goo blog サービス終了のお知らせ 

浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「主を尋ね求める人」

2020年08月28日 04時47分11秒 | 詩篇より

詩篇70:4

すべてあなたを尋ね求める者は、あなたによって喜び楽しむように。

あなたの救を愛する者は、つねに「神は大いなるかな」ととなえるように。(口語訳)

Let all those who seek You rejoice and be glad in You; And let those who love Your salvation say continually," Let God be magnified!" (NKJV)

 

主を尋ね求める人、それはどういう時、どういう人のことでしょうか。

この時、ダビデは、自分の命をねらう者によって危機的な状況に置かれていたようです。

そして心貧しく身をかがめています。

そのような状況が変わることを願いながら、主を尋ね求めています。

このダビデの姿は、主を尋ね求めるのは、何も問題もなく、日曜日の静かな朝、

静かな教会の建物の中だけですることだという感じではありません。

状況がそのように不安で、危機的な中にあると、普通は主に心を向ける余裕もないかもしれません。

しかし、ダビデは違います。

そのような不安定な状況の中で逆に主に心を向け、主を求めているのです。

今、こんな時、そんなことをしていてよいのかという不安はなかったのでしょうか。

主を尋ね求める人はすべて、主によって喜び楽しむ、とあります。

喜びや楽しみを求めている人は、主を求める必要があります。

えっ、信仰とはそういうものですか。

喜びや楽しみを求めるのは別のところであって、主を求めることもまた別の時ではないのですか。

主によって、主にあって、喜ぶ喜びというものがあります。

主を信じて救われた、その救いを愛する者、それを忘れず大切に思う人たちは、主の偉大さをほめたたえる人たちです。

その人たちはまた、主を求める人となります。

そこに喜び楽しみを見出す人となります。

信仰が試される時、強められる時があります。

それは平穏で何も問題もない日々を過ごしている時ではありません。

問題、困難、思うようにならない状況、その中で主を尋ね求める人たちは、主からの救いを体験し、

そこから主を賛美し、主をほめたたえる者とされます。

どう思いますか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「重荷」

2020年08月25日 05時07分30秒 | 詩篇より

詩篇68:20,21

日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。

神はわれらの救である。

われらの神は救の神である。

死からのがれ得るのは主なる神による。(口語訳)

ほむべきかな主。

日々私たちの重荷を担われる方。

この神こそ私たちの救い。

神は私たちの救いの神。死を免れるのは私の主【神】による。(新改訳2017)

 

このみ言葉は、さっと読めばそれだけの言葉です。

特に心を引き、興味をもたせてくれる言葉ではないかもしれません。

日々、毎日毎日、わたしたちはこの人生、何らかの重荷を負って生きています。

必ずしも皆がみんな同じ重荷を負ってはいません。

人によってその重荷は違っています。

若い時の重荷と高齢者になってからの重荷とはまた違ってきます。

子育ての重荷が終わったと思えば、次の重荷が待っています。

子どもが小さい時は手を使い、少し大きくなるとお金を使い、さらに大きくなると気を使うという風にです。

そして、気疲れし、心休まることがありません。

人から見ると、そんなのは重荷とは言えないと言われても、当人にとってはやはり重荷であることに変わりありません。

しかし、わたしたちのその重荷を負ってくださる方がいるのです。

しかし、それは自動的にそうなるのではありません。

重荷を主にゆだねる人に対してです。

主にゆだねると、主から指示やアイデアが与えられることもあります。

「すべて重荷を負って苦労している人はわたしのもとに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげよう」と言われたのは、誰でしたか。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「乾ききった大地」

2020年08月21日 05時14分49秒 | 詩篇より

詩篇63:2

神よ、あなたはわたしの神。

わたしはあなたを捜し求め、わたしの魂はあなたを渇き求めます。

あなたを待って、わたしのからだは乾ききった大地のように衰え、水のない地のように渇き果てています。(新共同訳)

 

普通、わたしたちは神を「わたしたちの神」と言います。

しかし、ダビデは「わたしの神」と言っています。

ずうずしいと言うか、神を自分ひとりで独占しているかのようです。

遠慮して、遠く離れて近寄りがたい神ではないですね。

しかし、その神を捜し求めていると言っています。

目に見えない神を捜し求めているのです。

なぜですか。

心が渇いているからです。

水のない地、水がないため、からからに乾ききった大地のようにです。

 

