エルサレムの神殿で「宮きよめ」をされたその日、イエスはどのようにしてエルサレムの町に入ってこられたか。
マタイ21章1節から始まるそのお話にこの「宮きよめ」の話が続いていて、ふたつは同じ日の出来事だったことが分かる。
このエルサレム入城と「宮きよめ」のふたつの話はつながっている。
これは意味がある。どんな意味があるのか。
敵との戦いに勝利した王が、堂々と凱旋して、自分の国に帰って来たというような場面を映画などで見ることがある。
白馬にまたがった王が大勢の従者を従えて威風堂々として帰って来たのを、沿道を埋めた大勢の群衆が歓呼の声を挙げて迎えている。
これは古代ローマ帝国においても、よく見られた光景であったかもしれない。
そのイメージと重ね合わせるかのように、イエスは子ロバに乗って、エルサレムに入城された。
その時、大勢の群衆が自分の服を道に敷いたり、木の枝を切ってきて、それを道に敷いたりした。
イエスがエルサレムに入られると、都中の人たちが「これはいったいどういう人だ」と言って騒ぎが起こった。
これは、マタイ21章の1節からの個所に記されているエルサレム入城の話だ。
弟子たちや人々が、イエスをそのように王として担ぎ上げたのだろうか。
イエスは言われるまま、それにのっていかれたのか。
このエルサレム入城はそもそも誰が言い出して始まったことであったか。
マタイ21:1-11
さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、
「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。
もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。
こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。
すなわち、「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」。
弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。
そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、
「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。
イエスがエルサレムにはいって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、
「これは、いったい、どなただろう」と言った。
そこで群衆は、
「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。(口語訳)
次回に続く。





