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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「水と御霊とから」

2023年09月29日 05時30分37秒 | ヨハネ福音書より

 

ヨハネ福音書3章の夜イエスのところへ訪ねて来たパリサイ人

ニコデモとイエスとの対話の場面の続きです。

 

3:3 イエスは答えられた。

「まことに、まことに、あなたに言います。

人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

3:4 ニコデモはイエスに言った。

「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。

もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」

3:5 イエスは答えられた。

「まことに、まことに、あなたに言います。

人は、水と御霊によって生まれなければ、

神の国に入ることはできません。」

 

今日はこの箇所の「水と御霊によって生まれなければ・・・」

というところです。

 

ここで「水」とは、バプテスマの水ともとれますし、

また、み言葉という意味での水ともとれます。(エペソ5:26)

もう一つは、水という言葉をイエスはどのように

使っておられるかです。

以下にいくつか挙げてみました。

 

「『わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、

その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出る

ようになります。』

イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、

こう言われたのである。」(ヨハネ7:38-39新改訳2017)

 

であれば、ヨハネ4章に出てくる話で、

サマリアの井戸の傍でひとりの女性に

イエスが言われた「生ける水」とは神の賜物であり、

やはり聖霊のことでした。

 

とすれば、ニコデモに対して言っておられる

「水と御霊から生まれなければ、神の国に入ることはできない」

という意味は、水つまり御霊のことと見てよいと言えます。

 

わたしはここで聖書の言葉のわかりにくいところを説明して

わかってもらおうとしていません。「見る」や「入る」

という言葉は、別にわかりにくい神学的な言葉ではないですね。

また、「生まれる」ということもわかりやすい言葉です。

また、イエスが他の聖書個所で、そのような言葉を

どのように使っておられるかを見ていくことから、

霊的真理がわかってくることがあります。

 

ということで、主イエスを信じ、受け入れているあなたや

わたしは、新しく生まれた者であり、

御霊によって生まれた者であり、神の国のことがわかり、

体験できる者とされています。

 

次回はヨハネ福音書3章の6節以降に進んでいきます。

 

 

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「見ること、入ること」

2023年09月26日 05時30分07秒 | ヨハネ福音書より

 

ヨハネ福音書3章からのみ言葉に向き合っています。

イエスとパリサイ人ニコデモとの対話の続きです。

前回は、神の国を見るということについてでした。

その「見る」ことについて、他の個所から見てきました。

今回は、神の国に入るということについてです。

 

3:3 イエスは答えられた。

「まことに、まことに、あなたに言います。

人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

3:4 ニコデモはイエスに言った。

「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。

もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」

3:5 イエスは答えられた。

「まことに、まことに、あなたに言います。

人は、水と御霊によって生まれなければ、

神の国に入ることはできません。

 

「神の国に入る」これは死んだ後に天国に入るという意味もある

と思いますが、それだけではなさそうです。

「神の国に入る」を、それだけで受け取っていると、

訳がわからなくなるところがあります。

 

マタイ19:16,17のところで、

金持ちの青年が、「先生、永遠のいのちを得るには、

どんな良いことをすればよいのでしょうか。」と聞いて来た時、

イエスは、

「いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい。」

と言われました。

ここではこの内容については触れませんが、

「永遠のいのちを得るには・・・」と言ってきた青年に向かって、

イエスは「いのちに入りたいと思うなら・・・」

と答えておられます。

この違いですね。

「永遠のいのちを得る」に対して、

「いのちに入る」と言い換えておられるイエスの言葉です。

 

もう一か所、これに関連するみ言葉を見てみましょう。

ヨハネ3:36です。

「御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、

御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、

神の怒りがその上にとどまる。」(新改訳2017)

ここには「永遠のいのちを持っている・・・」と

「いのちを見ることがなく・・・」の比較です。

言い換えると、永遠のいのちを持っている人は、

そのいのちを見ることができるということです。

 

このような「見る」や「入る」という言葉の使い方を見てみると、

「神の国を見る」「神の国に入る」についても、

わかってくるように思いませんか。

わたしはこの「神の国に入る」を「神の国を体験する」と

受け取っています。

 

