昨年のクリスマスの後の12月の終わり頃から、
ローマ人への手紙の中で、主イエスを信じた自分とはどういう者かについて
の「自分探し」、そして次にこの手紙の中で「神とはどういう方か」を
見てきました。
そして、最後に「イエス・キリストとはどういう方か」を見てきました。
さて、この後、どうしようかと思いましたが、
このローマ人への手紙から「イエス・キリストとはどういう方か」から
分かったことを祈りに変えてみたいと思います。
ローマ人への手紙の1章1節にいきなり、「キリスト・イエス」と
出てきます。
パウロはこの手紙の中で、まず自分のことを自己紹介しています。
わたしはキリスト・イエスのしもべです、と。
祈り
「主よ、パウロは自分のことをイエス・キリストのしもべと言っています。
わたしはパウロのような働きもしていませんし、
そのような信仰にもとても及ばない者ですが、
同じようにわたしもあなたのしもべと言ってもよいのでしょうか。
わたしはこの人生で、いろいろな人に仕えているとも言えますが、
しかし本質的なところで誰かに仕えているとすれば、
あなた以外にはないと思っています。
自分の思い通りに、自分の考えで生活し、行動していることも多い者ですが、
しかし、やはり、わたしはあなたを自分の主とする者です。
ですから、わたしもあなたのしもべです。
パウロと同じようにこのようにこのように言えることを感謝します。」
・「その異邦人の中にあって、あなたがたも召されて
イエス・キリストのものとなりました。」(1:6)
祈り
「主よ、そうです。この国では、クリスチャンとは普通、
ただ親切で良い人という印象もあるかもしれませんが、
実は、本質においてわたしはあなたに呼ばれて、
キリストのものとなったのです。
自分の人生を自分が好きなように生きてよいと思っていたわたしですが、
今は、このわたしはあなたのものです。
主よ、所有権がわたしからあなたに移ったのです。」
・「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたにありますように。」(1:7)
祈り
「わたしの日々の歩み、そしてまた、長い人生の歩みにおいて、
わたしに与えられた恵みと平安、それは父なる神さまと主イエスさま
からのものです。
あなたの恵み、あなたからの平安であっても、それを当たり前と思って、
実感がないために感謝もしないことが多い者です。
しかし、静かに思い起こす時、あのことも恵みだった、
このことも本当に恵みだったのだと言えます。
主よ、この恵みと平安を感謝します。」





