ルカ2:1-20のこのクリスマス・ストーリーからの学びの最後となった。
クリスマスの喜びという言葉が普通に使われている。
その喜びとはどういうことなのか。
その喜びはどういう人に与えられるのか。
御使いはイエス降誕のことを、「すべての民に与えられる大きな喜び」と言っているが、それをこのような貧しい羊飼いたちにだけ知らせて、帰って行った。
なぜ、もっと大勢の人たちに同じように知らせなかったのだろうか。
赤ちゃんが生まれると、その両親、おじいちゃん、おばあちゃんなど家族が喜ぶ。
その喜びは、他の何かと違った特別な喜びである。
わたしも何度もその喜びを経験させてもらったひとりである。
誰かの誕生を喜ぶ、その喜びとは新しい出会いの喜びでもある。
それが御使いの言っている「大きな喜び」と言えないか。
それは何かを説明してもらって理解して、分かって得られる喜びではない。
出会いによる喜びなのだ。
聖書のみ言葉を通して主イエスに出会う人は皆、この喜びを経験する。
それは聖霊の働きだということが分かっていてもいなくても経験できる喜びである。
いろいろな霊的な体験を通してすばらしい喜びを経験した人たちはいると思う。
しかし、わたしがここで注目したいのは、主イエスを初めて信じて、主イエスに出会った人は皆この喜びを経験するということである。
あなたが主イエスを信じている人であるなら、その時のことを覚えているだろうか。
また一度その喜びを味わった人は、他の人が同じように主イエスに出会って喜んでいると、その喜びが伝わってくるのだ。
そしてまた、同じように主イエスを信じている人たちが一緒にいることで、この喜びを経験する。
不思議だ。
特別な霊的な体験による喜びも素晴らしいと思うが、わたしは主イエスを信じる人たちが普通に経験しているこのような喜びをこそ、再確認する必要があると思っている。
特にクリスマスのこの時にである。
なぜなら、それはすべての民に与えられる大きな喜びだからだ。
なぜなら、それは、聖書が十分に理解出来ても出来なくても、ただ主イエスを信じ、主イエスに出会った人たちに与えられる喜びだからである。





