「神の国」について聖書から学んでいる。
死後の天国のことでもなく、将来完成される神の国でもなく、今現在現わされる神の国のことを学んでいる。
イエスの到来は神の国の到来であったが、今日もイエスは「神の国とその義とを求めなさい」と言われていると、わたしは信じている。
イエスが十字架の前に、裁判の席で、総督ピラトに言った言葉があるが、そこにはイエスの国とこの世のものが対比なされている。
ヨハネ18:36
イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。
もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。
しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。(口語訳)
「わたしの国はこの世のものではない」とイエスは2度も言っておられる。
イエスを王とする神の国は、この世から出たものではなく、この世にその起源があるのではない。
言い換えれば、神の国は別の世界から、つまり天からのものなのだ。
主の祈りには、「御国が来ますように。みこころが天で行われているように、地にも行われますように」とある。
見えない天からこの地上に住むあなたやわたしのところに御国が来るのだ。
また、他の聖書の個所には王についての興味深い話が出てくる。
「イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた」(ヨハ 6:15 口語訳)
なぜ、人々は、この時、イエスを王としようとしたのか。
これは人里離れたへんぴなところで、イエスが5000人の人たちを5つのパンと2匹の魚で満腹させられた後のことであり、それはイエスの憐みの心から出たことであった。
ところが、その後人々は、イエスが王となって、この世を支配してくれれば、自分たちのいろいろな生活上の問題は簡単に解決してもらえると思ったようだ。
この時、この人たちに王として祭り上げられ、利用されることをイエスはきっぱりと拒否しておられる。
イエスの神の国はこの世から出るものではないからである。
この話は今の時代のわたしたちにも関係のある話だろうか。
どう思いますか。





