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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「神を知る」

2019年07月30日 05時44分24秒 | 聖書の真理発見

 

イエスは40日40夜断食をした後、悪魔の試みに合われた。

悪魔の誘惑に合うために、自分からそこに出かけられたのか。
そうではない。 御霊に導かれてのことだった。

では、この話から見えてくる神とはどういう方だろうか。

イエスを敢えて荒野という厳しい自然環境の中に置かれ、自分の力では生きていけないような中で試みに、試練に合せられである

ご自身の口から出る一つ一つのみ言葉によって人を生かしてくださる方である。 きっとあなたも、困難な状況の中で、み言葉が与えられ、勇気づけられ、生きる力や希望を与えられたことがあると思う。

また、神はそのような試みや試練の中で、ご自身を試みるのではなく、ご自身を信頼する人を喜ばれる方である

そしてまた、神は唯一礼拝を受けるべきお方

あなたやわたしは、この方を礼拝することで、何が変わってきただうか。 必要以上に何かに縛られたり、心を奪われたりすることがなくなってきた。

 また、神は悪魔の誘惑をある程度許される方ではあるが、逃れる道も備えておられる方である。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:13 新共同訳)

あなたもわたしもいろいろなことを通して、この神を体験的に知らされていると思います。

 

この話から教えられることをいろいろとみてきたが、では、それをわたしたちひとりひとりに適用するとすれば、どうなるだろうか。

「適用のための質問」

.今日、悪魔はどのような仕方で主イエスを信じているわたしたちクリスチャンを誘惑しようとしているのだろうか。

サタンの誘惑は人の弱みを突いてくることを学んだ

では、サタンに突いてこられやすいわたしやあなたの弱みは何か分かっているだろうか。 自分の弱み、弱さはあまり認めたくないものであるが、その弱み認めること、どういう益があるのだろうか。

人は神の口から出る言葉によって生きるとあが、あなたやわたしの場合、神の言葉がなくなるとどうなるか。

神の言葉によって生かされという何かのあかしがありますか。

 

4.わたしたちはどうすれば悪魔の誘惑に勝利できるか。

 

次回に続く。

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「試みる者とは」

2019年07月26日 05時19分09秒 | 聖書の真理発見

 

目に見えないので、わたしたちには悪魔はいるかどうか分からない場合が多いが、聖書には極めて現実のこととして、悪魔のことが記されている。

イエスの荒野の誘惑の話の中に、試みる者、悪魔とはどういう者かが明らかにされている。

悪魔は、人の弱みを見事についてくるという点では、きわめて賢い存在でである。

弱みをつかんで、人を自分の思うように支配しようとするわけだ。

また、悪魔は人がどういう者であるかという、そのアイデンティティを脅かしてくる者であることが分かる。

そしてまた、悪魔も自分の目的のために神の言葉を引用している。

ということは、悪魔も神の言葉を信頼はしていなくても、知っているということだ。

イエスの荒野での誘惑から分かることは、試みる者、悪魔の最大の狙いは、神と人とを引き離すことであった。

そして、一回目のエデンの園では、それに見事成功した。 しかし、第2のアダムであるイエスへの誘惑は失敗したのだ。

自分を拝むならと言っている悪魔は、自分が神に代わる者として君臨することを狙っている。

「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。

イエスはこの悪魔に対して、み言葉で対応しておられ、最後には「サタンよ、退け」と権威をもって命じておられる。
その権威ある言葉に悪魔は従わなければならなかったのだ。

この話から、イエスとはどういう方であるかは、すでに見てきた

では次に、この話から人間とはどういう者だろうか。

人間とは、パンだけではなく、神の口から出る言葉によって生きるものとされている者であるし、衣食住の中で食べること一番大切にするものであって、また、そこ誘惑に弱いところでもある

人は神を信頼することと神を試みることを混同しやすい者であり、そのため神を試みたくなることがある

この世のものに誘惑されやすい者で、これが3番目の誘惑であった。

つまり、出世できること、お金が手に入ること、守ってもらえること、交通事故に合わないことなど、そのためには何でもするというところがある

ということで、人間とは御利益宗教に引かれやすい者である

どう思いますか。

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「神のみ言葉の権威」

2019年07月23日 06時54分21秒 | 聖書の真理発見

 

悪魔などはいないと思わせるのも悪魔であり、反対に悪魔を非常に怖いものと思わせるのも悪魔である、というようなことを言っているのは、CSルイスという人である。

 

荒野での、その悪魔の執拗な誘惑に対して、イエスは3回とも、「・・・と書いてある」と聖書のみ言葉を引用して答えておられ
なぜ、イエスはこんな時、ご自分の言葉で答えられず、み言葉を引用して答えておられるのだろうか。

イエスは悪魔がどういう者であるか、そ正体をよく知っておられたのだ
この誘惑での悪魔の狙いは、3回とも父なる神とイエスとの信頼の関係をダメにすることであった。
聖書のみ言葉は父なる神の思いや心を表しており、のみ言葉には父なる神の権威が伴っている

悪魔は、その神の権威のことをわたしたち以上によく知っており、その前には立てないのだ。
だから、人間となられたイエスはご自分の言葉でサタンに対抗されず、父なる神のみ言葉を信頼し、その御言葉を毎回引用されたのである。

聖書のみ言葉を引用したと言っても、自分の言いたいことをみ言葉を引用して言ったというのではない。
わたしたちキリストを信じる者こうすれば悪魔に勝てるという模範をイエスは示されたのだとわたしは思う

 

