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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「祈りが聞かれて」

2021年07月30日 05時30分36秒 | 詩篇より

 

祈りが聞かれた経験のある人は少なくないと思います。

しかし、その後に心からの感謝と喜びの祈りをする人は

どのくらいいるでしょうか。

祈りが聞かれたことで多少は感謝するとしても、

後は忘れてしまうこともあります。

 

この詩篇21篇は前の20篇の続きのような感じです。

20篇が戦いの前の祈りであったとするなら、21篇は祈りが聞かれて、

戦いに勝利したことに対する感謝と喜びの祈りです。

ここに出てくる「王」とは、20章と同様、もちろんダビデのことです。

 

詩篇21:1~7【新共同訳】

21:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】

 21:2 主よ、王はあなたの御力を喜び祝い

御救いのゆえに喜び躍る。

 21:3 あなたは王の心の望みをかなえ

唇の願い求めるところを拒まず

 21:4 彼を迎えて豊かな祝福を与え

黄金の冠をその頭におかれた。

 

祈りが聞かれたとしても、それはたまたまそうなったと受け取る人もいます。

自分の努力、働きの結果だと思う人もいます。

いやされたあの10人のハンセン病(らい病)の人たちのうち、神を賛美するためにイエスのところへ帰って来たのは、あのサマリア人ひとりでした。(ルカ17:17,18)

 

祈りが聞かれた後もその起こったことを信仰の目で見ているのが、

この詩篇の著者です。

この詩篇の著者ダビデは、戦いに勝ったその出来事の背後に、

目に見えない主の御力、救いを見ています。

 

 21:5 願いを聞き入れて命を得させ

生涯の日々を世々限りなく加えられた。

 21:6 御救いによって王の栄光は大いなるものになる。

あなたは彼に栄えと輝きを賜る。

 21:7 永遠の祝福を授け、御顔を向けられると

彼は喜び祝う。

 

戦いで命を失うこともあり得たのですし、そこで地上人生は終わることも

あり得たのです。

しかし、祈りの願いが聞かれ、命を得、生涯の日々を限りなく

加えられたのです。

ですから、その戦いの勝利は主による救いであり、主からの栄光であり、

輝き、永遠の祝福につながっているのです。

ダビデ自身も全力を尽くして戦ったはずです。

部下の兵士たちの功績も大きかったと思いますが、

そのような目に見える現実以上に、ダビデは目に見えない主に

信仰の目を向けています。

祈りが聞かれたことがすべてではなく、そこから主とさらに深い信頼の関係、

祝福の関係、そのようなつながりが続いていくという先々への大きな希望、

喜びへと広がっています。

後半は、次回に続きます。

 

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「勝利のための祈りと信仰の告白」

2021年07月27日 05時30分06秒 | 詩篇より

 

詩篇20篇の後半です。

 

詩篇20:7-10【新共同訳】

20:7 今、わたしは知った

主は油注がれた方(者)に勝利を授け

聖なる天から彼に答えて

右の御手による救いの力を示されることを。

 20:8 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが

我らは、我らの神、主の御名を唱える。

 20:9 彼らは力を失って倒れるが

我らは力に満ちて立ち上がる。

 20:10 主よ、王に勝利を与え

呼び求める我らに答えてください。

 

この7節に出てくる「わたし」とは誰のことでしょうか。

また、「我ら」という言葉も6節、8~9節に出てきます。

また、この7節には「油注がれた方」が出てきます。

これはダビデの詩となっていますが、この詩を祈りとして

大勢の会衆が祈っています。

戦いに出て行く前のダビデ王のためにです。

ですから、その王ダビデが主に油注がれた者です。

新共同訳は「主に油注がれた方」となっていますので、

他の誰かのようですが、他の訳はすべて「主に油注がれた者」となっています

ので、7節の「わたし」がダビデであるなら、

これはダビデ自身のことを言っていると理解できます。

 

