イエスは40日40夜断食をした後、悪魔の試みに合われた。
悪魔の誘惑に合うために、自分からそこに出かけられたのか。
そうではない。 御霊に導かれてのことだった。
では、この話から見えてくる神とはどういう方だろうか。
イエスを敢えて荒野という厳しい自然環境の中に置かれ、自分の力では生きていけないような中で試みに、試練に合せられた方である。
ご自身の口から出る一つ一つのみ言葉によって人を生かしてくださる方である。 きっとあなたも、困難な状況の中で、み言葉が与えられ、勇気づけられ、生きる力や希望を与えられたことがあると思う。
また、神はそのような試みや試練の中で、ご自身を試みるのではなく、ご自身を信頼する人を喜ばれる方である。
そしてまた、神は唯一礼拝を受けるべきお方だ。
あなたやわたしは、この方を礼拝することで、何が変わってきただうか。 必要以上に何かに縛られたり、心を奪われたりすることがなくなってきた。
また、神は悪魔の誘惑をある程度許される方ではあるが、逃れる道も備えておられる方である。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:13 新共同訳)
あなたもわたしもいろいろなことを通して、この神を体験的に知らされていると思います。
この話から教えられることをいろいろとみてきたが、では、それをわたしたちひとりひとりに適用するとすれば、どうなるだろうか。
「適用のための質問」
1.今日、悪魔はどのような仕方で主イエスを信じているわたしたちクリスチャンを誘惑しようとしているのだろうか。
2.サタンの誘惑は人の弱みを突いてくることを学んだ。
では、サタンに突いてこられやすいわたしやあなたの弱みは何かが分かっているだろうか。 自分の弱み、弱さはあまり認めたくないものであるが、その弱みを認めることには、どういう益があるのだろうか。
3.人は神の口から出る言葉によって生きるとあるが、あなたやわたしの場合、神の言葉がなくなるとどうなるのか。
神の言葉によって生かされたという何かのあかしがありますか。
4.わたしたちはどうすれば悪魔の誘惑に勝利できるのか。
次回に続く。





