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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「神の国での評価」

2019年03月29日 06時18分24秒 | 神の国とは

 

愛をもって本当のことを言ってくれる人、そういう人を、あなたも必要としておられるでしょうか。

 

ということで、イエスの言われた言葉から判断して、
この時、イエスは妹マリヤの味方をしているのではないかというのは、人間の国からの見方だ。

イエスはここで、マルタの国と対決しておられ、神の国を表しておられる。

イエスの神の国の視点から見ると、無くてはならないものは多くない。

一つだけだ。

妹マリヤはそれを選んでいる。

では、マリヤが選んでいるという、それは何だったか。

マリヤはイエスの足元に座って、み言葉を聞いていた。

そうだ。

神の国の視点からは、このことが大きく評価されるのだ。

神の国に生きたいと願う人は、ここからスタートすることになる。

つまり、人の言葉以上に主のみ言葉に耳を傾けるのである。

ということで、自分の国の中で不平不満の気持ちをもっていたマルタに対して、
妹のマリヤは神の国に生きようとしている人だった。

ただ、ここで、このマリヤが信仰的な優等生だからというのではなく、
彼女にも内面的な悩みや問題があり、自分は変わりたいという切実な思いをもっていたからだと、
わたしは思う。

マリヤは良い方を選んだのであって、マリヤ自身が良い人であったと、
イエスは言ってはおられない。

人は人を理想化するところがあるが、聖書は必ずしも人を理想化していない。

人間の国から見ると、マリヤは何も手伝いもしないで、ただ座っている人にしか見えないが、
この人は神の国に生きようとしているとイエスは見られたのだ。

「しかし、無くてはならないものは多くないのです。

いや、一つだけです。

マリヤはその良い方を選んだのですから、それを彼女から取り上げてはなりません」

 

同じ人の姿を見ていても、見る人の視点が違うとこんなに違ってくる。

というわけで、イエスの視点、神の国の視点で自分や周りを見ていく人と、
自分の国やこの世の国の視点で物事を見る人とは大きな違いがある。

あなたは今、どちらの方に関心がありますか。

 

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「愛をもって本当のことを」

2019年03月26日 06時20分08秒 | 神の国とは

 

マルタとマリヤは女の姉妹だったが、姉と妹は対照的だ。

接待のことに忙しくしていた行動的で、
積極的な姉とイエスの足元に座ってじっと話を聞いている妹。

この妹のことで怒っている姉の話。

 

その姉マルタに対して、イエスは結構ハッキリしたことを言われた。

こんなことを言えば、怒っている人をもっと怒らせることにならないのか、
そういう心配をしたくなるような言葉だった。

 

「マリヤはよい方を選んだのだから、それを彼女から取り上げてはいけません」
とイエスは言われたが、では、イエスは妹マリヤの味方をされたのか。

そうではない。

それは「人間の国」からの見方だ。

 

そうではなく、イエスはこの時、
「神の国」の立場からハッキリとマルタに向き合っておられる。

まず、イエスは最初に「マルタ、マルタ」と二度名前を呼ばれた。

遠い所にいる人に2度名前を呼ぶことはあるかもしれないが、
この場合は自分の目の前にいる人に対してだ。

 

わたしはよく、バイブル・トークのグループで、このところを話す時、
その人たちにお願いすることがある。

「今、隣の人に、ファーストネームで二度名前を呼んでみてください」

そして、お互いに相手の名前を二度呼んでみる。

呼ばれた人はどんな感じがしただろうか。

嫌な感じだろうか。

もちろん、呼び方にもよるし、その時の感情にもよるだろう。

 

そうだ。

イエスが「マルタ、マルタ」と二度名前を呼ばれたのは、
そこに何らかの感情が込められていたはずだ。

想像ではあるが、この時点で、
イエスがマルタのことを思う気持ちがきっと本人に通じたのではないか。

人間的な言い方をすれば、イエスには自信があったのだ。

どんな自信か。

自分はマルタのことを本当に思っているという自信だ。

だから、厳しい言葉で本当のことを言っても大丈夫という思いである。

 

この時、イエスは愛をもって本当のことを言われたのだ。

そうだ。これもイエスの国、「神の国」の現れである。

「神の国」とは、愛をもって本当のことを言うことの出来る国なのだ。

そんな国、魅力がありませんか。

 

「人間の国」ではどうか。

愛のない人が本当のことを言うこともある。

愛のある人は本当のことを言はないことが多い。

 

エペソ4:14~15 
こうして、私たちはもはや子どもではなく、

人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、

吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、

むしろ、愛をもって真理を語り、

あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。(新改訳2017)

 

 