早朝、ウォーキングをしている道のそばに青々と広がって稲が育っている田んぼがあります。

しかし、その地面が干からびてひびが入っている時があります。

翌日、水が入っていて、ほっとします。

 

暑い日が長く続き、雨を待っている人のように主なる神を待っているとダビデは言っています。

その待ち方が普通ではないですね。

心の渇きを満たしてくれる方法は他にもあったかもしれません。

 

神に代わって心をうるおし、満たしてくれるものは、今日あの手この手で提供されています。

ただ、それは一時的で、すぐにまた別の代わりを求めなければなりません。

そして、それもまた一時的であって、すぐにまた渇きます。

また、別のものを捜します。

この繰り返しで、年を取っていき、この人生を終えていくのでしょうか。

 

ダビデは、乾き求めていたものが得られたようです。

63篇の3節以降に、素晴らしい言葉が続いています。

時間のある方は、ご自分で見てください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「毒のある言葉」

2020年08月18日 04時57分20秒 | 詩篇より

詩篇64:4、5、8~10

彼らは舌を鋭い剣とし、毒を含む言葉を矢としてつがえ、

隠れた所から無垢な人を射ようと構え、突然射かけて、恐れもしません。

・・・・・・・・

神は彼らに矢を射かけ、突然、彼らは討たれるでしょう。

自分の舌がつまずきのもとになり、見る人は皆、頭を振って侮るでしょう。

人は皆、恐れて神の働きを認め、御業に目覚めるでしょう。(新共同訳)

 

神なき時代、神を畏れない人たちが増え広がっていく時代、そこには無意識に自分を神の座において、

人を裁く人たちが増えていきます。

舌をもって剣とし、毒のある言葉を矢として、隠れた所から罪のない人を射ようとする人がいます。

ダビデの時代も今日も変わらない人間の現実の姿がここにあります。

文字をもって、毒のある言葉を矢として、本名を明かさず、メールアドレスも知られず、

隠れた所から人を射ようとする人たちのことです。

最近、そういう人たちのことが問題となり、法改正によって解決を図ろうとしている動きがあります。

その高ぶり、おごる人たちが突然、打たれる時が来ます。

その人たちの悪をすべて見ておられる神が、見えない所から突然、この人たちを打たれるからです。

ただし、裁きは神の手にあります。

人の怒り、裁きは神に代わることはできません。

ダビデは、この神に裁きを訴えていました。

神はその訴えを聞いておられたと思いますが、だからと言って、すぐに行動を起こしてはおられません。

どう思いますか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「わたしの魂よ」

2020年08月14日 05時04分04秒 | 詩篇より

詩篇62:6,7

わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。

神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。【新共同訳】

 

私のたましいよ、黙ってただ神を待ち望め。私の望みは神から来るからだ。

神こそわが岩わが救いわがやぐら。私は揺るがされることがない。【新改訳2017】

 

「わたしの魂よ」とは、誰に言っている言葉でしょうか。

そうですね。自分に向かって言っているわけです。

ひとり言ではないですね。

わたしも時々、道を歩いていて、あの人はひとりごとを言っているのかと思うことがあります。

何かを耳にあてているのが分かって、安心します。

 

ここで、詩篇の著者はひとり言ではなく、自分に呼びかけています。

自分の心、思い、魂にむかって、このように呼びかけることができます。

わたしの魂よ、今、お前は何を求めているのか。

何を心配しているのか。

何を頼りにしているのか。

あああってほしい、こうあってほしいと、いろいろと願い思うことがあるかもしれない。

そういう自分の魂に向かって、呼びかけている自分がいるのです。

 

いろいろとあてにするものがある中で、神に望みをおくのだ、と言い聞かせています。

それはどこまでもわたしの選びと決断であって、人の助けは限られています。

自分の魂に、目には見えない神こそわたしの寄り頼む岩であり救いである。

その神に寄り頼むなら、心は揺れ動くことはない、と今日も呼びかけることができます。

 

アマゾンよりの出版のお知らせ

「聖書のストーリーから見えてくるもの」シリーズ5冊目、ルカ①の電子書籍(400円)と紙の本(1000円)が出版され

ました。

今回より、付録としてグループで使うための質問集を入れています。

なお、今回も電子書籍は2020年8月14日17:00~18日16:59までを無料期間と設定しています。

ご希望の方はどうぞ。

共に御国のために。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする