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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「自分の人生だから自分の好きなように生きてよいと・・・」

2022年11月29日 05時30分45秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

昨年のクリスマスの後の12月の終わり頃から、

ローマ人への手紙の中で、主イエスを信じた自分とはどういう者かについて

の「自分探し」、そして次にこの手紙の中で「神とはどういう方か」を

見てきました。

そして、最後に「イエス・キリストとはどういう方か」を見てきました。

 

さて、この後、どうしようかと思いましたが、

このローマ人への手紙から「イエス・キリストとはどういう方か」から

分かったことを祈りに変えてみたいと思います。

 

ローマ人への手紙の1章1節にいきなり、「キリスト・イエス」と

出てきます。

パウロはこの手紙の中で、まず自分のことを自己紹介しています。

わたしはキリスト・イエスのしもべです、と。

 

祈り

「主よ、パウロは自分のことをイエス・キリストのしもべと言っています。

わたしはパウロのような働きもしていませんし、

そのような信仰にもとても及ばない者ですが、

同じようにわたしもあなたのしもべと言ってもよいのでしょうか。

わたしはこの人生で、いろいろな人に仕えているとも言えますが、

しかし本質的なところで誰かに仕えているとすれば、

あなた以外にはないと思っています。

 

自分の思い通りに、自分の考えで生活し、行動していることも多い者ですが、

しかし、やはり、わたしはあなたを自分の主とする者です。

ですから、わたしもあなたのしもべです。

パウロと同じようにこのようにこのように言えることを感謝します。」

 

・「その異邦人の中にあって、あなたがたも召されて

イエス・キリストのものとなりました。」(1:6)

 

祈り

「主よ、そうです。この国では、クリスチャンとは普通、

ただ親切で良い人という印象もあるかもしれませんが、

実は、本質においてわたしはあなたに呼ばれて、

キリストのものとなったのです。

自分の人生を自分が好きなように生きてよいと思っていたわたしですが、

今は、このわたしはあなたのものです。

主よ、所有権がわたしからあなたに移ったのです。」

 

・「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、

恵みと平安があなたがたにありますように。」(1:7)

 

祈り

「わたしの日々の歩み、そしてまた、長い人生の歩みにおいて、

わたしに与えられた恵みと平安、それは父なる神さまと主イエスさま

からのものです。

あなたの恵み、あなたからの平安であっても、それを当たり前と思って、

実感がないために感謝もしないことが多い者です。

 

しかし、静かに思い起こす時、あのことも恵みだった、

このことも本当に恵みだったのだと言えます。

主よ、この恵みと平安を感謝します。」

 

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「教会のことを」

2022年11月25日 05時30分28秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙を書いたのはパウロでした。

前回は「クリスチャンのこと」でしたが、今回は「教会のこと」です。

 

今日の聖書の個所に、「キリストの教会」という言葉が出て来ます。

さっと読んでしまえば、それだけのことです。

 

ローマ16:16

あなたがたは聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。

すべてのキリストの教会が、あなたがたによろしくと言っています。

 

今日、わたしたちの普通の感じでは、教会は誰のものと思われていますか。

「わたしの教会」とか「わたしたちの教会」という言い方がされる

ことがあります。

また、教会とは十字架のついた建物と見られていることも少なくありません。

あそこにお寺があり、あそこに神社があり、あそこに教会がある

という感じです。

もちろん、便宜上そのように言っているわけで、深い意味はない場合も

あります。

 

パウロの時代、小アジアに、そしてギリシャやローマの地に

数多くの家の教会があったと思われますが、

そのすべてが「キリストの教会」という呼び方をされています。

 

福音書の中で、主イエスは、誰が、どこに、誰の教会を建てるのか

という話をしておられます。

Who Where Whoseです。

マタイ16章18節を読んで、ご自分で確認してみてください。

 

ここに主イエスはとても大切なことを言っておられると思います。

わたしは長い間ひとつの教会の牧師をしてきましたが、

気持や思いのどこかで自分が自分の教会を何とかしなければ…

という思いがありました。

「キリストの教会」という言葉は知っていましたが、

自分の牧会している教会を本当の意味でどこまでキリストの教会と認め、

そのように行動してきたかと問われれば、本当にハッキリと答えられない

ところもあります。

 

それに対して、あの初代教会の時代に精力的に多くの犠牲を払い、

異教の地とも言える未伝地に教会を開拓して回ったパウロという人は、

その結果として誕生した多くの教会を自分の教会ではなく、

「キリストの教会」とハッキリ言い切っているのです。

どう思いますか。

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「クリスチャンのことを」

2022年11月22日 05時30分17秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙も終わり近くになりました。

イエス・キリストとはどういう方かについて見てきました。

 

パウロはこの手紙の終わりに当たって、

いろいろな人たちの個人的な名前をあげています。

〇〇さんによろしく、と言っています。

パウロが個人的によく知っていて、何らかの関係があった人たちが、

このローマの教会に大勢いたようです。

 

そして、その人たちのことについて何度も「キリストにある者」

「キリストにあって」「キリストにある」という言い方をしています。

なぜ、このような言い方を繰り返しているのでしょうか。

 

