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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「祈りは聞かれたが」

2019年05月31日 06時13分39秒 | 聖書の真理発見

 

前回の真理発見の問いについて、下記のことをわたしなりに参考として記しておきます。

 

・御使いは「あなたの祈りは聞き入れられた」と最初に言っている。
ということは、ザカリヤ夫婦は自分たちに子どもが与えられることを長い間祈っていたようだ。

そして、主なる神はふたりの祈りを聞いておられながら、長い間それに応えられなかった。

 

ということで、この夫婦にとっては、ずっと祈ってきたことではあるが、最近になって、年老いたこんな自分たちにはもう無理だとあきらめていたのかもしれない。

祈るには祈っているが、本当のところはそうなるとは信じていない、そういうことがわたしたちにもないだろうか。

 

・御使いの言ったことに対して、ザカリヤは「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうかと言っている。

「私は何によってそれを知ることができましょうか」(新改訳)

この言葉を言い換えると、「そんなこと、言われただけでは分かりません。何によって、わたしに分かるのでしょうか」と言っているようだ。

その言われていることが本当なら、他に何か分かるようにものがほしい、というようにもとれる。

ところが、御使いの方から言えば、主からのみ言葉を信じなかったこと、それは彼の不信仰だと見られたのだ。

 

その結果、ザカリヤは物が言えなくなった。

これは彼の不信仰に対する神の裁きとも言えるが、また一方で、そのことを通して、ザカリヤは御使いの言ったことはその通りになるということを身をもって知らされたわけだ。
つまり、何によって分かるでしょうかと言っていたザカリヤの問いに主はそういう方法で応えられたことにもなる。

わたしやあなたの信じている神さまはこんななさり方もされるのだ。

どう思いますか。

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「真理発見の問い」

2019年05月28日 05時55分25秒 | 聖書の真理発見

 

 

ルカ1:5-25ところを学んでいます。

前回はこの話をイメージしていただくために、内容確認の質問をさせていただきました。
次に「真理発見の問い」に進みます。

出来れば、別の紙に以下の質問に対してのあなたの意見を書き出してみませんか。
正しい答えを、ということにこだわらないで思うことを自由に書いてみてください。

人から教えられる前に、その作業の中で新しい気づきや発見があると思うからです。

 

・ザカリヤが祈っていた祈りが聞き入れられた、と御使いは言っているが、自分の祈りが聞かれたことで、なぜ、ザカリヤは素直に喜ばなかったのだろうか。

 

・時が来れば成就する御使いの言葉を信じなかったザカリヤは、その後、ものが言えなくなった。
御使いの言葉を信じなかったからと言われているが、この時、ザカリヤは何を求めていたのだろうか。
(1:18を参照)

結果として、ザカリヤは何をもって御使いの言ったことが本当だと分かったのだろうか。

 

・ザカリヤ夫婦に男の子が与えられ、その子がどういう人となるかについてかなり詳しく語られている。
さて、その子には最終的にどのような使命が与えられていたか。

 

・このお話から、人間とはどういう者か。

 

・このお話から、神とはどういう方か。

 

問いへの応答を書き込んでいくのに、少し時間がかかるかもしれませんが、それが無駄な時間となりませんように。

もうひとつ可能であれば、誰かと、何人かのグループでこの問について話し合う時をもつと、もっといろいろなことが開かれてくるでしょう。

わたし自身は長い間、そのようなグループでの話し合いを通して多くのことを教えられてきた者です。
ここに紹介している資料は、すべてそのような中から出来てきたものです。

 

いろいろな情報が簡単に手に入れられる時代ですが、霊的な真理も簡単に手に入れるなら、それは単なる情報、知識で終わってしまいます。
自分で求め、探し、手に入れたものは、その人のうちに残っていきます。

 

 

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「内容確認の問い」

2019年05月24日 06時48分39秒 | 聖書の真理発見

 

 

さて、前回の聖書の個所ルカ1:5-25のところの続きです。
この聖書の個所を読まれたことを前提に、もう一度、内容を確認していきたいと思います。

よろしいですか。

これは記憶力のテストではありません。

この話を頭にイメージし、活字としてではなく映像として思い出してもらうためです。
映像化されたお話は残っていくからです。

質問の中で分からないところは、聖書の個所から確認してください。

 

・祭司ザカリヤもエリサベツも神のみ前に正しい人であったが、このふたりに問題が一つあった。
どういう問題だったか。

 

・ザカリヤは主の聖所で香をたいていたが、この人がそういう役目することになったのはなぜか。
その時を選んだかのように、主の御使いが現れた。
これを見たザカリヤはどんな反応をしたか。

 