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「妹の味方?」

2019年03月22日 06時47分48秒 | 神の国とは

 前回の続きから。

「郷に入れば郷に従う」ということわざがある。
もし、イエスがこの時、ここはマルタの家だからマルタにご自分を合わせたとすればどうなっただろうか。

ここはマルタの家であり、マルタの国でもある。

家の主でもあるマルタに敬意を払って、

「マリヤ、お姉さんが忙しくしているようなので、あなたも行って手伝ってあげなさい」ということになったかもしれない。

そうなれば、この話は普通の話となり、聖書には記されることはなかっただろう。

客として迎えられていたにもかかわらず、この時、イエスはご自分の主権と支配を放棄しておられない。

つまり、マルタの国にしっかりと向き合われたのだ。

そうだ。

それが「神の国」なのだ。

そして、イエスはこの「神の国」の視点から、不平不満の気持ちをぶっつけてきた姉マルタにしっかりと向き合っておられる。

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っています。

しかし、無くてはならないものは多くないのです。

いや、一つだけです。

マリヤはその良い方を選んだのですから、それを彼女から取り上げてはなりません」

 

えっ、イエスさま、あなたは妹マリヤの味方をしておられるのですか。

それはまずいのではないでしょうか。

それでは、あなたのために一生懸命、おもてなしをしている姉マルタが可哀そうです。

イエスさま、あなたも信仰、信仰と言って、現実のことにうとく、無関心な人と同じなのですか。

そうですね。

信仰のことや心の問題を重視する人の中には、時々、現実のことがキチットできていない人もいる。

霊的過ぎて、現実のことに弱い人もいる。

そういう人があなたの周りにもいますか。

いません?

「神の国」の話をしようとしているのに、すぐに「人間の国」の話に戻ってしまいますね。

次回に続く。

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「郷に入れば郷に従う」

2019年03月19日 06時36分08秒 | 神の国とは

 

「マルタとマリア」の話から、「神の国」に対抗する国があることを、お話してきた。

それは「マルタの国」だった。

「不思議な国のアリス」ならぬ「不思議な国のマルタ」だった。

いや、これは不思議な国ではなく、今でも、そこらにどこにでもある普通の国なのだ。

その国が「神の国」に対抗しているのである。

どういうことか。

「郷に入れば郷に従う」ということわざがある。

英語の訳では、when in Rome, do as the Romans doになるそうだが、これは中国人、韓国人、日本人に通用することわざのようである。 

外国に行ったら、その外国の法律や習慣に従わなければいけない。

イエスはマルタの家に来たのだから、郷に入れば郷に従うことになるわけだ。

マルタは、自分の家では、自分の思うように人を支配できるわけで、他の人は、郷に入れば郷に従わなければならない。

ここで、あなたやわたしがイエスと同じように、このマルタの家に招待されていたとすると、どういうことになっただろうか。

もちろん、おもてなしの精神旺盛な日本人の家にお客さんとして迎えられた場合は、マルタのように何かを頼まれたりすることは、とても考えられない。

だとしても、わたしなど、いろいろ気を使って、内心はどう思ったにせよ、郷に従ったかもしれない。

いや、きっと従っただろう。

しかし、その家に招かれていたイエスはそうはされなかった。

なぜなのか。

イエスはご自分の国をもっておられたからだ。

それは何という国か。

ここに、二つの国がぶっつかっている。

次回に続く。

 

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「自分の支配下に」

2019年03月15日 06時42分53秒 | 神の国とは

 前回からの続き。

「マルタとマリヤ」の話から、神の国について学んでいこうとしています。

ついて来ておられますか。

この話から、「神の国」に対抗する国があると言いましたが、どう思われますか。

これはわたしの勝手な言い方ですので、これが正しい聖書解釈だと言っているのだとは思わないでください。

あなたがご自分で判断してください。

 

「神の国」に対抗する国、それは「マルタの国」だ。

マルタは自分の家にイエスをお迎えした。

実は、その家は「マルタの支配下にある国」だった。

マルタが自分の思うように出来て、人を自分の支配下に置くことの出来る国なのだ。

おそらく、妹のマリヤはいつもその支配下にあったと思われる。

「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを何とも思われないのですか」

と、マルタはイエスに言っている。

その言葉の裏には、この時、妹のマリヤは自分の手伝いをして当たり前だという気持ちが隠されている。

つまり、言い換えれば、妹も自分の支配下で、自分の願う通りに行動して当然だというわけだ。

だから、マルタの立場から言えば、イエスさまも当然、自分と同じように思ってくれるはずなのだ。

その後の、マルタの言葉からそのことが推測できる。

「妹が、わたしの手伝いをするようにあなたから言ってやってください」

何ということか。

自分の家にお迎えしたイエスに何かを指図しているマルタがここにいるのだ。

イエスさま、あなたもわたしと同じ考えでしょうから、妹にあなたから言ってやってください、というわけだ。

これはどういうことなのか。

妹も、そしてイエスさまさえも自分の王国の支配下に置こうとしているマルタがここにいのだ。

どう思いますか。

 

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