詩篇29篇に入ります。
これは11節までの短いところですが、ダビデの歌で、
28章までのところとは、またガラッと変わっています。
この29篇のキーワードとも言える言葉は、力と栄光です。
力、栄光、言葉としては、何か抽象的な、現実離れした言葉と思えませんか。
29:1 神の子らよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。
29:2 み名の栄光を主に帰せよ、聖なる装いをもって主を拝め。
29:3 主のみ声は水の上にあり、栄光の神は雷をとどろかせ、
主は大水の上におられる。
29:4 主のみ声は力があり、主のみ声は威厳がある。
29:5 主のみ声は香柏を折り砕き、主はレバノンの香柏を折り砕かれる。
29:6 主はレバノンを子牛のように踊らせ、
シリオンを若い野牛のように踊らされる。
29:7 主のみ声は炎をひらめかす。
29:8 主のみ声は荒野を震わせ、主はカデシの荒野を震わされる。
29:9 主のみ声はかしの木を巻きあげ、また林を裸にする。
その宮で、すべてのものは呼ばわって言う、「栄光」と。
29:10 主は洪水の上に座し、主はみくらに座して、
とこしえに王であらせられる。
29:11 主はその民に力を与え、平安をもってその民を祝福されるであろう。
(口語訳)
テレビで相撲を見ていますか。
大相撲では、力士と言われますが、その力ある人たちが相撲をして
競い合います。
これはとてもわかりやすい「力」です。
そして、15日間、戦い抜いて、千秋楽の土俵の上で、
ひとりの力士に優勝カップが与えられます。
場内からは大歓声が起こります。
つまり、戦い抜いて優勝したひとりの力士が「栄光」を受けるのですね。
相撲に限らず、野球や、サッカーなどスポーツの世界で、
競い合い勝ち抜いた人やチームにナニナニ賞という栄光が与えられます。
これらはみな、同じパターンです。
「力と栄光」です。
ということはどういうことでしょうか。
人は昔も今も皆、力を称賛し、それに栄光を与えているということです。
不思議だと思いませんか。
この観点から、もう一度、詩篇29篇を読んでみてください。





