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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「この先の道は」

2020年04月30日 06時09分52秒 | 資料紹介

詩編の最初です。

この詩篇は他の個所と違い、感動があり、喜びがあり、嘆きがあり、そして主なる神への思いと祈りが素直に、正直に表現されています。

そこにわたしの信仰を刺激するというか、心に触れるものがあり、主への信仰を助け、励ましてくれるものがあります。

詩編1:6

「主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる」(口語訳)

「神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る」(新共同訳)

「まことに正しい者の道は主が知っておられ、悪しき者の道は滅び去る」(新改訳2017)

 

主は知っておられますが、わたしは自分のこれから先のことは分かりません。

自分のことなのに、自分の歩む道がこの先どうなるのかが見えていません。

新型コロナウイルスは何時終息するのか分かりません。

希望としてはいろいろ言えても、ハッキリしたことは言えません。

今年に入って、こんなことが起こるとは誰も予想していませんでした。

主は知っておられ、わたしは知らないことがあります。

これから先のわたしの歩む道、この先のことを主は知っておられます。

わたしは知らなくても、知っておられる方がそばにおられるというのは、安心です。

わたしの行く道を知っておられる方がいて、その方を知っているので心配しなくてもよいのです。

歩んでいく人生の道、その先がハッピーエンドに終わるとは限らない道もあります。

滅びに至る道もあるというのですが、その先のことを知らないで道をどんどん進んでいる人たちもいます。

しかしです。

「このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。

このような人は流れのほとりに植えられた木の、時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄え

る」(詩篇1:3口語訳)

ここで言う「このような人」とはどのような人のことでしょうか。

祈り・・・

「主よ、あなたはわかっておられます。いつまでこの状況が続くのか、この先どうなるのか、いつ感染拡大は終息するのか、そ

の後日本は、世界はどうなるのか、あなたはご存じです。

経済の専門家、政治の専門家と言われる人たちもいろいろなことを言っていますが、その人たち以上にあなたは先のことを知っ

ておられます。

そのあなたに信頼する心が、試されている時です。

あなたにお考えがあるのですね。その考え、ご計画を教えてください。あなたは今、何をしようとしておられるのでしょうか。

あぁ、このことのためだったのだ、このために主はすべてを許しておられたのだ、とわかる時が来るのですね」

 

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「支配されないように」

2020年04月21日 15時53分53秒 | 詩篇より

詩編119:130~132

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。

わたしはあなたの戒めを慕うゆえに、口を広くあけてあえぎ求めました。

み名を愛する者に常にされるように、わたしをかえりみ、わたしをあわれんでください。

あなたの約束にしたがって、わが歩みを確かにし、すべての不義に支配されないようにしてください。(口語訳)

 

み言葉が開かれると、光を放って…とあります。

素晴らしい言葉ですね。

「無学な者に」は「無知な者」(新共同訳)、「浅はかな者」(新改訳2017)、the simple(NKJV)

となっています。

わたしは英訳のシンプルな者というのがいいなぁと思います。

主のみ言葉、聖書のみ言葉が開かれる時があり、開かれない時があります。

これは単に理解できた、できないということではないようです。

だから、このみ言葉を慕い求める、渇望するのです。

求めよ、そうすれば与えられます。

探せ、そうすれば見つかります。

ここにみ言葉に対する求め、飢え渇きがあります。

分からないことが恥のように思う日本の文化の中で、み言葉が分からないことは恥ではありません。

だから慕い求めるのです。

その姿勢がここから教えられます。

また、み言葉を慕い求める人は、主の御名を愛する人です。(132節)

主を愛する人はそのみ言葉を慕い求めます。

ですから、主があなたやわたしを顧み、憐れんでくださる時、み言葉が開かれます。

「・・・すべての不義に支配されないようにしてください」(133節)

今、あなたやわたしは何かに支配されていないでしょうか。

主よ、どんな悪にも不義にも、不安にも恐れにも支配されないようにしてください。

み言葉によって、日々の歩みが支配され、確かなものとされますように。

 

