わたしたちの国、日本では、一般的に、特別な無神論者でなければ、神はいるのではないかとその存在を漠然とではあっても信じている人たちは少なくないと思う。しかし、その神はいろいろな神がいて、よく分からないし、もっと知りたいと思っている人は少ないかもしれない。
わたしの知る限り、神とはどういう方かについて聖書ほどはっきりと、明確に教えている本は他にはないのではないかと思う。
何かのことで、その後悔の念から、自分はもう親としての資格はないと思ったことはないだろうか。
また、自分はもうクリスチャンと言われる資格はないと思ったことはないだろうか。
これから取り上げるお話も聖書に出てくるとても分かりやすく、有名のところだ。
神とはどういう方であるかを分かりやすく教えているお話である。
聖書のルカ15章11~24節からのお話
また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、
『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。
それで、父親は財産を二人に分けてやった。
何日もたたないうちに、弟息子は財産全部をお金に換えて、遠い国に旅立った。
そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
そこで、彼は我に返って言った。
『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
ここをたち、父のところに行って言おう。
「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 もう息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にしてください」と。』
そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
息子は言った。
『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は僕たちに言った。
『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
それから、肥えた子牛を連れて来て料理しなさい。
食べて祝おう。 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』
そして、祝宴が始まりました。(ルカ15章11~24節 混合訳)
教会に行っておられるクリスチャンであれば、よく知っておられる話だと思う。
信仰生活の長い人には、何度も聞いたことのある有名なお話でもある。
この話はもうよく知っているので、今更、学ぶこともないと思われる人もいるかもしれない。
では、今回から何回かにわたって、この話から一緒に学んでいきたい。 きっと、あなたもここから何かの新しい発見があるかもしれない。
次回に続く。





