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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「根深い肉の問題」

2023年01月31日 05時30分48秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙の8章からです。

 

ローマ8:3

肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。

つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、

その肉において罪を罪として処断されたのです。(新共同訳)

 

祈り

「父なる神さま、あなたは律法という素晴らしい教えを与えてくださった

のですが、私たちのうちにある肉の問題のために、

その律法によって人が根本的に変えられ、救われることはありませんでした。

 

しかし、この律法のおかげで隠されている肉の問題がハッキリしてきました。

その上で、主よ、あなたは御子イエスさまを遣わし、

その十字架の死によってわたしの内にある根深い肉の問題を

解決してくださいました。

父なる神さま、あなたはイエスさまの十字架の死によって、

わたしの肉に絡んでいる罪を裁かれ、罰せられました。

 

主よ、ここにわたしに対するあなたの愛の心と真実が表されています。

この目には見えない霊的な真理を認め、受け入れ、感謝します。」

 

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「解放されました」

2023年01月27日 05時30分43秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙8章に入ります。

 

ローマ8:1-2

こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は

罪に定められることがない。

なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、

罪と死との法則からあなたを解放したからである。(口語訳)

 

すごくハッキリした、断言するような言葉です。

パウロは、この言葉の意味が誰にでも理解できるように詳しく

説明しているでしょうか。

問題は、この霊的な真理が理解できるかどうか以上に、

このままを信じて受け入れるかどうかです。

 

祈り

「主よ、感謝します。

わたしはイエスさまを信じて、今もイエスさまと関係をもたしていただき、

イエスさまにつながっています。

それでわたしは罪に定められることがないと言われています。

ハレルヤ、感謝です。

わたしは罪に定められないのです。

 

わたしの中にある罪責感、自責の念、過去の忘れられない後悔の思い、

そこからくる不安、恐れ、そうしたものからもわたしは解放されました。

それは、イエスさまにあるいのちの御霊の法則のおかげです。

 

この目に見えない霊的な真理について、わたしはよく理解できている

とは言えませんが、このみ言葉をそのまま信じて、ただ感謝します。

信じて感謝する時、このみ言葉はわたしに現実となります。

もう、後ろを振り向かなくてもよいのですね。

前に向かって進めばよいのですね。

イエスさま、あなたのおかげです。」

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「結果を気にするのは」

2023年01月24日 05時30分29秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙7章に入ります。

 

ローマ 7:4

ですから、私の兄弟たちよ。あなたがたもキリストのからだを通して、

律法に対して死んでいるのです。

それは、あなたがたがほかの方、すなわち死者の中からよみがえった方の

ものとなり、こうして私たちが神のために実を結ぶようになるためです。

(新改訳2017)

 

ここに「実を結ぶようになる」とあります。

日本語の「結果」という漢字は、「果実を結ぶ」という意味ですね。

最近は、結果を出すという言葉がよく使われ、よく耳にします。

 

祈り

「天の父なる神さま、わたしがこの人生において、何らかの実を結ぶ、

つまり何かの結果を出すようなことをしたとしても、

それはわたしの手柄や功績ではないことを、このみ言葉から知らされます。

 

ですから、そのことで人の評価を得ても得なくても、

有名になってもならなくても、それで一喜一憂することはないはずです。

なぜなら、死人の中からよみがえられたイエスさまのものとなったことで、

わたしは実を結ぶことになったからです。

 

そして、その前にです。

このみ言葉によれば、自分で努力して頑張って実を結ばなければならい

という、ある種の律法に対してわたしは死んでいるからです。

死んでいる人間には、その国の法律は適用されないのと同じです。

 

主よ、それでもなお、時として自分のしたこと、言ったことを

人がどのよう思っているかを気にすることがあるのは、つまり、

結果を気にするところがあるのは、まだわたしの中に死ぬ必要がある

肉の思いがあるからです。

 

主よ、このことに気が付いた時、その都度、十字架で死なれた主イエスの

からだの中に自分もいたことを認め、その肉の自分が死んでいることを

認めます。

そして、主よ、誰のためでもない、

あなたのために実を結ぶ者としてくださいますように。」

 

 

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「対比、対局」

2023年01月20日 05時30分26秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙の手紙6章のみ言葉から祈ることを学んでいます。

 

6:23 罪の報酬は死です。

しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある

永遠のいのちです。(新改訳2017)

 

短い言葉ですが、ここに3つの対比、対局がありますね。

罪 ⇒ 報酬 ⇒ 死

神 ⇒ 賜物 ⇒ 永遠のいのち

これは見事な対比ですね。

一つのことだけを言われるよりも、この二つの対比によって

どちらもハッキリしてきます。

 

祈り

「父なる神さま、私のやったこと、罪に対して最終的には死という

報酬が与えられます。働いた後、もらえる報酬のようにです。

 

しかし、父なる神さま、あなたは働きの報酬ではなく、

イエスさまを通して恵みの賜物として、死の正反対の永遠のいのちを

与えてくださいます。

 

主よ、死と永遠のいのちというこの真逆の対比、

これは本当にすごいことです。

わたしの感覚としては、永遠のいのちよりも死の方が実感として

分かりやすいです。

ですから、永遠のいのちについては、実感ではなく、

実感以上にこのみ言葉を信じる信仰が求められているのですね。

御子を信じる者は永遠のいのちを得る、とある通りです。

 

主よ、死ぬことの実感以上に、このみ言葉を信じ受け入れます。

イエスさまによる永遠のいのちを賜物としていただけることを

心から感謝します。

 

この永遠のいのちとは、父なる神さま、あなたのいのちです。

イエスさまがもっておられたいのちです。

その同じいのちを生きる者としていただき、本当に感謝します。」

 

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「どちらに反応しているか」

2023年01月17日 05時30分35秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙の手紙6章のみ言葉から祈ることを学んでいます。

 

6:9 私たちは知っています。キリストは死者の中からよみがえって、

もはや死ぬことはありません。

死はもはやキリストを支配しないのです。

6:10 なぜなら、キリストが死なれたのは、

ただ一度罪に対して死なれたのであり、

キリストが生きておられるのは、

神に対して生きておられるのだからです。

 

6:11 同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、

自分は罪に対して死んだ者であり、

神に対して生きている者だと、認めなさい。

 

祈り

「主よ、わたしの中には、どこか、いつも努力して

頑張らなければ・・・という思いや意識があります。

かといって、現実はそのようになっていない自分がいます。

 

このみ言葉は、わたしは罪に対して死んだ者であり、

神に対して生きている者であることを認めなさい、と言っています。

罪を犯さないように心がけることも大切だと思いますが、

その罪に対して自分が死んでいることを認めるのですね。

 

人を裁く思い、赦せない思い、妬み、どん欲な思い、

人に良く見せようとする思い、

そういう、主に喜ばれない罪の思いにわたしは死んでいることを

認めます。

そのような思いが起こってくる度に、その時その時、

そのわたしがイエスさまと共に十字架に死んでいることを認めます。

死んでいるのですから、そこに心が動きません。反応しません。

 

そして、愛と真実の神、あなたに対して生きている者、

あなたに反応し、あなたに心を動かされる者とされている

ことを認め、感謝します。アーメン」

 

 

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