ダビデはかつて、あのペリシテ人の巨人ゴリアテをひとりで倒しました。

また、戦いから帰ってくると、「サウルは1000を討ち、

ダビデは万を討った」という歓声で人々はダビデを迎えました。

このように戦いにおいて勝利の実績を積んできているダビデでしたが、

人々は戦車や馬を頼りとせず、自分たちの神を、主の御名を誇りとすると言い、

王に勝利を与えてくれるのは、どこまでも主なる神であると告白しています。

 

そして、7節ではダビデ自身もその勝利と救いの力は主からくることを

告白しています。

これが、戦いに出て行く前の会衆と共に主の前に出て祈っていたダビデの姿で

あるとするなら、これは神の聖所の前でのスゴイ光景だと思いませんか。

今日も、神社の前で手を合わせて戦勝祈願をしている人たちがいるようです。

 

ここで、わたしたちも霊の戦いにおいて、賛美のいけにえと、

どこまでも主の力と救いを信頼し告白する祈りがどういうものであるかを

教えられます。

神の国の王なる主イエスは、十字架と復活によって、

すでに罪と死と悪魔に勝利されました。

その勝利を告白していく霊の戦いの祈りが今日のわたしたちにも

必要な時があります。

そのわたしたちに味方し、勝利をもたらしてくださる方がおられるからです。

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「供え物、いけにえ」

2021年07月23日 05時30分36秒 | 詩篇より

 

詩篇20篇に入ります。

一回分が長くなり過ぎないように、配慮しながら書いています。

 

詩篇20:1-6【新共同訳】

 20:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】

 20:2 苦難の日に主があなたに答え

ヤコブの神の御名があなたを高く上げ

 20:3 聖所から助けを遣わし

シオンからあなたを支えてくださるように。

 20:4 あなたの供え物をことごとく心に留め

あなたのささげるいけにえを快く受け入れ〔セラ

 20:5 あなたの心の願いをかなえ

あなたの計らいを実現させてくださるように。

 20:6 我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ

我らの神の御名によって

旗を掲げることができるように。

主が、あなたの求めるところをすべて実現させてくださるように。

 

4節で「供え物を」を主が心に留め、「いけにえを快く受け入れ」とあります。

供え物、いけにえは主に献げるものですね。

わたしの場合、どんな供え物、いけにえを神にささげ、

それを主が心に留めてくださり、快く受け入れてくださるのでしょうか。

 

わたしは感謝のささげ物、賛美のいけにえをささげるようにしています。

それは決められた集会の時だけではなく、ひとりの時でもです。

祈ったり、聖書を読んだりするデボーションの中に

賛美を入れてもよいのですね。

主へのささげ物としてです。

 

後期高齢者ですので、わたしの声はあまりよくないです。

歌もうまいとは言えず、人が聞くには耐えられないかもしれませんが、

自分なりに精一杯、小さな声で歌っています。

本当は大きな声で歌いたいのですが・・・。

歌が好きだからではなく、主へのささげ物としてです。

いつもではありませんが、それで恵まれる時もあります。

この詩篇のみ言葉によれば、主がわたしの心の願いをかなえ、

わたしの計らいを実現させてくださることも、この賛美のささげ物と

関係があるのですね。

 

この年になっても、私にはまだ願いがあり、ビジョンがあり、

計画していることがあります。

この国における神の国の拡大、前進のためのささやかな願いです。

次回に続きます。

 

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「詩篇からの祈り」

2021年07月20日 05時30分46秒 | 詩篇より

前回の続きです。

詩篇19:8-12(新共同訳)

 19:8 主の律法は完全で、魂を生き返らせ

主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。

 19:9 主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え

主の戒めは清らかで、目に光を与える。

 19:10 主への畏れは清く、いつまでも続き

主の裁きはまことで、ことごとく正しい。

 19:11 金にまさり、多くの純金にまさって望ましく

蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。

 19:12 あなたの僕はそれらのことを熟慮し

それらを守って大きな報いを受けます。

 

