分かるところはしっかり受け取り、分からないところはそのままにして、
先へ進んでいく。
そのような読み方で、聖書を読むことは間違いではないですよね。
(間違いではなくても、何かスッキリしません)
聖書も普通の本と同じように「本」であることに変わりありません。
しかし、目に見えない、神、聖霊、人間の心の問題などを
語っている聖書を、普通の本と同じようには読めないのだということが
分かってきました。
(わたしはです)
普通の小説などは、人間の現実を鋭く、深く描いていて、
読者はそれに共感を覚え、感動することがあります。
それに比べて、聖書は人間の現実だけではなく、
神の現実をいろいろな表現や、言語で語っています。
(それで何を言いたいの)
聖書は聖霊によって書かれたと言っている意味が
少し分かってくる気がします。
ですから、読む側も聖書が分かっていくのは、実は、聖霊によるのです。
人の頭の良さ、賢さは素晴らしいことですが、
それだけで聖書は分からないのです。
(では、聖書の解説や注解書などはいらないのですか)
聖書の解説、注解書など、今日は聖書についての情報も
簡単に手に入れることが出来る時代です。
それはそれで必要です、大切です。
そのようにして聖書が分かることも素晴らしいですが、
聖書が分かるというのは、また「別のこと」があります。
(その「別のこと」の方がもっと難しいのではないのですか。
それは誰にでもはできない、もっと高度な聖書の読み方ではないのですか)
その「別のこと」を、今、ここでわたしたちは経験しています。
聖書が聖霊によって書かれたのであれば、
神さまは特別な賢い人にしか分からないように書いておられないと、
わたしは信じています。
前置き(?)が長くなりましたが、
この辺で、ローマ人への手紙7章に進みます。
自分探しの旅でしたね。
主イエスを信じているあなたやわたしは、どういう者でしょうか。
・死者の中からよみがえった方のものとなりました。(4節)
(これは1章にもありましたね)
・律法から解放されたわたしたちは、古い文字にはよらないで、新しい御霊によって仕えている者です。
(えっ、スゴイ。どういうこと?)
・肉的な者であり、罪の下にある者です。(14節)
・良いことをしたいという願いがあるのに、実行できない者です。(18節)
・したいと思う善を行わないで、したくない悪を行っている者です。(19節)
(なんだか、話がだいぶ違ってきました。また、暗い話ですね)
・からだには異なる律法があって、それが心の律法に挑戦し、
罪の律法のうちにとりこにされている者です。(23節)
(口語訳は、心の法則、罪の法則となっています)
・本当にみじめな人間です。(24節)
(えっ、誰のことですか)
パウロは自分のことを「惨めな人間」だと言っています。
確かに、彼は過去において、クリスチャンを迫害し、
酷いことをしていました。
今、そのことを振り返って、ひどく反省しているのでしょうか。
(いや、そうではないようです)
「私は本当にみじめな人間です」とは過去形ではなく、現在形です。
今の話ですね。
パウロが、そんなことを言うのであれば、
あなたやわたしはどうでしょうか。
昔のことではなく、今現在のことです。
神に愛され、義とされ、聖なる者とされていると言っていたのに、
これはまた、どういうことでしょうか。
(せっかく、恵まれていたのに、何か水をかけられたみたいです)
しかし、ここで落ち込まないでください。
それは、パウロやあなただけのことではないからです。
長くなりましたので、後は次回に続きます。





