ローマ人への手紙7章に入っています。
イエス・キリストとはどういう方なのかを求めています。
7章には4節の他にもう一か所、
イエス・キリストが出てくるところがあります。
ローマ7:25
私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。
こうして、この私は、心では神の律法に仕え、
肉では罪の律法に仕えているのです。(新改訳2017)
前のところの7章4節では、律法に対して死んでいる、
それはキリストを通してでした。
ここでは、神に感謝することも、それはキリストを通してです。
子どもがお母さんを通してお父さんに何かを言う場合がありますね。
子どもはお母さんの方が身近にいて、近い関係にあるからでしょうか。
同じようにキリストを通して神に感謝するのです。
イエス・キリストの方が身近におられ、
あなたやわたしに近い関係にあるからです。
お祈りの最後につける言葉もそうですね。
「この祈りを主イエス・キリストの御名によってお献げします」と祈ります。
イエス・キリストはなぜ、そのようにわたしたちに近い、
身近な方なのでしょうか。
それはイエスが、神の独り子であられたにもかかわらず、
「人の子」として人間の姿をとってこの世に来られ、
この地上で33年の人生を生きてくださったからです。
聖書の中の4つの福音書には、写真かビデオのようにその姿がありありと
描かれています。
「神がいるのなら、見せて見ろ」と言われたことはありませんか。
そういう人たちの問いに対して、神は答えておられます。
「わたしを見た者は、神を見たのである」とイエスは言われました。
ヨハネ14:9
イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと
一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。
わたしを見た人は、父を見たのです。
どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。」
(新改訳2017)
わたしを見た人は、父なる神を見たのです、とこんな大胆のことが
言える人がいるでしょうか。
このイエスは見えない神を見せているのです。
このイエスに対して、そのまま信じる人と、
「これは話にならん」と言って離れて行く人がいたとしても
不思議ではありません。
どちらが正しいのかを多数決で決めるとどうなるでしょうか。
次回に続きます。