主よ、人の言葉は不完全ですが、あなたのみ言葉は完全で、真実であり、

わたしの弱っている魂を生き返らせ、無知なわたしに必要な時に、

知恵を与えてくださいます。

また、そのみ言葉はこの心に喜びを、この目に光を与えてくださいます。

あなたを畏れ敬う時、わたしの心は清くされます。

また、あなたがなされる裁きや判断は間違うことがありません。

これらはお金や純金にもまさって価値があり、また蜜よりも甘いのです。

 

そのあなたのみ言葉を思い巡らす者、それを守る者は大きな報いを受けます。

あなたはご自身のみ言葉をそのように重要視しておられるのです。

 

 19:13 知らずに犯した過ち、隠れた罪から

どうかわたしを清めてください。

 19:14 あなたの僕を驕りから引き離し

支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ

わたしは完全になるでしょう。

 19:15 どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない

心の思いが御前に置かれますように。

主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。

 

主よ、どうかわたしが知らずに犯した過ち、気づいていない罪から

清めてください。

あなたの僕であるわたしの内に、知らず知らずに起こってくる驕り高ぶる心から

わたしを切り離し、それに支配されないようにしてください。

そうすれば、わたしは重い背きの罪から清められます。

どうか、わたしの口の言葉、心の思いがあなたの前に明らかにされ、

それらがあなたのみ旨にかなうものとされますように。

主よ、あなたは不安定なわたしの心の支えであり、贖い主であられます。

 

 

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「感動と喜びを与えてくれるもの」

2021年07月16日 05時30分48秒 | 詩篇より

 

詩篇19篇に入ります。

わたしは通常は、朝の5時台の暑くなる前の涼しい時間帯に、

ウオーキングをしていますが、東の空が明るくなり、日が昇ってくる時、

大空の雲の様子を見るのが楽しみの一つです。

それも一日として同じ光景は見られません。

毎日日替わりのコースです。

もっとも、最近は雨続きで、予定のコースではなく、距離を縮めて、

傘をさして歩くこともありますので、黒雲が立ち込める空の様子は

そう感動できるものではありません。

しかし、晴れた日の明るくなってくるその大空に主の真実を見、

柔らかく広がっている雲に

主の慈しみを見ていた詩篇の時代の人たちのことも思う時もあります。

 

詩篇19篇【新共同訳】

19:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】

 19:2 天は神の栄光を物語り

大空は御手の業を示す。

 19:3 昼は昼に語り伝え

夜は夜に知識を送る。

 19:4 話すことも、語ることもなく

声は聞こえなくても

 19:5 その響きは全地に

その言葉は世界の果てに向かう。

そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。

 19:6 太陽は、花婿が天蓋から出るように

勇士が喜び勇んで道を走るように

 19:7 天の果てを出で立ち

天の果てを目指して行く。

その熱から隠れうるものはない。

 

主よ、ダビデはここで、何を言おうとしているのでしょうか。

上に見上げる、昔から変わらない天も大空も、目に見えないあなたの栄光、

あなたの御手のわざを表しています。

あなたは誰にも見えるようにそれらを見せておられます。

いや、見せておられるだけではなく、語り伝えておられます。

知識をも発信しておられます。

あなたのそのみ声は聞こえませんが、その響きが全地に広がっています。

そして、毎朝東の空から昇ってくる太陽は、

あたかも花婿のように、勇士のように喜びと力強さを見せて、

西の空に向かっていきます。

いや、地球が太陽の周りをまわっているのではないか、

という科学的な見地は横において、

今は、創造主なるあなたの見地から見ていくと、そこに感動と喜びがあります。

 

これは入場料など払う必要もなく、

誰にも自由に見ることができる大空の光景から得られるものです。

ダビデの時代と今の時代は、生活環境もすべての面で大きく変わっていますが、

太陽が東から昇り、西に沈んでいくというこの大空の光景は

3000年前も今もほぼ同じようではないかと思います。

次回に続きます。

 

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