16:7 私の同胞で私とともに投獄されたアンドロニコとユニアによろしく。

二人は使徒たちの間でよく知られており、

また私より先にキリストにある者となりました。

16:8 主にあって私の愛するアンプリアトによろしく。

16:9 キリストにある私たちの同労者ウルバノと、

私の愛するスタキスによろしく。

16:10 キリストにあって認められているアペレによろしく。

アリストブロの家の人々によろしく。

 

「私より先にキリストにある者となりました」と言われるのは、

アンドロニコとユニアのふたりです。

このふたりはパウロよりも先に主イエスを信じていた人たちだったのです。

今日のわたしたちの言い方をすれば、

私より先にクリスチャンになった人です、と言えます。

 

今日は、クリスチャンという言い方とキリスト者という言い方があります。

それをパウロはわざわざ「キリストにある者」という言い方をしています。

キリストとつながりと関係のある人とも言えます。

 

あなたやわたしも、自分のことをキリストとつながりと関係がある人

と言えますか。

 

パウロはクリスチャンを見て、

その人をキリストと関係のある人という見方をしていました。

キリストと関係をもっている人とキリストと無関係な人がいるわけです。

さて、クリスチャンという言い方をするようになった話が聖書に出ています。

 

使徒行伝 11:26

彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。

ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、

大ぜいの人々を教えた。

このアンテオケで初めて、

弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。(口語訳)

 

しかし、新改訳聖書では、「キリスト者」となっています。

 

使徒の働き 11:26

彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。

彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。

弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。(新改訳2017)

And the disciples were first called Christians in Antioch.(NKJV)

 

あなたの聖書ではどういう訳となっていますか。

 

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「キリストに献げられた初穂」

2022年11月18日 05時30分12秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙からイエス・キリストとはどういう方か

について見ていっています。

最後の章になりました。

前回の続きです。

 

ローマ

16:5 また彼らの家の教会によろしく伝えてください。

キリストに献げられたアジアの初穂である、

私の愛するエパイネトによろしく。

 

パウロは小アジアのあちこちで伝道をして回りました。

その時期、最初に主イエスを信じて救われたのが、

ここに出てくるエパイネトという人だったようです。

そして、その人も今は、ローマにいるようです。

ですから、このローマ人への手紙の中で、パウロはこの人の個人的な名前を

挙げています。

 

パウロはずっと会っていなかったかもしれないこのエパイネトという人の

名前を憶えていただけではなく、今も彼のことを

「私の愛するエパイネトによろしく」と、この手紙の中で言っています。

 

当時は手紙と言っても、巻物のようなもので、誰かが持って行き、

それが回覧のようにして各家の教会に回っていき、

そこで人々に読んで聞かせたのかもしれません。

 

この人、エパイネトという人は、大勢の人宛に書かれている手紙の中で

自分の名前がこんなところに出てきたのを知ってどんなに驚き、

また喜んだでしょうか。

 

そしてまた、自分はキリストに献げられた初穂と言われているのです。

もし、あなたが自分のことをこのように人の前で紹介されたとすると、

どうでしょうか。

いや、あなたはそういう人だったのですね、

と人々の見る目が違ってくるかもしれません。

いや、エパイネトは人が自分をどう見るかよりも、

自分が救われた時に、もうすでに初穂としてキリストに献げられていた

のだと知り、自分はキリストのものであるという確信を新たにした

のではないでしょうか。

 

2テサロニケ 2:13

しかし、主に愛されている兄弟たち。

私たちはあなたがたのことについて、いつも神に感謝しなければなりません。

神が、御霊による聖別と、真理に対する信仰によって、

あなたがたを初穂として救いに選ばれたからです。(新改訳2017)

 

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「あるクリスチャン夫婦のこと」

2022年11月15日 16時47分42秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

ローマ

16:3 キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラに

よろしく伝えてください。

16:4 二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険に

さらしてくれました。彼らには、私だけでなく、

異邦人のすべての教会も感謝しています。

 

パウロはプリスカとアキラの夫婦のことを自分の同労者と呼んでいます。

このふたりは恐らく、今で言えば信徒伝道者と言える人たちであり、

ローマにいたと思われます。

 

そして5節には、「彼らの家の教会によろしく」とありますので、

このふたりは家の教会のリーダー的な立場の人たちであったようです。

また、4節には「二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険に

さらしてくれました。」と言っていますので、

パウロの命の恩人とも言える人たちでした。

 

そして、このふたりのことを異邦人のすべての教会も感謝していると

パウロが言うのですから、この夫婦がどういう人たちであったかが

いろいろと想像できます。

 

ここで注目したいのは、パウロはふたりのことを

「キリスト・イエスにある私の同労者」と呼んでいることです。

この言葉をどう理解すればよいでしょうか。

 

ここに「キリスト・イエスにある」というのは、

パウロがよく使っている言葉ですので、

これはパウロの口癖のような言葉なのでしょうか。

 

パウロは自分の命の恩人でもあるこのクリスチャン夫婦のことを

紹介する上でも、自分と彼らの関係それ以上に、

彼らとキリストとのつながりと関係のことをとても注目しているように

思います。

 

彼らが自分の命を救ってくれたことも、彼らが異邦人の教会から

感謝されていることも、それは彼らがすばらしいだけではなく、

ふたりがキリストとのつながりと関係をもっているからだ

というようにとれます。

 

もっと言えば、このふたりを通してキリストがそのように働いている

ともとれます。

どう思いますか。

 

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