聖書はクリスチャンのことを主にあがなわれた人と言っています。
主にあがなわれた人とはどういう人のことでしょうか。
それは苦しめる者の手からあがなわれ、また集められた人たちです。
その人たちは荒野で迷うこともあり、道を見失うこともあります。
救われたのだからと言っても、すべてが順調に快適にいくとは限りません。
しかし、そのように荒野を行くような時、飢え乾き、魂が衰えていった人たちが、主に叫び求めると、主はその人たちをまっすぐな道へと導いてくださいます。
乾いた魂を飽かせ、飢えた魂を良いもので満たしてくださるのです。
これは詩編107篇で語られていることです。
ここから教えられることがあります。
どういうことでしょうか。
主にあがなわれた人たちはこの地上で満足を得、安住できるようになるとは限りません。いや逆に主は、この地上は満足できず、安住できない所であることを教えておられるのです。
それだけでなく、ご自身を求め、ご自身によって満足を得、ご自身に安住の場所を見出すようにあがなわれた人たちを導こうとしておられるようです。
「彼らは人なき荒野にさまよい、住むべき町にいたる道を見いださなかった。
彼らは飢え、またかわき、その魂は彼らのうちに衰えた。
彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから助け出し、
住むべき町に行き着くまで、まっすぐな道に導かれた」(詩編107:4~7口語訳)
詩編107篇は長いところですので全部は引用できません。
ご自分でそこを読まれて、確認してみてください。
わたしの書いた電子書籍「聖書のストーリーから見えてくるもの シリーズ マタイ①」がアマゾンから出版されました。1冊300円です。
アマゾン・ストアで「聖書のストーリー」と検索すると、すぐ分かると思います。
紙の本も近々合わせて出版される予定です。
今後、許されるならば、シリーズとしてマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと出していく予定です。
紹介文
本書は聖書の解説書ではありません。また、いわゆる単なる教えの本でもありません。
時代背景などの聖書についての知識を提供する本でもありません。
70%以上はストーリーだと言われている聖書。そのストーリーに一緒に向き合っていく仕方で、そこに発信されているものを見出していく。これが本書の目指しているものです。
複雑な今の時代の問題の本質に答えているものが聖書の中にあることを知っていただくために本書は書かれたものです。
信仰心のある人ない人に関係なく、何かを見出していただくために、聖書そのものに一緒に向き合っていくための本であると言えます。
そんなふうにうまく書かれているかどうか。それは読者の皆さんの判断にお任せします。
新約聖書のマタイによる福音書から8つストーリーを取り上げていますが、各ストーリーは極めて短いものばかりです。
これらはいずれもシンプルで誰にも分かりやすいものですが、そこに秘められているもの、そこから見えてくるものは計り知れないものがあります。





