詩篇9:7~10
しかし主はとこしえに、み位に座し、さばきのために、
みくらを設けられました。
主は正義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれます。
主はしえたげられる者のとりで、なやみの時のとりでです。
み名を知る者はあなたに寄り頼みます。
主よ、あなたを尋ね求める者を、あなたは捨てられたことがないからです。
(口語訳)
神の御座は裁きの御座です。
主はとこしえにその御座に着いておられ、世界を正しく治め、
公平な裁きをされるのです。
しかし、現実はどうでしょうか。
不正がはびこり、国々の指導者が勝手なことをしています。
絶えず、不安定な政治がなされ、事件の後には裁判が行われています。
国連でも裁ききれない国と国との争い、解決困難な様々な問題が
世界中の人たちを不安にしています。
けれども、このみ言葉によれば、主なる神はとこしえに裁きの御座に
着いておられるのであって、決して、今は開店休業の状態ではありません。
この詩篇9篇はダビデの祈りです。
これは神の国と神の義を求める信仰であり、祈りでもあります。
新約の光に照らして、主イエスのみ言葉によれば、そのように言えます。
このように神の国と神の義を求める人たちが必要です。
神の裁きがなされるためです。
神の国であっても王がひとりいるだけであれば、
それは神の国とは言えません。
王がいて、その国の民がいて、支配領域があってこそ神の国です。
目に見える現実がどうであれ、神などいるはずはないと思えるような
現実であっても、この神の主権と裁きが現わされる神の国を信じ、
それを求める人たち、つまり御国の民がいてこそ、王なる方の正しい裁きが
なされ、神の義が現されます。
ここに「御名を知る者」、「主に寄り頼む者」、「主を尋ね求める人」が
出てきますが、この人たちこそ御国の民と言える人たちです。
世界で不法がはびこり、何が善で何が悪なのか分からないような時代の中で、
マスメディアから聞かされる情報だけで何かを判断し、批判的な思い、
裁きの思いに心を支配されるのではなく、この現実の中でも、主に寄り頼み、
主を尋ね求める人たちです。
その神の国とその義とが現わされる時、この後の9篇10~19節の御業が
起こされるのではないでしょうか。