イエスが悪魔に誘惑されたのと同じように、アダムとエバが悪魔に誘惑されている。(創世記3:1-4
このふたつのケースを比べて、一番大きな違いは何か。

エデンの園において、神の言葉神からアダムへ、そしてアダムからエバへと伝えられていたと思われる。 

この時、悪魔はエバの神の言葉への曖昧さを巧みに突いてきている。「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」

これは何という巧妙な知恵ある言葉ではないか。
それに対してエバはイエスの場合と違って、神の言葉そのもので答えていないのだ

それで結局は、悪魔の思う通りにもっていかれた。

イエスは第2のアダムとして、すべての点で人間と同じようになられたが、罪は犯されなかった。

そして、アダムとエバが誘惑に負けた、その悪魔に対して神のみ言葉をもって立ち向かい、この悪魔を退けられたのである。

 

次回に続く。

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「賢い者」

2019年07月19日 06時43分05秒 | 聖書の真理発見

 

神を試みるとはどういうことだろうか。 2回目の悪魔の誘惑で、イエスは悪魔に言われた、

「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。

 

神を試みることと神に信頼することはどう違うのか。

悪魔は、イエスが神の子であることのアイデンティティを証明するために、神殿の屋根から飛び降りてみたらどうだ、と言っている。

お前が神の子であるのなら、これくらいのことは出来るはずだ、というわけだ。

それに対してイエスは、「神である主を試みてはならない」と聖書のみ言葉を引用しておられる。

神を試みるとは、神さまはこうしてくださるはずと勝手に思い込んで行動することであり、これは信頼ではなく、勝手な思い込みであると言える。

神を信頼するとは、神のみ言葉を信じ、約束されたことを信じることによって、神ご自身を信頼することだとわたしは思う。

 

次に、イエスに対する悪魔の3つ目の誘惑は、全世界の国々とその栄華とを手に入れたければ、わたしにひれ伏し、拝みなさいという勧めであった。 この誘惑の狙いは何なのか。

イエスは高い山の頂上に連れて行かれた。
1回目、2回目の誘惑は「もしあなたが神の子であるなら・・・」ということで、イエスが誰であるについての誘惑であり、アイデンティティの問題をついてくる誘惑だった。
しかし、3度目は、悪魔は戦略を変えてきた。

しつこいが、しかし、賢い。
今度は自分に取り込もうとして、近道を教えているのだ。

イエスの生涯の使命に挑戦してきた。

悪魔は、イエスが神の子として、やがてこの世界を支配する方となることを知っていたのだ。
だから、十字架と復活の道を通らなくても、自分を拝むというもっと簡単な方法でそれを手に入れてはどうかと提案してきた。

そんなややこしい道を通らなくても、もっと簡単な道もあるのだよ、というわけだ。

楽して、目標を達成できるという、安易な提案である。

この悪魔は今の時代にもいるのだろうか。

どう思いますか。

 

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「悪魔とはどういう者か」

2019年07月16日 06時06分51秒 | 聖書の真理発見

悪魔は人の目に見えない存在であり、神もまた、目に見えない方である。

前回に続き、マタイ4:1-11のところから霊的な真理を見つけていきたい。

イエスはなぜ、わざわざ悪魔の誘惑に合うため人里離れた荒野に導かれたのだろうか。

荒野は人の助けを得られないところであり、逃げられない、自分に向き合うしかないところと言える。

イスラエルの民は、奴隷状態にあったエジプトを出た後、荒野で40年間を過ごすことになった。
エジプトという外敵から解放された後、今度は、自分たちの内面の問題に向き合うためであった。

イエスは洗礼を受けられた後、荒野で40日40夜を過ごされた。
内面の問題ではなく、目に見えない悪魔という存在に向き合うためであった。

別に断食をしないで、誘惑に合うことは駄目だったのか。

悪魔は断食の3日目でもなく、10日目でもなく、40日終わったのを待って、イエスを誘惑してきた。
ここから分かることがある。

弱いところを悪魔は突いてきている。

人の弱みを突いてくるのはヤクザのやり方と同じではないか。
そしてまた、高ぶりやすいところを、悪魔は突いてきている。

高慢になったところが、サタンの狙いどころとなるのだ。

 

次に、1回目も2回目も「もしあなたが神の子であるなら・・・」と悪魔は言っているが、ここでの誘惑の狙いは何だったのか。 もしお前が神の子であるなら、神の力を現してみよ、と悪魔はプライドに訴えている。

ここで悪魔の誘惑の狙いは、自分の土俵で、自分のコントロールの下で、イエスと闘おうとしている。
そして、イエスと父なる神との関係をダメにしようとしている。

言い換えると、イエスの神の子であることの確信を揺るがそうとしており、それは、お前は本当にそういう者なのかというアイデンティティへの挑戦である。

それも人間にとって死活問題と言われるパンの問題、その問題解決のために神の力を使って石をパンに変えることで、神の子としてのアイデンティティを証明したらどうかと仕向けている。

イエスはその悪魔に対して、人はパンだけではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる者であると言われた。

悪魔の土俵、悪魔のコントロールの下に入っておられないのだ。

神の言葉はどういう面で人を生かすのか。
神の言葉は人に生きる力と希望を与えてくれる。
また、それによって人は、神の思い、願い、計画を知ることが出来る。

神の言葉は人を生かすいのちのために必要である。
「・・・わたしが語った言葉は霊であり、いのちである」(ヨハネ6:63)

これがなければ、人は神との信頼の関係がもてなくなるのだ。

 

次回に続く。

 

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