、イエスは礼拝の場所ではなく、
何を話題にしていますか。
そうです。
イエスは礼拝する時について話題にしておられます。
また、礼拝する人のことを問題にしておられます。
知って礼拝する人たちと知らないで礼拝する人たちです。
そして「まことの礼拝者たち」と言っておられます。
ということは、まことでない礼拝もあるということですね。
まことの礼拝をする人たちとは、
御霊と真理(霊とまこと)によって礼拝する人たちのことです。
まことでない礼拝とはどういう礼拝でしょうか。
まことでない礼拝とは、御霊と真理によらない礼拝であり、
形式だけの礼拝、口先だけの礼拝、義務的な礼拝とも言えます。
ふと気がつけば、習慣的になり、
儀礼的になってしまいやすい礼拝(わたしも)ですので、
この点についてお互いに励まし合う必要はないでしょうか。
父なる神が求めておられる礼拝とはどういう礼拝なのか
という点についてです。
「わたしは毎週礼拝を守っています」と言います。
「わたしは今週礼拝を守れなかった」という場合もあります。
礼拝を守った、守らなかったという言い方にはどういう感じが
込められているでしょうか。
「今日の礼拝は、あまり恵まれなかった」と言うのは、
どうでしょうか。
それは父が求めておられる礼拝とどう関係するでしょうか。
あっ、わたしは毎週の礼拝を軽視しているのではありませんよ。
わたしたちの毎週の礼拝が、父なる神が求めておられる礼拝へと
心が向けられていくために、クリスチャンがお互いに
裁き合うのではなく、励まし合うにはどうすればよいでしょうか。
ひとつは、人の言うこと以上に、聖書に、
主イエスのみ言葉に心を向ける必要がありますね。
「父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として
求めておられるのです。
神は霊ですから、神を礼拝する人は、
御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
最初、礼拝について話題にしたのはサマリアの女性の方でしたね。
イエスはその礼拝についてとても大切なこと、
本質的なことを簡潔に話しておられます。
そしてその後、彼女はまた、自分から話題を変えました。
25節です。
イエスが誰であるかの話題に戻っています。
「あなたはキリストですか」と聞かずに、
彼女は間接的な聞き方をしています。
4:25 女はイエスに言った。
「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを
知っています。
その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせて
くださるでしょう。」
彼女の間接的な言い方に対して、イエスの応答は
ストレートでした。
「あなたと話しているこのわたしがそれです。」
こんなにハッキリとイエスがご自身のことを
メシア、キリストであると言われた例は少ないと思います。
多くの場合「人の子」と言っておられます。
お昼過ぎに、のどの渇きを覚えて井戸の傍に座っていた
ユダヤ人の男、そう見ていた彼女は、
個人的な会話のやり取りを通して、イエスのことを
とうとうメシア・キリストではないか、と思ったのです。
もっと言えば、彼女はイエスに出会ったのです。
イエスに出会うなら、その人に何らかの変化が起こります。
では、彼女にどういう変化が起こったでしょうか。
次回に続きます。