ヨハネ福音書2章の後半に進みます。
婚礼の場で水がぶどう酒に変わるという「しるし」を行い、
ご自身がどういう者であるかを現わされたイエスの、
その後の話しです。
次の話しではイエスとはどういう方でしょうか。
2:13 さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、
イエスはエルサレムに上られた。
2:14 そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、
座って両替をしている者たちを見て、
2:15 細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、
両替人の金を散らして、その台を倒し、
2:16 鳩を売っている者たちに言われた。
「それをここから持って行け。わたしの父の家を
商売の家にしてはならない。」
2:17 弟子たちは、
「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを
思い起こした。
2:18 すると、ユダヤ人たちがイエスに対して言った。
「こんなことをするからには、どんなしるしを
見せてくれるのか。」
2:19 イエスは彼らに答えられた。
「この神殿を壊してみなさい。
わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」
2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った。
「この神殿は建てるのに四十六年かかった。
あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。」
2:21 しかし、イエスはご自分のからだという神殿について
語られたのであった。
2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、
弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、
聖書とイエスが言われたことばを信じた。(新改訳2017)
愛と憐れみ、いつくしみに満ちた方、イエスがここでは
とても怖い感じです。別人のようです。
多くの場合、人はどちらかです。
愛と憐れみの心のある人は怒ったりしません。
また、よく怒りやすい人は愛と憐れみの心を持ち合わせていない
のが普通です。
ところが、イエスの場合はそうではありません。
イエスは裁く権威をもっておられる方です。
人がここでイエスがやっているのと同じようなことをすれば、
どうなるでしょうか。
しかし、イエスは一方で憐れみ深い方でした。
もちろん、昔は憐れみ深い方だったが、
今は怒りぽい人に変わったというのではありませんね。
「また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、
倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。」
(マタイ9:36口語訳)
ここでイエスのやっておられることは、
感情的になり怒りに任せて、動物をむちで追い出し、
両替人の台をひっくり返したのでしょうか。
よくこの記事を注意して読んでみるとそうではないことが
分かります。
どの場面で分かりますか。
まず、イエスは宮にやって来られ、宮の中で、
牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを
見られました。(2:14)
その後、そこらにあった縄を手にして手当たり次第、
怒りの行動に出たのではないかと、
以前のわたしは、そのようにこの箇所を読んでいたと思います。
そうではないですね。
どこで分かりますか。
イエスはどこかから細縄を探してきて、
それでむちを作っておられます。(2:15)
細縄でむちを作っておられるのですから、
これは少し時間がかかります。
そのイエスの姿が思い浮かびますか。
感情的にカッカしていれば、
こんな冷静なことはできないはずです。
ここでもう一つ、イエスが感情的になって怒りに任せて
何かをしているのではないというのが
見えてくるところがあります。
お気づきですね。
そうです。
鳩のことです。
イエスは、羊も牛もみな宮から追い出し、
両替人の金を散らして、その台を倒しました。
そして、鳩を売っている人の鳩もそのかごから
追い出していますか。
そうではありません。
「鳩を売っている者たちに言われた。
『それをここから持って行け。
わたしの父の家を商売の家にしてはならない。』」(2:16)
次回に続きます。