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「知恵といのちを得させるもの」

2020年04月07日 05時52分05秒 | 詩篇より

詩編119:143, 144

「あなたのあかしはとこしえに正しいのです。わたしに知恵を与えて、生きながらえさせてください。

悩みと苦しみがわたしに臨みました。しかしあなたの戒めはわたしの喜びです」(口語訳)

「苦難と窮乏が私に襲いかかっています。しかしあなたの仰せは私の喜びです。

あなたのさとしは永遠に義です。私に悟らせ私を生かしてください」(新改訳2017)

「苦難と苦悩がわたしにふりかかっていますが、あなたの戒めはわたしの楽しみです。

あなたの定めは、とこしえに正しいのですから、わたしに理解させ、命を得させてください」(新共同訳)

Trouble and anguish have overtaken me, Yet Your commandments are my delights.

The righteousness of Your testimonies is everlasting; Give me understanding, and I shall live. (NKJV)

 

苦難、苦悩が自分に襲いかかっていると言っています。

不安は不安を呼び、恐れは人の心をどこかで縛っていきます。

このような時、普通人は何をするでしょうか。

このような時、この詩篇の著者は何に心を向けているでしょうか。

現実から目を逸らして、現実を忘れさせてくれるものに逃げ込んでいるのでしょうか。

反対に、現実だけを見て、いろいろと考えているのでしょうか。

このような中で、この人は主の戒め、主のみ言葉に心を向けています。

そのみ言葉が自分にとって喜びとなり、知恵を得させ、いのちを得させてくれるようにと祈っています。

苦難、苦悩がふりかかっている時、そこまで主のみ言葉に期待できるのでしょうか。
喜びと知恵が与えられ、いのちを得て、元気にしてくれると言っています。

そのように祈る人は、そのような経験をすでにしているからだと思います。

そして、この著者はこのような祈りを書き記しているのです。

祈り書きですね。
自分の祈りをノートに書いたことがありますか。

同じような苦難の中にいる人たちがこの詩篇を読み、その言葉によって励まされています。

今のこの時、あなたやわたしもこのようにみ言葉によって励まされる必要はないでしょうか。それと共に、み言葉によって励まし合う仲間が必要だと思いませんか。

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「互いに励まし合うもの」

2020年04月03日 04時57分01秒 | 詩篇より

詩編119:92、93

「あなたの律法を楽しみとしていなければ、この苦しみにわたしは滅びていたことでしょう。

わたしはあなたの命令をとこしえに忘れません。それによって命を得させてくださったのですから」(新共同訳)

「あなたのおきてがわが喜びとならなかったならば、わたしはついに悩みのうちに滅びたでしょう。

わたしは常にあなたのさとしを忘れません。あなたはこれをもって、わたしを生かされたからです」(口語訳)

Unless Your law had been my delight, I would then have perished in my affliction.

I will never forget Your precepts, for by them You have given me life. (NKJV)

 

自分の尊敬し、信頼し、慕っている人、その人の言葉を人は大切にします。

ある人の短い言葉が自分の人生を支えてくれたというのは、一般的にも聞かれることです。

野村監督の言われた言葉が、自分の野球人生を支えてくれたと、プロ野球の選手だった人が言っていました。

その人のことを愛する人は、その人の言われる言葉を楽しみとし、喜びとする人です。

誰でもそうですね。

その人の言葉を通して、その人格に触れ、その人自身に触れるからです。

この詩篇の著者はここで、ただ「律法」とは言っていません。

ただ「命令」とは言っていません。

それはただの決まり事ではありません。

誰の律法でしょうか。誰の命令でしょうか。

「あなたの律法」です。「あなたの命令」です。

「あなた」とは誰のことでしょうか。

その方の言っていることが律法です。その方の口から出る言葉が命令です。

それは、ただの律法ではなく、ただの命令ではなく、主なる神のみ言葉です。

その神のことをどう思っているかは人によって違っています。

み言葉が、信頼し尊敬し愛する方の言葉として受け取れる人は、この人生、辛いこと苦しいことがいろいろとある中でも、支えられ、乗り越えられるのです。

世界中に、日本全体にも広がっている不安、恐れの中で支えられ、乗り越えられるものを知っている者同士、励まし合う必要がありますね。み言葉によってです。

どう思いますか。

 

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