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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「水がぶどう酒に変わる前に」

2023年07月28日 05時30分40秒 | ヨハネ福音書より

 

ヨハネ福音書2章からのストーリーに共に向き合っています。

 

婚礼の席でぶどう酒がなくなったことで、

イエスのところへ言いに来た母マリアに対してイエスは、

「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。

わたしの時はまだ来ていません。」と言われました。

 

「父と母を敬いなさい」とあなたは教えていたではありませんか。

そう心の中で思い、マリアはこんな訳の分からないことを

言われるなんて・・と、むっとしてイエスのそばを離れて

行ったのではありません。

 

次のマリアの言葉によって、わたしは、

彼女はイエスの言われた言葉の意味が分かったのだと思います。

 

2:5 母は給仕の者たちに言った。

「あの方が言われることは、何でもしてください。」

2:6 そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、

石の水がめが六つ置いてあった。

それぞれ、二あるいは三メトレテス入りのものであった。

2:7 イエスは給仕の者たちに言われた。

「水がめを水でいっぱいにしなさい。」

彼らは水がめを縁までいっぱいにした。(新改訳2017)

 

2章5節のマリアの短いこの言葉に注目してください。

わたしはこの言葉から、マリアは一見冷ややかと思える

イエスの言われた言葉の意味が分かったのだと思います。

 

マリアは、親に向かってひどいことを言う息子だと怒って、

その場を離れて行ったのではありません。

 

では、母マリアはイエスのあの言葉を

どのように分かったのでしょうか。

 

まずひとつは、イエスは親と子の関係だからということで

何かをしたいと思っていなかったのです。

 

地縁、血縁という関係がものを言うことが

今の日本の社会でもあります。

就職や選挙の場合もこの血縁が物を言う場合もあるようです。

 

ところがです。

家系を重視するユダヤ社会でしたが、

自分を生んでくれた母親だからと言って、

そういう関係でイエスは動こうとはされませんでした。

 

しかし、「わたしの時はまだ来ていません」と

言われたイエスが動いておられます。

マリアの態度が変わったからです。

どう変わったのでしょうか。

 

親子の関係から何かを頼んでいたマリアの思いが、

この方が言われることに何でも従うという関係に変わりました。

もっと言えば、主人と僕の関係に変わりました。

 

やがて、この婚礼の場で水がぶどう酒に変わったのですが、

その前にマリアの心が変わる、

つまりイエスとの関係をハッキリさせる必要があったのです。

 

次回に続きます。

 

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「冷ややかな言葉」

2023年07月25日 05時30分50秒 | ヨハネ福音書より

 

前回のヨハネ福音書2章の続きです。

「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。

わたしの時はまだ来ていません。」

 

婚礼の席でぶどう酒がなくなった時、

そのことを知らせにやって来た母マリアに対して言われた

イエスの言葉でした。

口語訳では、

「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。

わたしの時は、まだきていません」。

と訳されています。

 

「女の方」にしても「婦人よ」にしても、自分の母親に向かって、

そのような呼び方をする人はいるでしょうか。

 

それ以上に驚くことは、イエスは母マリアに対して

「あなたはわたしと何の関係がありますか。」と言っておられます。

 

「何の関係ですって、わたしはあなたの母親ですよ。

あなたはわたしの子どもですよ。

どうしてそんなことを聞くのですか。」

とマリアは言ってもよかった思います。

 

もし、あなたが母親で自分の息子にこんなことを

言われたとすれば、どう応えますか。

(わたしだったら息子ではなく、娘に頼みに行きます・・・)

 

更に、ここでのイエスの謎めいた言葉は

「わたしの時はまだ来ていません」です。

 

この「わたしの時」というのは、

十字架の時だと受け取っておられる方もいます。

では、なぜ、こんなタイミングでイエスはご自分の十字架の話を

持ち出しているのでしょうか。

 

時々、イエスさまは関係のないような時に重要なことを

言われることも確かにあります。

 

