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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「神がいるのなら、見せて見ろ」

2022年07月29日 05時30分11秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙7章に入っています。

イエス・キリストとはどういう方なのかを求めています。

7章には4節の他にもう一か所、

イエス・キリストが出てくるところがあります。

 

ローマ7:25

私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。

こうして、この私は、心では神の律法に仕え、

肉では罪の律法に仕えているのです。(新改訳2017)

 

前のところの7章4節では、律法に対して死んでいる、

それはキリストを通してでした。

ここでは、神に感謝することも、それはキリストを通してです。

 

子どもがお母さんを通してお父さんに何かを言う場合がありますね。

子どもはお母さんの方が身近にいて、近い関係にあるからでしょうか。

 

同じようにキリストを通して神に感謝するのです。

イエス・キリストの方が身近におられ、

あなたやわたしに近い関係にあるからです。

お祈りの最後につける言葉もそうですね。

「この祈りを主イエス・キリストの御名によってお献げします」と祈ります。

イエス・キリストはなぜ、そのようにわたしたちに近い、

身近な方なのでしょうか。

 

それはイエスが、神の独り子であられたにもかかわらず、

「人の子」として人間の姿をとってこの世に来られ、

この地上で33年の人生を生きてくださったからです。


聖書の中の4つの福音書には、写真かビデオのようにその姿がありありと

描かれています。


「神がいるのなら、見せて見ろ」と言われたことはありませんか。

そういう人たちの問いに対して、神は答えておられます。

「わたしを見た者は、神を見たのである」とイエスは言われました。

 

ヨハネ14:9

イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと

一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。

わたしを見た人は、父を見たのです。

どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。」

(新改訳2017)

 

わたしを見た人は、父なる神を見たのです、とこんな大胆のことが

言える人がいるでしょうか。

このイエスは見えない神を見せているのです。

このイエスに対して、そのまま信じる人と、

「これは話にならん」と言って離れて行く人がいたとしても

不思議ではありません。

 

どちらが正しいのかを多数決で決めるとどうなるでしょうか。

次回に続きます。

 

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「死んだふりをしているのか」

2022年07月26日 05時30分26秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

暑さが続く中、お元気でしょうか。


暑い時期にローマ人への手紙は、学ぶのにあまり適当な個所では

ないかもしれません。

しかし、こういうみ言葉もあります。

 

詩篇42:1-2

 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。

わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。

いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。(口語訳)

 

ローマ人への手紙7章に入ります。

ここはひと言で言えば、律法について書かれています。

律法にはどういう役割があるのか。

律法から解放されているとは誰のことか。

 

パウロは自分のことを使徒とも言っていますが、

ここでは自分は「本当にみじめな人間です」と言っています。

どういう意味でしょうか。

 

わたしが見落としていなければ、この7章には4節と25節の2か所にだけ、

キリストという言葉が出てきます。

この章では、キリストとはどういう方でしょうか。

 

ローマ 7:4

ですから、私の兄弟たちよ。

あなたがたもキリストのからだを通して、律法に対して死んでいるのです。

それは、あなたがたがほかの方、すなわち死者の中からよみがえった方の

ものとなり、こうして私たちが神のために実を結ぶようになるためです。

(新改訳2017)

 

(ここで死んでいるとは、律法のことですか。

それともわたしたちのことですか。)

 

(律法がもう必要でなくなり役に立たないものとなったのではありません。

律法に対してこちらが、つまりイエス・キリストを信じている者、

あなたやわたしの方が死んだことになっているのです。)

 

(つまり、律法に対しては死んだふりをしているということですか。)

 

(寝たふりをする人はいますが、死んだふりはどんな時にしますか。

ここでは、死んだふりではなく、「死んでいるのです」と言われています。

前にも言ったことですが、これは目で見える現実のことではなく、

目に見えない霊的な事実です。

また、自分で努力して死ぬのでもありませんし、死んだふりでもありません。

キリストを信じ、受け入れている人は、

キリストのからだを通して律法に対して死んでいるのです。

これは霊的な事実ですから、認めて受け入れるだけです。)

 

(何のためにそうする必要があるのですか。)

 

(良い質問ですね。

その4節の後半に、何のためなのかがハッキリ語られていますね。

ここには素晴らしいことが言われています、認めて受け入れますか。)

では、次に進みます。

(???)

次回は、7章25節です。

 

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「神の賜物、永遠のいのち」

2022年07月22日 05時30分29秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

さて、ローマ人への手紙6章11節以降は、

イエス・キリストについてのハッキリしたことは出てきませんが、

最後の23節に出てきます。

 

6:23 罪の報酬は死です。

しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

(新改訳2017)

 

ここにはどういう対比がありますか。

(死と永遠のいのちですね。)

(そうですね。これは対比です。

また、罪の報酬と神の賜物、これも対比と言えるかもしれません。

罪の結果としての報酬が死であり、もう一つは、神の下さる賜物は

永遠のいのちです。)

 

(「キリスト・イエスにある永遠のいのち」という言い方は、

分かるようで分かりにくい言い方ですね。)

 

(「キリスト・イエスにある」という言い方も分かりにくい言葉ですが、

このパウロの手紙の中では、とてもよく出てくる言葉です。

この前の所の11節でも、「キリスト・イエスにあって、

自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、

認めなさい。」とありました。

 

キリストとの関係とつながりの中で起こっていることについて、

パウロはいろいろな言い方で語っています。

「キリストにあって」、とか、「キリストにある」という言葉が、

これまでどのように使われているかをもう一度ご自分で確認されると、

もっとハッキリしてくると思います。)


(そんなことを言って、説明できないのですか。)

???

