先日、ある病院でクリスチャンの兄姉に久し振りにお会いしました。
また、つい先日、ショッピングの時、
何十年も会っていなかったひとりの姉妹に声を掛けられました。
多くの人たちの中で、教会の外で、クリスチャンの方にお会いすると、
不思議な親しみを感じます。
これはいったいどういうことでしょうか。
ローマ
12:4 一つのからだには多くの器官があり、しかも、
すべての器官が同じ働きをしてはいないように、
12:5 大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、
一人ひとりは互いに器官なのです。(新改訳2017)
同じものを見ていて、ここに「一つ」と言われ、
また「多く」と言われています。
また、「大勢」と言われ、「一つ」と言われています。
何のことでしょうか。
難しい神学的な話ではありません。
わたしたち皆がもっている「からだ」のことです。
からだは一つであって、そこには手や足や目や耳や口などの
多くの器官があります。
これは当たり前のことで、分からないという人はいないと思います。
ここで、パウロは、そのわたしたちのからだが何と同じだと言っていますか。
ここでパウロは見えるものを見せて、見えないものを見せています。
見えるわたしたちのからだのことと、見えないキリストのからだのことです。
わたしたちクリスチャンもいろいろな人がいて大勢いるのですが、
一つであると言っています。
これは見えるようで見えません。
主イエスを信じる人たちは、キリストにあって一つのからだである
と言われています。
別のところでは、それは「キリストのからだ」です。
1コリント12:27
あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
(口語訳)
信仰歴の長い人、短い人の違いがあっても、教会の大小の違いがあっても、
教団、教派の違いはあっても、わたしたちクリスチャンは一つです。
しかし、それは何かの組織や規則によって一つになるのではなく、
キリストにあって一つなのです。
教会の外で、クリスチャンに出会うと、不思議な近親感を覚えるのは、
そういうわけですね。
あなたもそういう経験がおありだと思います。





