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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「イエスのタイミング」

2019年04月30日 06時10分50秒 | 神の国とは

 

 

このお話全体を振り返って、もう一度、まとめてみたいと思う。

イエスはこのガリラヤ湖畔でいくつかのことをされた。

ひとつは、舟の中から群衆に教えられた。

次に、一晩中働いて、何の獲物も取れなかった漁師ペテロ個人的に声をかけられ、沖へ漕ぎ出し、もう一度漁をしなさい、と言われた。

主イエスは今日も大勢の人たちに一度に教えられることもあるが、個人的に声をかけられることもある。

ペテロの場合、それは特別な集会の場ではなく、仕事や生活の場であった。
更に、イエスがペテロに声をかけられたのは、本人が良い成果を出して自信のある時ではなく、一晩中一生懸命頑張って何の成果も出せず、疲れている時、そんな時にイエスは声をかけられた。

主イエスはこんなタイミングで大漁の奇跡をされた。

おびただしい魚がとれたこの大漁の奇跡はいったい何のためだったのか。
彼らの生活を助けるためだったのか。
舟を借りて群衆に話をさせてもらったお礼なのか。

ここで主の側に二つの目的があことが分かる

ペテロ「わたしは罪深いものです」と気づくこと。

「今から、あなたは人間をとる漁師になのだという召命のため。

魚が沢山とれて、素晴らしい結果を出すことだけが目的ではなかった。
この大漁の奇跡を通して、イエスは漁師ペテロに人生の使命を与えられた。

この話からイエスとはどういう方だろうか。

少し前の話になるが、ガリラヤ湖畔でのイエスの宣教の開始は、「悔い改めよ。天の御国は近づいた」という言葉だった。
またイエスは「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない」(ルカ4:43)と言っておられる。イエスは神の国の福音を宣べ伝えるとともに、神の国(天の御国)が近づいたことを表しておられる。

では、この「大漁の奇跡」のお話から、神の国をどのように見ることが出来るだろうか。

 

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「召しと選びの時」

2019年04月26日 06時30分37秒 | 神の国とは

 

イエスはペテロを、どの時点で人間をとる漁師にしようと考えられたのだろうか
シモンの学歴やプロフィールのことはご存じだったのか。

この質問で前回は終わっている。

この段階までに、イエスはペテロのことをどれだけ知っておられたのだろうか。

実は、この湖畔でペテロに会ったのが初めてではなかったかもしれない。

このお話の少し前、ルカ4:38~のところで、イエスはシモン・ペテロの家に行っておられ、そのしゅうとめの病気を癒された。

イエスはそこでペテロに出会っていたかもしれない。

それから何日か後、イエスは湖岸に立っている時、網を洗っているペテロの姿を見かけたのだ。

その後、ペテロの舟に乗り込んでおられる。それからペテロに頼んで岸から少しこぎ出させ、その舟に乗った状態で、群衆に教え始められたのである。
その時、イエスが話しておられる間、ペテロはどこにいたのだろうか。

群衆の中ではなく、イエスと一緒に舟の中にいたと思われる。

そうだとすれば、ペテロは誰よりも近い場所でイエスの話をずっと聞いていたことになる。

そして、話がひと通り終わると、イエスはペテロに声をかけられた。舟を出して、もう一度漁をしなさい、と。

イエスのこの一言は、ペテロには全く思いがけない、想像も期待もしていない言葉であった。

その後の話はご存知の通りだ。

ここで、最初の問いにかえるが、イエスがシモン・ペテロを人間をとる漁師にしようと心に決めておられたのはどの段階だったのだろうか。

ペテロの家で。

湖岸で網を洗っているペテロの姿を見られた

ペテロの舟に乗り込まれた時。群衆に語っておられる時

ペテロがもう一度漁に出ることにした時。

大漁の奇跡の後。これらのどの時点だろうか。

これはわたしの想像である。

ヨハネの福音書では、イエスは、自分は父なる神の言われることに従っているのであって、自分からは何一つしていないと言っておられる。

とすると、父なる神はシモン・ペテロのことをずっと以前から知っておられたはずである。

湖岸に立って網を洗っているシモンの姿を見た、その時に、イエスはもうすでに、この人だという思いを与えられていたのではないか。

シモンの舟に乗り込んで来られたのはそのためだったのではないか。

集まってきた群衆にお話をするためでもあったが、ペテロを人間をとる漁師にするという召命こそが目的であったのではないか。

イエスはペテロの漁という職場の真っただ中に乗り込んでこられた。

そこからすべてが始まったと言える。
次回に続く。

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「わたしは罪深い者」

2019年04月23日 06時38分00秒 | 神の国とは

 

イエスの言われる通りにしたところ、大漁の魚が取れたのだ。

網が破れそうになり、2そうの舟に一杯になった。

その時、シモン・ペテロは、主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」と言っている。

大漁の奇跡の現実を目の前にして、ペテロはなぜこんなことを言いだしたのだろうか。

別にイエスから罪についてのメッセージを聞いたわけでもない。

また、誰かに「あなたは罪深い人間だ」と言われたわけでもない。人からこんなことを言われると、逆に誰でも反発したくなる。

「わたしよりももっと悪い奴もいますよ」と。

しかし、ペテロは誰かに言われたのではなく、自分でそのことに気づいたのだ。

人のことは関係なく、自分自身の罪深い、醜い姿に気づかされたのだ。

だからだろうか、「わたしから離れてください」と言っている。

不思議だ。

 

