祈りが聞かれた経験のある人は少なくないと思います。
しかし、その後に心からの感謝と喜びの祈りをする人は
どのくらいいるでしょうか。
祈りが聞かれたことで多少は感謝するとしても、
後は忘れてしまうこともあります。
この詩篇21篇は前の20篇の続きのような感じです。
20篇が戦いの前の祈りであったとするなら、21篇は祈りが聞かれて、
戦いに勝利したことに対する感謝と喜びの祈りです。
ここに出てくる「王」とは、20章と同様、もちろんダビデのことです。
詩篇21:1~7【新共同訳】
21:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
21:2 主よ、王はあなたの御力を喜び祝い
御救いのゆえに喜び躍る。
21:3 あなたは王の心の望みをかなえ
唇の願い求めるところを拒まず
21:4 彼を迎えて豊かな祝福を与え
黄金の冠をその頭におかれた。
祈りが聞かれたとしても、それはたまたまそうなったと受け取る人もいます。
自分の努力、働きの結果だと思う人もいます。
いやされたあの10人のハンセン病(らい病)の人たちのうち、神を賛美するためにイエスのところへ帰って来たのは、あのサマリア人ひとりでした。(ルカ17:17,18)
祈りが聞かれた後もその起こったことを信仰の目で見ているのが、
この詩篇の著者です。
この詩篇の著者ダビデは、戦いに勝ったその出来事の背後に、
目に見えない主の御力、救いを見ています。
21:5 願いを聞き入れて命を得させ
生涯の日々を世々限りなく加えられた。
21:6 御救いによって王の栄光は大いなるものになる。
あなたは彼に栄えと輝きを賜る。
21:7 永遠の祝福を授け、御顔を向けられると
彼は喜び祝う。
戦いで命を失うこともあり得たのですし、そこで地上人生は終わることも
あり得たのです。
しかし、祈りの願いが聞かれ、命を得、生涯の日々を限りなく
加えられたのです。
ですから、その戦いの勝利は主による救いであり、主からの栄光であり、
輝き、永遠の祝福につながっているのです。
ダビデ自身も全力を尽くして戦ったはずです。
部下の兵士たちの功績も大きかったと思いますが、
そのような目に見える現実以上に、ダビデは目に見えない主に
信仰の目を向けています。
祈りが聞かれたことがすべてではなく、そこから主とさらに深い信頼の関係、
祝福の関係、そのようなつながりが続いていくという先々への大きな希望、
喜びへと広がっています。
後半は、次回に続きます。





