あなたが最初に主イエスを信じ、救われるために、
どういう手助けが必要だったと思いますか。
このヨハネ4章のお話しの中で、イエスは未信者のひとりの
サマリアの女性に、それも初対面の人に個人伝道を
しておられます。
この話しから、個人伝道のやり方、
ハウツウを学ぶことができるのでしょうか。
それとも、この主イエスが今日もあなたやわたしを通して
働いてくださるとするなら、どうでしょうか。
まず、井戸に水を汲みに来たサマリアのひとりの女性に、
イエスの方から「水を飲ませてください」と、
声をかけておられます。
これは伝道の一つのやり方として、
相手に何かを頼むことから始めるのだと、見てよいのでしょうか。
それとも、イエスはこの時、本当にのどが渇いていて、
水が欲しかったのでしょうか。
お昼の12時頃のことであり、
イエスは旅の疲れのために井戸の傍に座っておられたのです。
その状態で、「水を飲ませてください」と水を汲みに来た
初対面の女性に声をかけることは、ごく普通のことです。
不自然なところはありませんね。
ところが、声をかけられたこの女性は、
このイエスのことを不自然だと思ったのです。
なぜ、彼女はこんなことは普通あまりないことで、
不自然なことだと思ったのでしょうか。
おわかりですね。
「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、
飲み水をお求めになるのですか。」(9節)
当時、ユダヤ人はサマリア人のことを蔑み、
付き合いをしなかったので、ユダヤ人の方から声をかけることは
ほとんどなかったからです。
彼女の方から見れば、まったく非常識なことだと、
心の中ではそんなことを思ったとしても、
それは口に出さず、黙って水を汲んでイエスに飲ませることも
できたと思います。
口には出さなくて、この人はユダヤ人の常識を破ってまで
水が欲しいと言っているのだから、よほど疲れて、
のどが渇いているのだと、心の中で思いながら、
無言のまま無造作に水を差しだすこともできたはずです。
しかし、このサマリアの女性は、自分の思ったことを
ハッキリ口に出しています。
わたしたちが祈る場合も、主イエスに対して「どうして」という
疑問があれば、黙っていないで、
ハッキリ口に出して言って良い場合もあります。
そのほうが主イエスの方もハッキリしたことが言いやすい
のではないでしょうか。
あなたやわたしはどの程度、心で疑問に思っていることを
ハッキリ、イエスに言っているでしょうか。
このサマリアの女性に対して、
イエスはとてもハッキリしたことを言われました。
「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてください
とあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、
あなたのほうからその人に求めていたでしょう。
そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
初対面で、会っただけでまだ何分も経っていない、
その相手にイエスはとても普通の人には言えないようなことを
言われました。
このイエスの言葉には、「知る」という言葉が2回使われています。
何と何を知るのでしょうか。
この二つのことを知れば、逆転が起こると言われています。
つまり、「水を飲ませてください」と言った側が、
水を与える側になるという逆転です。
二つのうちのひとつは、「水を飲ませてください」と
言ったイエスが誰であるかということです。
もうひとつは、イエスが与えるもの、
神の賜物とは何であるかを知ることです。
ここに、わたしたちの個人伝道にも関係する大切なことが
教えられています。
どう思いますか。





