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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「証しーただ恵みのゆえに」

2022年08月30日 05時30分27秒 | 証紹介

 

最近、新しく始めたバイブルトークのグループで、

素晴らしいあかしをお聞きしました。

そのあかしの原稿を送っていただき、許可もいただきましたので、

ここに紹介させていただきます。

 

証し 竹山春美(東近江キリスト福音教会)

 

ただ恵みのゆえに

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。

わたしがあなたがたを選び任命したのです。」ヨハネ15:16

「あなたがたは恵みのゆえに信仰によって救われたのです。

それは自分自身から出たことではなく神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです」。

エペソ2:8,9

 

イエス様との出会い  

私は中学生の時にイエス様と出会いました。

子供向けの聖書通信講座に導かれ、最後の章にあった

「私はイエス様を信じます」という信仰告白をしました。

1965年、13歳の事でした。

今振り返ってみますと、そのことの故に、

守られ生かされて来たのだとつくづく思います。

 

弱さを負って

私には先天性の目の病がありました。

当時私の家は、叔父や叔母達を含め11人の家族で、

家族関係はあまり芳しいものではありませんでした。

私はこの味方同士の争いに心を痛め、弱さを抱えた幼い私を受け入れ

愛してくれる存在を切に求めていました。

 

私は、だんだんと自己主張の出来ない内向的消極的な性格に

なっていきました。

 

水のバプテスマ   

1987年4月、34歳で水のバプテスマ、洗礼を受けました。

それまで、自分の力でクリスチャンになろうと頑張っていた私に、

「救いは恵みによります。神様からの無償のプレゼントを、

ただ受けるだけでいいのです。」という説教者の言葉によって

決心することが出来ました。

 

クリスチャンホームとしての出発   

受洗の年の9月に、義母が亡くなり試練の時期を過ごしました。

刺すような視線の中で、焼香はしない、偶像は拝まない

と一生懸命でしたが、そんな未熟な信仰の私を、

未信者の夫はかばい支えてくれました。

 

1990年7月、夫40歳、長女12歳、長男9歳が洗礼の恵みに与かりました。

「主イエスを信じなさい。

そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」使徒16:31

神様のお約束の確かさに心から感謝しました。

 

十字架 まことの癒し

それは幻か夢か定かではないのですが、私は重い荷物を背負って、

とぼとぼと一本の細い道を歩いていました。

見上げるとその道の果てに、木の十字架が見えました。

急いでそこへ行くと、急に背中が軽くなり、振り返りますと、

背後の空に写し出された過去の悲しい出来事が一瞬のうちにセピア色に

変わり、心の中に「赦し」という言葉が響きました。

その時より、私を縛っていた自己憐憫や許せない思いから

徐々に解放されて行きました。

 

父からのメッセージ

クリスチャンホームとして歩み出したものの、

40歳という世でいう厄年の闘いがあった夫は、節分の朝、

大きな励ましの夢を見ました。

この事がきっかけで、「ちいろばくらぶ」という子供伝道が我が家で

開かれました。

 

2003年11月、私の父がイエス・キリストを信じて76歳で天に召されました。

重い糖尿病で寝たきりの状態でした。

母が周りの支えと励ましによって決断し、その地域では初めて、

キリスト教式で葬儀を行うことができました。

 

その後、一人の叔母が私たちに、

「あんたらは、お兄さんが天国へいかはったって言うけど、

どこに証拠があるんや。」と詰め寄りました。

「聖書に、イエス様を救い主として信じると、

罪赦されて天国にいけると書いてあるのやわ。神様のお約束やから。」

話しても、納得のいかない顔をして叔母は帰って行きました。

 

翌日、がっかりしている私のところに、

昨日の出来事を何も知らない長女が、こんな話しをしてくれました。

「夕べ、珍しくおじいちゃんの夢みてなあ。白い衣を着たおじいちゃんは、

私よりも若々しくて元気で、今にも飛び跳ねそうな様子で

、話しかけてきやはってん。

『――由美子、みんながなあ、おじいちゃんはどこへ行ったんや

と聞いたらな。大喜びして、神様を賛美してくれるように言うてくれ。

なんでならなあ、おじいちゃんは今天国にいるんやからな。――』

そう言わはってん。」

 

