愛をもって本当のことを言ってくれる人、そういう人を、あなたも必要としておられるでしょうか。
ということで、イエスの言われた言葉から判断して、
この時、イエスは妹マリヤの味方をしているのではないかというのは、人間の国からの見方だ。
イエスはここで、マルタの国と対決しておられ、神の国を表しておられる。
イエスの神の国の視点から見ると、無くてはならないものは多くない。
一つだけだ。
妹マリヤはそれを選んでいる。
では、マリヤが選んでいるという、それは何だったか。
マリヤはイエスの足元に座って、み言葉を聞いていた。
そうだ。
神の国の視点からは、このことが大きく評価されるのだ。
神の国に生きたいと願う人は、ここからスタートすることになる。
つまり、人の言葉以上に主のみ言葉に耳を傾けるのである。
ということで、自分の国の中で不平不満の気持ちをもっていたマルタに対して、
妹のマリヤは神の国に生きようとしている人だった。
ただ、ここで、このマリヤが信仰的な優等生だからというのではなく、
彼女にも内面的な悩みや問題があり、自分は変わりたいという切実な思いをもっていたからだと、
わたしは思う。
マリヤは良い方を選んだのであって、マリヤ自身が良い人であったと、
イエスは言ってはおられない。
人は人を理想化するところがあるが、聖書は必ずしも人を理想化していない。
人間の国から見ると、マリヤは何も手伝いもしないで、ただ座っている人にしか見えないが、
この人は神の国に生きようとしているとイエスは見られたのだ。
「しかし、無くてはならないものは多くないのです。
いや、一つだけです。
マリヤはその良い方を選んだのですから、それを彼女から取り上げてはなりません」
同じ人の姿を見ていても、見る人の視点が違うとこんなに違ってくる。
というわけで、イエスの視点、神の国の視点で自分や周りを見ていく人と、
自分の国やこの世の国の視点で物事を見る人とは大きな違いがある。
あなたは今、どちらの方に関心がありますか。