前回、見てきたように「見る」とは「わかる」ことで、

それは頭の理解や何かの知識によってわかるということではなく、

わかるのです。

また「入る」は「体験する」ことですが、

何か実感をもって身をもって体験するということではなく、

神の国が具体的に体験的にわかるということですね。

 

ということで、わたしは、「神の国を見る」ことも

「神の国に入る」ことも同じような意味だと思っています。

イエスはニコデモにわかるように配慮され、

言い換えておられるのだと受け取っています。

 

では、次は「新しく生まれる」と「水と霊とから生まれる」

ということについてです。

次回に続きます。

 

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「神の国が見える人」

2023年09月22日 05時30分10秒 | ヨハネ福音書より

 

ヨハネ福音書3章のお話しの続きです。

3章3-5節のところです。

「神の国が見える人」と「神の国に入れる人」のことが

イエスの口から話題になっています。

そして、新しく生まれる人は神の国が見える人で、

水と御霊とから生まれる人は神の国に入れる人です。

 

神の国とは死んだ後の天国のことであるとすれば、

この神の国が見えるのは死んだ後のことですね。

しかし、イエスは新しく生まれた人、天から生まれた人が

神の国を見ることができると言っておられます。

 

主イエスが聖書の他の箇所で「見る」という言葉を

使っているところがあるでしょうか。

その個所から「見る」という意味はどういうことかを

確認してみましょう。

 

「心の清い人たちは、さいわいである、

彼らは神を見るであろう。」(マタイ5:8口語訳)

神は見えません。

しかし、心の清い人は神を見るとイエスは言っておられます。

(わたしが神が見えないのは、心が清くないからか?)

 

「よく聞いておくがよい、神の国を見るまでは、

死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。

(ルカ 9:27口語訳)

ここでも神の国を見る人たちがいます。

 

イエスは彼女に言われた、

「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、

あなたに言ったではないか」。(ヨハネ11:40口語訳)

ラザロの姉妹マルタに言われたイエスの言葉です。

墓の中から生き返って出てきたラザロを見る人は、

からだじゅうに白い布をまかれていたラザロの姿だけではなく、

神の栄光を見るのです。

 

「また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを

見るのである。」(ヨハネ12:45口語訳)

神は見えないはずです。ここでもイエスを遣わされた方、

その神を見る人たちがいます。

 

ということで、イエスはご自分の言っている言葉について

説明はしておられませんが、

他の個所でも同じような言い方をしておられますので、

そこから判断する必要があります。

 

イエスさまは、見るということはどういうことかについて

神学的に説明しておられません。

しかし、わかる人にはわかるということですね。

わかりましたか。

賢い人かどうか、頭の良い人かどうかに関係ないということです。

次回は、「見る」と「入る」についてです。

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「まことに、まことに」

2023年09月19日 05時30分08秒 | ヨハネ福音書より

 

前回、ニコデモからわたしたちの聖書の読み方を学ぶことは

できませんか、とお聞きしました。

そうです。あなたやわたしもニコデモのように正直に

イエスさまに、そして聖書に対話するように聞いて言ってよい

のだと言えます。

 

わからない、理解できないと思っても、

自分を不信仰だと責めるよりも、

その時が来ればわからせてもらえると信じませんか。

 

さて、ではここから、いよいよイエスさまが

ニコデモに言われた言葉に向き合っていきたいと思います。

ヨハネ福音書3章のはじめからです。

「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師である

ことを知っています。

神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのような

しるしは、だれも行うことができません。」

と言ったニコデモに対して、

イエスは答えて言われました。

「まことに、まことに、あなたに言います。

人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(3:3)

 

まず、イエスは、普通のパリサイ人と違って、

イエスのことをかなり理解してくれていると思われるニコデモに

対して、人間的な理解や好意を示しておられません。

そして、大切なことを言われる場合によく使われる言葉を

最初に言っておられます。

「まことに、まことに、あなたに言います」という言葉です。

 

イエスはニコデモの言った言葉に反応しておられないようですが、

しかし、このニコデモのことを軽く見ておられるのではなく、

しっかりこの人に向き合っておられます。

イエスさまとはどういう方だと思いますか。

 