暑い時期ですので、短めに終わり、次回はローマ人への手紙7章に入ります。

 

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「信じて、分かる世界」

2022年07月19日 05時30分10秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

うちのおじいちゃんは死んでお墓に葬られている。

しかし、生きていてわたしたち家族を見守ってくれている、

と言ったとしても、この日本の社会では、

「この人、変なことを言っている」とは思われません。

 

そうですね。テレビなどで有名人の葬儀の場面が放送され、

その時、遺影に向かって、来賓の方々が語りかけていますね。

生きている人に言っているようにです。

つまり、死んだけれども、語りかけている人の言葉が聞こえているという

感じですね。

 

このローマ人への手紙6章では、

キリストは死者の中からよみがえって・・・死はもはやキリストを

支配しない、と言われています。

 

9節のここでは「私たちは知っています」とあります。

前のところでは、「私たちは信じています」と言っていました。

 

そうです。信じた後、分かるようになります。

これは誰かに説明されて分かるのとは少し違います。

これが霊的な事実です。

 

さて、ここでイエス・キリストとはどういう方でしょうか。

                           

6:11 同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、

自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、

認めなさい。

 

「信じています」「知っています」とありましたが、

今度は「認めなさい」です。

 

年を取ると、今あったことを簡単に忘れてしまいます。

わたしなど、そういう忘れやすくなった自分のことをなかなか認めたくない

気持ちもあります。

あなたも、人に言われて簡単に認めることもあり、

なかなか認められないこともありますよね。

(ありません。)

??

主イエスを信じたあなたはキリストにあって罪に対して死んだ者であり、

神に対して生きている者です。

この霊的な事実は、認めるか認めないかの二つにひとつです。

ここでは、「認めたらどうですか」とは言われていません。

「認めなさい」と命じられています。

 

罪に対して死んだとは、

キリストと共に十字架につけられて死んだということです。

「わかりますか」と言われていません。

「認めなさい」と言われています。

わたしが言っているのではありません。

パウロが聖霊によって言わされているのです。

 

イエス・キリストとはどういう方か。

このローマ人への手紙では、キリストのことを神学的に、教理的に語って、

分からせようとしていません。

わたしやあなたとの切り離せない関係、つながりの中で語られています。

どう思いますか。

 

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「歴史的な事実と霊的な事実」

2022年07月15日 05時30分52秒 | ローマ人への手紙より「キリストを知る」

 

ローマ人への手紙の6章に入っています。

 

バプテスマについて、が話題となっています。洗礼のことですね。

 

6章6節で、「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられ・・・」

とあります。

 

(わたしはそのようにキリストとともに十字架につけられたという自覚はない

のですが・・・)

 

(4節によれば、バプテスマとは、キリストの死にあずかるバプテスマ

なのです。

ここでパウロはどうしてわたしたちの古い人がキリストと共に

十字架につけられたのか、という詳しい説明をしていません。

ただ、事実として語っているだけです。)


(なぜ、それを事実と言えるのですか。)

 

(これは歴史的な事実ではなく、霊的事実です。

歴史的な事実は、説明されて理解できます。

しかし、霊的な事実は説明されて理解できるとは限りません。

しかし、信じて受け入れる人には、理解できるものとなります。

ですから、6節は「わたしたちは知っています」と始まっています。)

 

6:7 死んだ者は、罪から解放されているのです。

6:8 私たちがキリストとともに死んだのなら、

キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。

 

(ここでも、わたしは「死んだ」という自覚はないのですが・・・)

(これも詳しい説明がなく、理解しにくいところですね。

そうです。キリストと共に死んだ人は、

キリストと共に生きることになるのですが、

これも説明されて、ああそうなのですか、と分かることではありません。

「…と、私たちは信じています」とあるように、

これは信じて受け入れる霊的な事実なのです。

 

わたし自身のことを言えば、自分の中にまだ古き人、

肉の人が死に切っていないことを日常生活の中で多々経験します。

それは事実ですが、それに気づいた時、わたしはその古い自分が

十字架に死んでいる、その霊的事実を認め、受け入れる祈りをします。

それによって何かが変わっていくことを経験しています。)

 

更に、イエス・キリストとはどういう方かについて見ていきましょう。

 

6:9 私たちは知っています。キリストは死者の中からよみがえって、

もはや死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しないのです。

6:10 なぜなら、キリストが死なれたのは、

ただ一度罪に対して死なれたのであり、

キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

 

(キリストは死なれた、しかし、生きておられる。

この言い方は、うちのおじいちゃんは死んで墓に葬られた。

しかし、生きていてわたしたち家族を見守ってくれている、

という日本人の一般的な言い方と似ている気がしますけど。)

どう思いますか。

次回に続きます。

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