主がどういう方であるかが、続いています。
詩篇18章17~25節までは自分にとってどういう方であるかが、
いろいろな角度で語られていますが、26節からは
主がどういう方であるかが、更に広がっています。
18:26 あなたの慈しみに生きる人に
あなたは慈しみを示し
無垢な人には無垢に
18:27 清い人には清くふるまい
心の曲がった者には背を向けられる。
18:28 あなたは貧しい民を救い上げ
高ぶる目を引き下ろされる。
18:29 主よ、あなたはわたしの灯(ランプ)を輝かし
神よ、あなたはわたしの闇を照らしてくださる。
18:30 あなたによって、わたしは敵軍を追い散らし
わたしの神によって、城壁を越える。
26,27節は、英語訳ではこうなっています。
With the merciful You will show Yourself merciful;
With a blameless man You will show Yourself blameless;
With the pure You will show Yourself pure;
And with the devious You will show Yourself shrewd. (NKJV)
憐れみ深い人には、主はご自身を憐れみ深いものと示される、というのです。
これは主イエスの山上の垂訓の一節を思い出す言葉です。
「憐れみ深い人たちは幸いである。その人たちは憐れみを受ける」
(マタイ5:7)
つい最近、あるグループのバイブルトークで一緒に学んだ個所ですが、
あのローマの百人隊長は、中風で苦しんでいる自分のしもべのことで
イエスのところへやって来ました。
このしもべのために、隊長自らイエスにお願いに来ています。
イエスはすぐに、「わたしが行って、なおしてあげよう」と言われました。
(マタイ8:5~)
以前には気づかなかったのですが、
今回このお話から改めて気づかされたことがあります。
自分の家で働いているしもべ、奴隷であったかもしれないその人が
病気で苦しんでいる。
そのしもべに憐みの心をもっていた、この百人隊長に対して、
イエスも憐れみの心を示しておられます。
主の慈しみに生きる人に、主は慈しみを示されるのです。
次回に続きます。





