主イエスを信じている自分とはどういう者か、
その自分探しの旅、
その次は、わたしたちの信じている神とはどういう方か、
その神探しの旅と続けてきました。
そのためにローマ人への手紙を1回目、2回目と繰り返し
読んできました。
これはいつから始まったのでしたか。
去年のクリスマスの後、12月の年末から始まりました。
ですから、間もなく、半年になります。
そしてまた、ローマ人への手紙の最初からです。
3回目になりますが、準備はよろしいでしょうか。
主イエスを信じている自分とはどういう者か。
聖書の神とはどういう方か。
そして、いよいよイエスとはどういう方かについてです。
信仰歴の長い方々にとっては、
イエス・キリストのことはもうよく知っている
と思っておられることかもしれません。
わたしもそう思っている時がありました。
わたしたちがやっているバイブルトークでは、
いろいろなことを自由に話し合うのですが、
イエスとはどういう方なのか、
このことを着地点としてやっています。
そして毎回のように、ご自分のことを絶えず「人の子」と
言っておられるイエス・キリストとは
一体どういう方なのかに改めて気づかされ、
新たな出会いを経験することが少なくありません。
では、このローマ人への手紙の中では、
イエス・キリストとはどういう方として紹介されているでしょうか。
何と、ローマ人への手紙の1章1節にいきなり、
「キリスト・イエス」と出てきます。
この手紙の著者が、自分のことを自己紹介しています。
わたしはキリスト・イエスのしもべです、と。
これはキリスト論などと言われる教理的、
神学的な説明ではないですね。
わたしはかっては、神学的、教理的な説明を読んだり、
学んだりするのが好きでしたが、今はそうでもありません。
ここでパウロは、自分のことを言っているので、
とても具体的で分かりやすいです。
(イエス・キリストとは誰ですか。)
(わたしの主人です。そして、わたしはそのしもべです。)
(へぇー・・・・)
これは神学的な説明によって人に何かを分からせようとしている
のではなく、イエスを自分との関係の中で語っています。
そうです。関係です。
わたしとイエスはこういう関係、こういう間柄なのです、
と言って、イエスを紹介しています。
・聖書の中にあらかじめ約束されていた神の福音とは、
実は御子に関することなのです。
ここで御子と呼ばれている方こそ、
実はイエス・キリストのことです。(1:2,3)
(実は、福音とは、ひと言で言えば、イエス・キリストのことです。
イエス・キリストのことが分かる人は、
福音、良い知らせ、グットニュースが心の耳に入ってくるのです。
福音を語るというのは、単なる福音についての教理的な説明では
なく、御子イエス・キリストについて語ることであって、
それがすべての人にとっての良い知らせ、福音となるのです。
ですから、未信者であっても、イエスとはどういう方なのかを、
問うていくことは福音に触れることになります。
となると、わたしたちの伝道についての視点が変わってきます。)
・キリストは神の御子であられ、
御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、
力ある神の子として公に示された方です。
その方こそ、私たちの主イエス・キリストです。(1:3,4)
(キリストはどういう方なのか。
この説明はシンプルですね。
この言葉を暗記して言うよりも、クリスチャンが自分の言葉で
ー例えば大阪弁や東北弁であっても―言いかえることによって、
未信者への福音となります。)
・この方、キリストによって、その御名のために、
わたしたちは恵みと使徒的な務めを受けたのです。
それはすべての未信者の中に信仰の従順をもたらすためです。
(1:5)
(ここは「わたしたち」となっていますから、
使徒の務めを受けたのはパウロだけのことではありません。)
・異邦人の中にあって、
つまりこの日本という社会の中にあって、
わたしたちも召されてこの方、イエス・キリストのもの
となりました。(1:6)
(そうなのですね。
クリスチャンとは、一般的には何か、親切で良い人という印象が
ありますが、実は、本質において召されてキリストのもの
となった人たちです。)
・イエス・キリストとは、父なる神と同じように、
わたしたちに恵みと平安を与えてくださる方です。(1:7)
・祈りや感謝を神にささげる時、
わたしたちはイエス・キリストとのつながりの中で、
この方を通してすることができるのです。(1:8)
・御子イエス・キリストの福音を伝えること、
それよってわたしたちは神に仕えているのです。(1:9)
(何度も「御子の福音」という言葉が出てきます。
これは日本語としては、違った意味にも取れます。
御子が宣べ伝えていた福音という場合と、
御子その方自身が福音という場合です。
普通はどちらに取りやすいでしょうか。
わたしは後者に取っています。
1章3節にあるように、これは御子に関する福音です。
ということは、イエス・キリストご自身が福音なのです。
この方を信じる人は罪が赦され、救われるからです。
言いかえると、イエス・キリストがどういう方であるかを知り、
その方に出会い、その方を信じる人は救われるのです。
それ以外の多くの教理的な教えを
知らなければならないわけではありません。
となると、伝道とはもっとシンプルなものとなります。)