では、イエスがここで「わたしの時」と言っておられる意味として、

他に考えられることはないでしょうか。

 

イエスが母マリアに言われたこの非常識とも思える言葉を、

わたしたちがただじっと考えているだけでは、

なかなか分かりにくいですね。

 

そこで、わたしは気づかされたことがあります。

(注解書など、誰かの解説を読んで気づいたのでは・・・)

そうではありません。ふと、気づいたのです。

ふと、気づくという方法で主は示されることがあります。

そういうことを以外と無視している人たちもいます。

わたしもそのひとりでした。

 

わたしが気づいたこと、

それは、イエスのこの言葉を言われた当のマリア自身は、

果たしてこの言葉の意味が分かったのかどうかです。

その後のマリアの行動から判断して、

マリアはこのイエスの言葉の意味が分かったのだと思います。

自分に言われたこんな冷ややかな言葉を、

彼女はどのように分かったのでしょうか。

どう思いますか。

暑い時ですので、短めにします。

 

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「絵画的思考で・・・」

2023年07月21日 05時30分48秒 | ヨハネ福音書より

 

前回はヨハネ福音書2章の初めのところを場面に分けてみました。

絵画的にこのお話をイメージし、見ていくためです。

聖書を全体的に見てみると、論理的な説明よりも

はるかに絵画的な描写が多いことに気づきます。

それらはストーリーとも物語とも言われます。

また、イエスさまは深い霊的な真理を語られる場合、

譬え話という方法で絵画的に語っておられます。

絵画的に語られると、子どもでも誰でも分かりやすいですよね。

 

ということで、前回はヨハネ福音書2章の1節からのところを

10の場面を分けてみました。

少し時間が経っていますが、まだ、覚えておられますか。

 

では、このブログではあまり長い文章はよくないと思っていますので、

聖書の個所も短めに区切りながら引用し、進めていきます。

ただし、わたしの方で一方的に、解説的に話を進めていくのではなく、

一緒にみ言葉に向き合っていくやり方で、質問を入れていきたいと思います。

ただし、この質問はあなたの聖書知識を試すためではなく、

あなたがご自分でこの個所から新しい気づきを与えられるため、

あるいは、新しく主からの語りかけを聞くためです。

 

ヨハネ2:1-4(新改訳2017)

それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。

イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。

ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって

「ぶどう酒がありません」と言った。

すると、イエスは母に言われた。

「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。

わたしの時はまだ来ていません。」

 

婚礼の場で大切なぶどう酒がなくなるという困った出来事が起こりました。

準備したものが足りなかったのですね。

予定していたよりも参列者が多く来たのでしょうか。

ひとりで沢山飲む人が何人かいたのでしょうか。

 

その時、母マリアはぶどう酒がなくなったことをイエスに言いに来ています。

なぜイエスのところへ来たのでしょうか。

 

恐らくマリアはこの婚礼にお客として招かれていたのではなく、

裏方の方でいろいろとお世話をしていたと思われます。

 

大切なぶどう酒がなくなったことで、彼女は他に考えられること、

すべきことはなかったのでしょうか。

 

そのマリアに対して、イエスは短く応えておられますが、

その応え方には「えっ」と思えるようなところがいくつかあります。

 

「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。

わたしの時はまだ来ていません。」

 

このイエスの母親に対する応対についてどう思われますか。

 

次回に続きます。

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「10の場面」

2023年07月18日 05時30分55秒 | ヨハネ福音書より

 

さて、今日からヨハネ福音書第2章に入りますが、

ここにカナという町での婚礼の話が出てきます。

よくご存じのお話だと思います。覚えておられますね。

(読んだことはあるが、細かいことは忘れた・・・)