普段は気づいていなかったのだが、わたしもある時、自分の醜い、汚い姿を見せられて、どうしようもない思いをしたことがある。

と同時に、その時、神の愛が迫って来たのを体験したひとりである。

 

その後、イエスはペテロに何と言われたか。

「恐れることはない」と言われた。

「わたしから離れてください」と言っているから、確かにペテロは恐れていたはずだ。

何を恐れていたのか。

恐れるといっても、それはイエスに対する畏敬の念に似た畏れだとも言える。

この方はいったい誰なのかという思いからくる畏れだった。

そして、その後に、

イエスは、「今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」と言われた。

わたしから離れてください、と言っている男に対して、そのタイミングでイエスは、人生の大きな使命を与えられたのだ。

ここで、お聞きしたいことがあります。

このお話の流れの中で、自分で罪深い人間だと言っているシモン・ペテロを、イエスはどの時点で人間をとる漁師にしようと考えられたのだろうか。

シモンの学歴やプロフィールのことはご存じだったのだろうか。

どう思いますか。

 

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「何を犠牲にして」

2019年04月19日 05時32分42秒 | 神の国とは

 

前回の続き。

群衆に語っておられたお話がすむと、イエスはシモンに「沖へ出て網をおろし、漁をしなさい」と突然言い出された。

ここで忘れないでほしい。

シモン・ペテロはある意味、プロの漁師だった。 このガリラヤ湖のことはよく知っている人だ。

その彼らから見ると、イエスは父なる神さまのこと、信仰のことはよく分かっておられるとしても、漁のことは素人ではないのか。

プロの漁師が一晩中働いて、何の獲物も取れなかった、その同じところに、また出かけ行くようにと素人と思われる人に言われても、すぐに言われるとおりにするだろうか。

それに一晩中働いた後の網も、もう洗ったのだ。

愛と憐みの心をもったお方、イエスは人に無茶なことを言われる方ではないと思うが、もし、ここで、シモンが「無駄です。わたしたちは一晩中そこで漁をして、何も取れなかったのですから」と言って、イエスの言われる言葉通りにしなかったとすれば、どうなっただろうか。

多分、この話は、そこで終わったかもしれない。

そして、聖書にこの話が記されることもなかっただろう。

イエスが個人的に語られても、それを無視し、従わなければ、何も語られなかったと同じことになる。

 

しかし、お言葉ですからと言って、シモンはもう一度沖にこぎ出して行った。

一晩中働いているから、からだは疲れていて、眠い状態だったかもしれない。

それも前に取れなかった同じところにまた行っているのだ。

ここでお聞きしたい。

シモンは「お言葉ですから」と言って、イエスの言われた言葉通りに従っているが、そのためには自分の何を犠牲にする必要があっただろうか。

 

「しかし、お言葉ですから」とペテロは言っている。

これはさっと読めば、それだけの言葉ではあるが、ペテロの漁師としての今までの知識、経験、プライドなどをすべて犠牲にしなければ言えない言葉だ。

これは普通の男性にはかなり厳しいものがある。

 

そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。

そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らが来て魚を両方の舟いっぱいに入れたたので、舟が沈みそうになったのだ。

 

このお話の、この驚くべき奇跡の場面がイメージできますか。 そう難しい場面ではない。

絵の好きな人は、この場面を絵に描いてみることもできる。

この場面は聖書を見なくても、十分に想像できるシーンだと言える。

イエスの言われる通りにしたところ、何と網が破れそうになるほどの魚が取れたのだ。

そして、その魚が2そうの舟に一杯になったので、舟が沈みそうになったというのだ。

すごい話だ。

いなかったはずのところにこんなに魚がいたのだ。

どうして、なぜ、そこにそれほどの魚がいたのか。

この大漁の奇跡は何のためだったのか。

 大漁の奇跡を目の当たりにして、シモンは「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」と言っている。

どうして急にそのようなことを言い出したのだろうか。

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「状況の確認」

2019年04月17日 05時23分48秒 | 神の国とは

 

前回の続きです。

 

 

次のようなことをお聞きするのは、あなたの記憶力を試すためではない。

聖書を見ないで、お話の場面をイメージし、思い浮かべていただきたい。

何度も同じことを言っているが、活字に頼らないで、お話を映像としてイメージするためである。

場合によっては、聖書を読むよりも、このようにイメージする方が話が分かりやすいことがあるからだ。

以下はお話の状況を確認するための質問である。

・イエスのおられる湖畔に群衆が集まってきた。イエスは、その岸辺に2そうの舟があるのを見られた。
その時、漁師たちは何をしていたか。

・イエスは湖畔に集まってきた群衆にみ言葉を語っておられた。どこから語っておられたか。

 

・イエスがシモンに「沖へ出て漁をしなさい」と言われた時、シモンは、自分たちは一晩中漁をしたのに何もとれなかったと言っている。しかし、シモンはなぜ、もう一度漁に出ることにしたのか。

 

・イエスの言われる通りにしたところ、二そうの舟にいっぱいの魚が取れた。取れた魚があまりにも多かったので、シモンはイエスの前にひれ伏して、自分のことを何と言っているか。

 

・その後、イエスはシモンに対してとても重要なことを言われた。どういうことを言われたか。

 

・イエスはこの湖畔つのことをたとすると、それはどういうことか。

 

この物語の場面を映像として思い浮かべ、イメージすることが出来ましたか。

その上で、ここに隠されている真理を、教えられることを探していきたいと思う。

 

 

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