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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

お知らせ

2020年05月28日 18時52分30秒 | 資料紹介

お知らせです。

アマゾンから電子書籍「聖書のストーリーからみえてくるもの」

シリーズマルコ①が出版されました。

今日(5月28日)の午後から5日間、無料期間を設定しましたので、

ご希望の方は、どうぞ入手してください。

紙の本の方は今、修正中で、もう数日で修正版が出る予定です。。

なお、続いてマルコ②も間もなく、出版される予定です。

共に御国のために

浜崎英一

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「心と思いを調べられる方」

2020年05月26日 05時23分53秒 | 詩篇より

わたしは自分の心と思いを無視していることもあります。

人のことばかりに目が行って、自分のことは棚に上げていることもあります。

問題や試練の中に置かれる時、その責任は誰にあるのかという責めの思い、裁きの思いが自然に沸き起こってきます。

その思いが自分の頭や心を支配し、その視点で考えてしまうのです。

これは主を信じる者の姿勢とは言えません。

 

詩篇7:8~10

主はもろもろの民をさばかれます。

主よ、わたしの義と、わたしにある誠実とに従って、わたしをさばいてください。

どうか悪しき者の悪を断ち、正しき者を堅く立たせてください。

義なる神よ、あなたは人の心と思いとを調べられます。

わたしを守る盾は神である。

神は心の直き者を救われる。(口語訳)

 

詩篇7篇は、敵に脅かされている状況にあるダビデの祈りですが、そこに彼の信仰を見ることができます。

問題のただ中にあって、自分で何とかこれに対応していくための助けと導きを、ダビデは求めていません。

むしろ、主がこれに対応してほしいと、主に寄り頼んでいます。

しかし、もし自分の側に何かの問題があれば、それに対して自分は逃れることはしないとも言っています。

人の心と思いを調べられる方は正しい主なる神であるからです。

心と思いを点検するのは単に内省的に内向きになるのではなく、主と共に心と思いに向き合い点検するのですから、これは

祈りとも言えます。

それは決して自虐的になることではありません。

 

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「イライラの原因」

2020年05月22日 04時48分35秒 | 詩篇より

詩篇9:7~10

しかし主はとこしえに、み位に座し、さばきのために、みくらを設けられました。

主は正義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれます。

主はしえたげられる者のとりで、なやみの時のとりでです。

み名を知る者はあなたに寄り頼みます。主よ、あなたを尋ね求める者を、あなたは捨てられたことがないからです。(口語訳)

 

イライラや不満、怒りが起こってきます。

どういう時でしょうか。

自分が裁いている時です。

ただの人間なのに、思い上がっている時です。

人を裁くのは、自分が神の裁きの座に座っている時です。

裁きについて、主にゆだねる人は少なく、自分で裁く人が多いです。

わたしもそのひとりです。

主に寄り頼むとはどういうことでしょうか。

自分が裁かないで、主の裁きを待ち、裁きを主にゆだねる人です。

その点で主に寄り頼む人には、イライラや不満ではなく平安があります。

主が御座につかれるのは、裁きのためです。

正しい公平な裁きをされるためです。

主はわたしの訴えを聞いて裁いてくださる方です。

この主なる方を知っている人、その御名を知っている人は、その主に寄り頼む人です。

「主よ、立ち上がってください。

人間が思い上がるのを許さないでください。

人が思い上がっているのは見えやすいのですが、自分が思い上がっているのには気づかない者です。

主よ、人々を恐れさせ、思い知らせてください。

自分がただの人間に過ぎないことを。

主よ、この日本社会の現実の中にあっても、目に見えないあなたを尋ね求める人は見捨てられることはありません。

ハレルヤ」

 

 

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「主の怒り?」

2020年05月19日 05時00分38秒 | 詩篇より

詩篇6篇には、

ダビデはここで今、主の怒り、憤りに苦しんでいると訴えています。

そのために自分は嘆き悲しんでいる、恐れていると言っています。

そして、健康状態も良くないようです。

ところが、更に読んでいくと、彼は今、自分を苦しめている者がいると言っています。

自分に敵意をもち、苦しい思いをさせている者がいるという現実に直面しているようです。

その敵によって命の危険さえも感じているのです。

主の怒りと憤り、病気と自分に敵意をもつ人たちからの身の危険という現実。

この二つはどう関係があるのでしょうか。二つは別々のことでしょうか。

それとも今起こっている悲しい、苦しい現実、敵に脅かされて、死をさえ意識している中で、それを主の怒り、憤りとして受け取って祈っているのでしょうか。

以上の問いをもって、以下の個所を読んでみてください。


詩篇6:1~10

主よ、あなたの怒りをもって、わたしを責めず、あなたの激しい怒りをもって、わたしを懲らしめないでください。

主よ、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。

主よ、わたしをいやしてください。わたしの骨は悩み苦しんでいます。

わたしの魂もまたいたく悩み苦しんでいます。

主よ、あなたはいつまでお怒りになるのですか。

主よ、かえりみて、わたしの命をお救いください。

あなたのいつくしみにより、わたしをお助けください。

死においては、あなたを覚えるものはなく、陰府においては、だれがあなたをほめたたえることができましょうか。

わたしは嘆きによって疲れ、夜ごとに涙をもって、わたしのふしどをただよわせ、わたしのしとねをぬらした。

わたしの目は憂いによって衰え、もろもろのあだ(敵)のゆえに弱くなった。

すべて悪を行う者よ、わたしを離れ去れ。主はわたしの泣く声を聞かれた。

主はわたしの願いを聞かれた。主はわたしの祈をうけられる。

わたしの敵は恥じて、いたく悩み苦しみ、彼らは退いて、たちどころに恥をうけるであろう。(口語訳)

 

どう思いますか。

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「あなたの道を歩ませてください」

2020年05月15日 05時58分13秒 | 詩篇より

詩篇5:8

「主よ、わたしのあだのゆえに、あなたの義をもってわたしを導き、わたしの前にあなたの道をまっすぐにしてください」(口語訳)

「主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き、まっすぐにあなたの道を歩ませてください。

わたしを陥れようとする者がいます」(新共同訳)

 

自分の人生の道を歩むのは自分です。

わたしが自分の思いや考えで歩んでいます。

しかし、どこを歩むのか、どの道を行くのか、それによって行き着く先は違ってきます。

 

主の道、主が備えておられる道があると言います。

主のご計画があり、その中でわたしのために用意されている道があり、わたしが歩むことになっている道がある?

本当でしょうか。

 

主よ、本当にそういう道があるのであれば、その道を行かせてください。

その道を妨害し、邪魔する者もいるのですか。

その道に妨害し、邪魔する者が出てくると、これは主の導きではないと思い、すぐに別の道を探そうとしてしまいます。

どうかその都度、あなたのもとに行き、あなたが備えられた道を確認させてください。

 

モーセがエジプトのパロ王のところへ行って、イスラエルの民を去らせ荒野で礼拝をさせよという主の命令を伝えた時、状況は好転するどころか逆に一層悪くなりました。

その時、モーセは他の方法を考えたり、民のかしらの言うことに引きずられたりすることなく、主のもとに行って、主に聞いています。

 

主の道を行こうとしていても、状況が悪くなることもあるのです。

しかし、それは一時的です。

どう思いますか。

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