詩篇4篇です。
ここもまた、素晴らしいところです。
わたしは今、日本語は4種類、英語は3種類の聖書の訳を見ています。
悩ましいことは、いくつかの点で、訳が違うのです。
その違う点をいろいろと比較していくと、かえって混乱してしまいます。
それで他の訳も参考にしながら、一応、ここは口語訳から見ていきます。
詩篇4:1~8
わたしの義を助け守られる神よ、わたしが呼ばわる時、お答えください。
あなたはわたしが悩んでいた時、わたしをくつろがせてくださいました。
わたしをあわれみ、わたしの祈をお聞きください。
人の子らよ、いつまでわたしの誉をはずかしめるのか。
いつまでむなしい言葉を愛し、偽りを慕い求めるのか。
しかしあなたがたは知るがよい、主は神を敬う人をご自分のために聖別されたことを。
主はわたしが呼ばわる時におききくださる。
あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。
床の上で静かに自分の心に語りなさい。
義のいけにえをささげて主に寄り頼みなさい。
多くの人は言う、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように。
主よ、どうか、み顔の光をわたしたちの上に照されるように」と。
あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした。
わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。(口語訳)
まず、最初に「わたしの義を助け守られる神よ」と言っています。
気になる言葉です。
「わたしの義」とありますが、あなたやわたしの義とは何でしょうか。
この義という言葉はピンとこない言葉です。
新約の光から見ると、どうなるでしょうか。
そこで思い出してください。
ルカ18章にある、主の宮に祈りに行ったあのふたりの人のことです。
目を天に向けようともせず「罪人のわたしをおゆるしください」と祈った取税人の方が、
神に義とされて帰って行きました。
この話覚えていますね。
これはとても分かりやすい義についての説明となります。(今風の言い方?)
この正直な祈りを通して、彼は神との安心できる関係に入れてもらったのです。
義とはそういうことです。
その自分の義を助け守ってくださる神、と呼び掛けているのがこの詩篇の著者です。
これは短いひと言ですが、自分は神のことをどう思っているのかという信仰告白とも言えます。
祈りの中で、このような信仰の告白をしてもよいのですね。
いや、すべきなのですね。
後の方に、「義のいけにえ」という言葉も出てきます。
次回に続きます。