終わりに   

父が召された後、それまで熱心な仏教徒であった母が、

「私も、お父さんと同じところに行きたい。」と信仰を告白し、

私の妹と共に受洗の恵みをいただきました。

 

家族の中で一番小さく貧しい私を選んでくださり、

神様のお働きに召してくださっていることを感謝します。

失敗ばかりの工事中の私をも、イエス様は愛し憐れんで、

いつも共にいてくださいます。

この後も、夫と共にイエス様に、お仕えしていきたいと願っております。

「しかし神は、知恵ある者を恥ずかしめるために、

この世の愚かな者を選び、強い者を恥ずかしめるために、

この世の弱い者を選ばれたのです。」第1コリント1:27

栄光在主

 

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「カテゴリーにまとめを」

2022年08月29日 17時52分57秒 | 資料紹介

資料紹介

 

いつも、このブログに目を通してくださり、感謝です。

以前投稿しているものについて、少し整理しましたので、

関心のある方は、テーマごとにまとめていますので、探してみてください。

右下の欄の「カテゴリー」というところです。

なお、記事の日づけで検索ができるようになっています。

それはその上の方にある「カレンダー」からです。



わたしとしては、

「神のいのちシリーズ」

「神の国とは」などのシリーズに、

特に目を通していただきたいと思っています。

 

共に御国のために

 

 

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「とりなしの祈り」

2022年08月26日 05時30分27秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

イエス・キリストとはどういう方なのか。

ローマ人への手紙の中から見ていっています。

 

ローマ

8:33 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。

神は彼らを義とされるのである。

8:34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。

キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、

神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。

(口語訳)

 

今回は、文章として力強い表現となっている口語訳を選びました。

今も口語訳を使っておられる方々も多いと思います。

わたしも長年ずっと口語訳でしたが、最近は、

主として新改訳2017を使っていて、口語訳、新共同訳、

英訳(NIV、NKV)などと読み比べています。

他の訳を読み比べると、意味がハッキリしてくる場合もあります。

 

ところで、神に選ばれた者たちが訴えられるのは、どういう場合でしょうか。

昔は日本でも、クリスチャンが現人神と言われた天皇陛下に頭を下げない

ということで、不敬罪の罪に問われた時代もありました。

今はそんなことはありませんが、

それでも「あの人はあれでもクリスチャンなのか」とか、

「あんなことをした人間がどうして神に選ばれたと言えるのか」などなど、

このような訴えもあると思います。

 

他の人ではなく、自分で自分をそのように責めている場合もないでしょうか。

 

しかし、この聖書のみ言葉によればです。

十字架につけられて死んだ後、復活され、神の右の座に着いておられる方、

イエス・キリストがそのようなわたしたちのために

とりなして下さっているのです。

 

誰かが分からない所で、あなたのために祈ってくれていたことが分かると

嬉しいですね。

(そうでもないです。)

そうですか。わたしは嬉しいです。不思議な喜びを感じます。

 

他でもない、主イエスさまが神の右の座にあって、

わたしの名前を挙げて、とりなし祈ってくださっているとするなら、

このとりなしの祈りは聞かれるに違いありません。

「それでも、あの人はわたしを神の子と信じて、受け入れているのです。

ですから・・・。」

 

この主イエスさまのとりなしの祈りをわたしもあなたも必要としています。

わたしの愚かさ、不信仰、いたらなさ、心の中のいろいろな思い、

そうした、とりなして祈っていただく必要のあることのためです。

 

「主イエスさま、今日この日まで、わたしの信仰が支えられ、

守られてきたのは、自分の努力や頑張りや熱心さではなく、

背後でのあなたのとりなしの祈りがあったことを知りました。

そうであるなら、あなたのその祈りを本当に感謝します。」

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「頭が良いから、賢いからなのか」

2022年08月23日 08時14分21秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙8章からイエス・キリストとはどういう方なのかを