この個所をここに書き出すと、長くなりますし、

聖書を持っておられる方はご自分で開いて読むこともできます。

それで、聖書の個所をここには書き出さずに話を進めていきたいと思います。

聖書の本文を読んでいて、自然にそのストーリーの場面を

絵画的に思い浮かべることが得意な人がいます。

わたしはどちらかと言えば、絵画的思考よりも論理的思考に

長年慣れてきた方です。

しかし、最近は、この絵画的なイメージによって聖書を読むことが

とても大切であり、霊的な真理発見のためにも大切だと

思うようになりました。

 

ということで、この話を紙芝居にするとどうなるかということで、

わたしなりに10くらいの場面に分けてみました。


次の通りです。

  • カナという町での婚礼の席に多くの人たちが来ていて、
    そこにイエスと弟子たちも招かれていた場面。

  • 婚礼には欠かせないぶどう酒がなくなったことで、
    母マリアがそのことをイエスに言いに来た。

    そのイエスとマリアの会話の場面。

  • マリアがそこにいた給仕の者たち(しもべたち)に何かを頼んでいる場面。

  • イエスがその給仕の者たちに指図をしている場面と合わせて台所に大きな水がめが6つ置いてある場面。

  • 給仕の者たちがその水がめに水を一杯に入れている場面。

  • イエスが給仕の者に次の指示をしておられる場面。

  • 給仕の者たちがかめから水を汲んで、宴会の世話役のところへ持って行っている場面。

  • 世話役が給仕の者たちが持って来た水を飲んでみると、ぶどう酒だったという場面。

  • 世話役が花婿を呼んで事情を聞いている場面。

  • 弟子たちがイエスを信じたという場面。

 

この話しは結構有名なところです。

これは単にイエスが水をぶどう酒に変えられたという驚くべき奇跡を

伝えているだけの話しでしょうか。

それ以外にもここから何かのメッセージを聞き取ることができるでしょうか。

この話からイエスとは一体どういう方でしょうか。

この話から人間とはどういう者でしょうか。

こんなことを次回から続けて見ていきたいと思います。

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「天地をつなぐはしご」

2023年07月14日 05時30分36秒 | ヨハネ福音書より

 

イエスが初対面のナタナエルに出会って、言われた言葉が続いています。

ヨハネ1:50,51

イエスは答えて言われた、

「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、

わたしが言ったので信じるのか。

これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。

また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。

天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、

あなたがたは見るであろう」。(口語訳)

 

この個所の後半のイエスが言われた言葉から思い出す人がいませんか。

そうです。

創世記に出てくるあのヤコブの夢ですね。

 

「さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、

一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、

その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。

時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、

その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。

そして主は彼のそばに立って言われた、

『わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう』」。(創世記28:10~13 口語訳)

 

旅をしていたヤコブがある場所で一夜を明かし、

石を枕にして横になっていた時、夢を見ました。

それは、天にまで達する梯子の上を御使いたちが上り下りしている夢でした。

 

同じような感じのことをイエスはナタナエルに言っておられますが、

ここでは、人の子の上に御使いたちが上り下りすると言っておられます。

どういうことでしょうか。

 

確かに、イエスは人の子として天と地とをつなぐ「はしご」の役目を

しておられます。

ということは、新約の光を通して創世記を見る時、

ヤコブの見た梯子とはイエスのことであったと言えます。

 

「イエスは彼に言われた、『わたしは道であり、真理であり、命である。

だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。』」

(ヨハネ14:6口語訳)

 

生きていくための道を知りたい方、

イエスがその道です。

何が本当で、何が偽りなのかが分かりにくくなっている今日も、

イエスが真理です。

知識や情報を得ることが重視されている時代、いのちをもらえるところ、

それがイエスです。

 

ナタナエルという人との対話の中で、イエスはご自身のことを証ししておられます。

ですから、わたしは聖書を読む時、イエスとはいったい誰なのかを、

今もどこまでも求め続けていきたいと思っています。

道を知り、真理に導かれ、いのちをいただくためです。

 

次回からヨハネ福音書第2章に入ります。

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