このお話全体を振り返って、もう一度、まとめてみたいと思う。
イエスはこのガリラヤ湖畔でいくつかのことをされた。
ひとつは、舟の中から群衆に教えられた。
次に、一晩中働いて、何の獲物も取れなかった漁師ペテロに個人的に声をかけられ、沖へ漕ぎ出し、もう一度漁をしなさい、と言われた。
主イエスは今日も大勢の人たちに一度に教えられることもあるが、個人的に声をかけられることもある。
ペテロの場合、それは特別な集会の場ではなく、仕事や生活の場であった。
更に、イエスがペテロに声をかけられたのは、本人が良い成果を出して自信のある時ではなく、一晩中一生懸命頑張って何の成果も出せず、疲れている時、そんな時にイエスは声をかけられた。
主イエスはこんなタイミングで大漁の奇跡をされた。
おびただしい魚がとれた、この大漁の奇跡はいったい何のためだったのか。
彼らの生活を助けるためだったのか。
舟を借りて群衆に話をさせてもらったお礼なのか。
ここで主の側に二つの目的があったことが分かる。
①ペテロが「わたしは罪深いものです」と気づくこと。
②「今から、あなたは人間をとる漁師になのだ」という召命のため。
魚が沢山とれて、素晴らしい結果を出すことだけが目的ではなかった。
この大漁の奇跡を通して、イエスは漁師ペテロに人生の使命を与えられた。
この話からイエスとはどういう方だろうか。
少し前の話になるが、ガリラヤ湖畔でのイエスの宣教の開始は、「悔い改めよ。天の御国は近づいた」という言葉だった。
またイエスは「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない」(ルカ4:43)と言っておられる。イエスは神の国の福音を宣べ伝えるとともに、神の国(天の御国)が近づいたことを表しておられる。
では、この「大漁の奇跡」のお話から、神の国をどのように見ることが出来るだろうか。