ただ、その後の言葉です。

かみ合っていないように思える言葉です。

「新しく生まれなければ」という言葉は、

「上から生まれなければ」という訳もあります。

 

「神の国を見ることはできません」

ここでいきなり、神の国という、わかるようでわかりにくい言葉が

出てきました。

そして、イエスはこの神の国とはどういうものかについて

一切説明しておられません。

イエスさまが説明しておられないので、

聖書学者や牧師は自分たちが説明しなければならないと思っている

場合もあります。

わたしもそう思っていました。

 

ここで「神の国」についてしっかり説明しなければ、

先へ進めないのではないかという人間的な配慮が働くのです。

イエスはそういう配慮をしておられません。

 

ここでイエスによれば、神の国が見える人と見えない人がいる

ということですね。

新しく生まれる人は見えるけれども、

そうでない人は見えないということです。

ここでわかることはそれだけです。

この時、当のニコデモはわかったような顔をしませんでした。

そしてイエスに言ったのです。

「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。

もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」(3:4)

 

そのニコデモの言ったことに対して、

今度は、イエスはしっかりと答えておられます。

「まことに、まことに、あなたに言います。

人は、水と御霊によって生まれなければ、

神の国に入ることはできません。

肉によって生まれた者は肉です。

御霊によって生まれた者は霊です。」(3:5、6)

 

この言葉で、イエスはニコデモの言ったことに答えながら、

先に言われた言葉と、また違ったことを言われている

のでしょうか。

それとも同じことを繰り返しておられるのでしょうか。

どう思いますか。

次回に続きます。

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「ニコデモはわたしの代わりに」

2023年09月15日 05時30分35秒 | ヨハネ福音書より

 

ヨハネ福音書3章の続きです。

夜ひとりで訪ねて来たニコデモとイエスの対話の後半です。

イエスの話されたとても霊的で深い話に対して

「どうして、そのようなことがあり得るでしょうか。」

という言葉を発したニコデモに対して、

イエスは何と言われたでしょうか。

ニコデモさん、あなたは不信仰です、と言われたでしょうか。

そうではありません。

 

3:10 イエスは答えられた。

「あなたはイスラエルの教師なのに、

そのことが分からないのですか。

3:11 まことに、まことに、あなたに言います。

わたしたちは知っていることを話し、見たことを証ししている

のに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れません。

3:12 わたしはあなたがたに地上のことを話しましたが、

あなたがたは信じません。

それなら、天上のことを話して、どうして信じるでしょうか。

3:13 だれも天に上った者はいません。

しかし、天から下って来た者、人の子は別です。

3:14 モーセが荒野で蛇を上げたように、

人の子も上げられなければなりません。

3:15 それは、信じる者がみな、

人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(新改訳2017)

 

ここでニコデモとイエスの対話は終わっています。

この話しを聞いた後、ニコデモは夜の道をまたひとりで

帰って行ったと思います。

彼はどんな思いで、どんな顔をしてランプを片手に暗い夜道を

帰って行ったのでしょうか。

想像してみてください。

(えっ、それでこの話しは終わりなの?

ニコデモのことばかりを話して、イエスの言われた

素晴らしい霊的な話は取り上げないのですか。)

ここで話を終われば、そうなると思います。

 

前にも言いましたが、ニコデモはここでは

わたしの代わりに質問してくれている感じです。

彼はわかっていないことをわかったふりをしていません。

イエスの前で正直です。

正直に自分の思いを言っていますので、

そこから更にイエスの口から大切なみ言葉が語られました。

 

まず、この点をハッキリしたいと思いました。

ですから、このニコデモからわたしたちの聖書の読み方を

学ぶことはできませんか。

あなたやわたしも正直に聖書に対話するように

聞いていってよいのです。

わからないと思って自分を不信仰だと責める必要はありません。

(責めていません!)


わからないからと言って、すぐにわかっている人に聞けばよい

と思う必要はありません。

人は神の口らか出る一つ一つの言葉によって生きるのだからです。

一つ一つの言葉が今も聖霊によってひとりひとりに

語られるのです。

それはひとりひとり違っているかもしれません。

次回に続きます。

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