・御使いは、最初にザカリヤに「恐れるな、ザカリヤ、あなたの祈りは聞き入れられたのだ」と言った。
では、ザカリヤはどういうことを祈っていたのだろうか。

 

・生まれてくる子どものことについて、御使いの口から多くのことが言われている。
その中のいくつかを挙げてください。

・主の御使いが語ったことをザカリヤはそのまま信じることが出来なかった。
その結果、どういうことになったか。

 

・妻エリサベツは身ごもった後、主が自分の何を取り除いてくださったと言っているか。

 

次回は、この個所から真理発見の問いに進んでいきます。

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「準備段階」

2019年05月21日 05時38分19秒 | 聖書の真理発見

 

 

先日、息子の家族と野外のバーベキューに出かけた。

肉などの食材を焼いて食べる楽しいひと時であったが、準備をする側はきっと前日にいろいろと忙しかっただろうなと思った。わたしたち夫婦は何もしなかったからである。

何をするにも計画性をもった準備段階が大切であることは、日常生活の中でも、皆が経験していることだと思う。

 

神は独り子イエス・キリストをこの世に遣わされたが、その前にしっかりと計画的な準備をしておられる。

どういう準備だったか。

そのことを見ていく時に、わたしたちの信じている神とはどういう方であるかが見えてくる。今回から、また新しい聖書の個所を学んでいきたいと思う。

 

ルカ1:5-25

1:5 ユダヤの王ヘロデの世に、アビヤの組の祭司で名をザカリヤという者がいた。その妻はアロン家の娘のひとりで、名をエリサベツといった。

 1:6 ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。非のうちどころがなかった。

 1:7 ところが、エリサベツは不妊の女であったため、彼らには子がなく、そしてふたりともすでに年老いていた。

 1:8 さてザカリヤは、その組が当番になり神のみまえに祭司の務をしていたとき、

 1:9 祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所にはいって香をたくことになった。

 1:10 香をたいている間、多くの民衆はみな外で祈っていた。

 1:11 すると主の御使が現れて、香壇香の祭壇の右に立った。

 1:12 ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われた。

 1:13 そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。

 1:14 彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらしあふれるばかりの喜びとなり、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。

 1:15 彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、

 1:16 そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。

 1:17 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて(不従順な者たちを義人の思いに立ち返らせて)、整えられた民を主に備えるであろう」。

 1:18 するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。

(私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。)

<何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか>

"How shall I know this"NKJV

1:19 御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。

 1:20 時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。

 1:21 民衆はザカリヤを待っていたので、彼が聖所内で暇どっているのを不思議に思っていた。

 1:22 ついに彼は出てきたが、物が言えなかったので、人々は彼が聖所内でまぼろしを見たのだと悟った。彼は彼らに合図をするだけで、引きつづき、口がきけないままでいた。

 1:23 それから務の期日が終ったので、家に帰った。

 1:24 そののち、妻エリサベツはみごもり、五か月のあいだ引きこもっていた安静にしていたが、

 1:25 「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。口語訳

( )は新改訳2017訳 < >は新共同訳

 

信仰生活の長いクリスチャンには、よく知られているところでもある。

この個所から新しく、どのような真理を発見することが出来るだろうか。

次回に続く。

 

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「出会いによっておこる信仰」

2019年05月17日 06時14分51秒 | 聖書の真理発見

 

 

何かの説明をされて納得して分かったので、ナタナエルという人はイエスがどういう方であるかを告白したのではない。

ナタナエルは答えた。

「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」

これはナタナエルがイエスと出会った、すぐ後の信仰の告白だった。

なぜ、そのように言えたのか。

イエスが神の子であることを最初に言っていたのは誰だったか。

そうです。

バプテスマのヨハネだった。

ナタナエルは、そのヨハネの言っていたことを直接聞いたのか、あるいは間接的に誰かから聞いていたのかもしれない。

しかし、イエスがイスラエルの王であるとは、誰も説明していないが、ナタナエルには分かったのだ。

不思議なことであるが、ここで、ナタナエルの言った言葉を聞かれたイエスは、まだ、わたしはそういうものではないと言って、ご自身が王であることを否定しておられない。

いや逆に、それをナタナエルの信仰と見ておられる。

「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったから信じるのか」とイエスは言われた。

そうです。

ナタナエルのこの言葉、「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と言った言葉を聞いて、イエスは、「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったから信じるのか」と言っておられる。

 

そうなのか。わたしがこの人と出会う前に、この人はわたしのことを知っておられたのだ。

とナタナエルが分かった時、この人はイエスと出会ったのだ。

他の人には分からない、この人だけに分かる方法で出会ったのだ。

そこに信仰が起こり、イエスについての信仰告白がなされた。

 

あなたやわたしがイエスと出会った場合とは違うとは思うが、似ているところはないだろうか。

 

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