見ています。

イエス・キリストのことならもう分っていると思っていた人にも、

新しく何かの啓示が与えられているでしょうか。

 

ローマ8:32

私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された

神が、どうして、御子とともにすべてのものを、

私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。(新改訳2017)

 

「ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が」とあります。

イエス・キリストはこの地上でナザレのイエスとして33年の人生を

生きられました。

そしてまた、釈迦や孔子やマホメットと並べられて一つの宗教の教祖と

見られています。

クリスチャンでない人たちからも素晴らしい人物であったとも

評価されています。

 

しかし、しかしです。

このナザレのイエスと言われた方が、十字架につけられて死んでいった

そのイエスが、実は神の子であったと聖書は言っています。

これは一般的には認められていない驚くべき発言です。

 

神は目に見えない方ですが、このイエスをご自身の御子として

十字架の死に渡されたと言われています。

これはとんでもないウソか、そうでなければ、本当か、どちらかです。

 

ところが、わたしの知る限り、聖書はイエスがそのような神の子であると、

誰にでも分かるように説明し、納得させようとはしていません。

そうではなく、ナザレのイエスが実は神の子であったと信じる、

その信仰が求められています。

そうです。信仰です。

頭で理解して分かるという知性による納得ではありません。

 

あの人は信仰が熱心だ、とか、わたしはあまり熱心ではない、

とかという話を聞くことがあります。

信仰とは何でしょうか。

 

基本は、あのナザレのイエスと言われた、

その方が実は神から遣わされた神の子であったと信じ、受け入れることです。

そう信じる人はすべての罪が赦され、永遠のいのち(神のいのち)が

与えられるというのです。

それを救いと言います。

 

そして、聖書はまたスゴイことを言っています。

 

Ⅰコリント 12:3

ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。

神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と

言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、

だれも「イエスは主です」と言うことはできません。(新改訳2017)

 

あのナザレのイエス、いつもご自分のことを「人の子」と言っておられた

あの方が、主なる神の子であると告白するのは、

その人が、頭が良いからとか賢いからと言うのではなく、

聖霊、つまり神の御霊によるのです。

 

どう思いますか。

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「あなたはひとりではない」

2022年08月19日 05時30分56秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

アメリカから来た人や韓国の人など、

クリスチャンの人に出会った時、初対面の外国人であっても、

なぜか親戚のような感じをもったことはありませんか。

 

(言葉が通じないので、あまり話したことはありません。)

 

いや外国人ではなくても、

日本人のクリスチャン同士で初対面の人であっても、

同じような経験をしたことがありませんか。

 

(そうですね・・・。)

 

わたしはあります。

同じ信仰をもっているからと言えば、そうですが、

それでも神の家族としての不思議な近親感を覚えるという、

そういう経験をした人は少なくないと思います。

 

(神の家族としての親近感を感じるのはなぜなのか。

その理由があるのですか。)

 

今日の聖書の個所は、そのことの理由というか、

分かりやすい説明とも言えます。

 

ローマ 8:29

神は、あらかじめ知っている人たちを、

御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。

それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。

(新改訳2017)

 

御子、主イエスが長男で、後にその兄弟が沢山いるのです。

生まれ育ちや年齢、人種や国籍が違っても、

御子のかたちと同じ姿に変えられていきます。

そのように定められているのです。

ですから、お互いにそれまでは見知らぬ人であっても、

挨拶をしたりしていく中で、そこに近親感を覚えることがあっても

決して不思議ではありません。

 

(しかし、不思議なことですね。)

 

ということで、あなたはひとりではありません。

世界中に沢山の親せきがいます。

 

日本人のひとりであるあなたの信仰のあかしを聞くと、

それがどんなにごく普通のあかしであっても、

とても喜んで聞いてくれる人たちが世界中にいるのです。

もちろん、通訳を通してですが。

どう思いますか。

 

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