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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「伝道とは」

2018年06月28日 06時20分54秒 | 聖書の真理発見

キリスト教の伝道とは、人の数を増やすための、単なる信徒獲得運動ではありません。

今まで見てきた、このお話しから判断して、伝道とはどういうことでしょうか。

個人伝道とチーム伝道はどう違うでしょうか。

 

わたしは単純に、伝道とは人をイエスのもとに連れていくことだと信じています。

そして、その人がイエスに出会うなら、救われます。

ひとりの人をイエスの所へ連れて行くことが伝道であるとするなら、中風の人をイエスのところへ連れて行った、この4人のしていることはチーム伝道と言えます。

 

人をイエスの所へ連れて行くことが伝道であるとするなら、今日はどうすることでしょうか。教会に連れていくことも一つかもしれません。

しかし、教会の礼拝に連れて行かなくても、イエスに出会う方法はないのでしょうか。

このような聖書のお話を一緒に学ぶことを通して、その人にイエスを紹介することも出来ます。

また、今日も祈りを通して、人はイエスの前に出ることが出来ます。

そう難しいことではありません。

 

・イエスの元へ連れて行く前に、ここでの4人の人は日頃から、中風の人とよい関係をもっていたことが想像できます。この人の言うことならということで中風の人は了解したと思われます。

 

・人をイエスのもとへ行くのに、いろいろな問題、障害、妨害もあるかもしれません。

難しいことも起こります。この4人の人たちの場合も、イエスに近づくためには高いハードルを越えなければなりませんでした。ひとりではとても無理でした。

この4人はチームでそれを乗り越えています。

 

あなたはそのような信仰の仲間をもっていますか。

お互いに信頼し、協力し合える仲間をもとうとしていますか。

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「確認です」

2018年06月25日 06時02分35秒 | 聖書の真理発見

 これまで中風の人の癒しと罪の赦しについて一緒に学んできました。

イエスは、ご自分に罪を赦す権威があることが誰にも分かるように証明されました。

さて、このお話しをもう一度思い出しながら、少し確認したいことがあります。

 1.中風の人を運んできた4人の人たちの信仰の心をイエスは見られました。

2.イエスは律法学者たちが口には出していない批判的な心の思いを見抜かれました。

3.中風の人に「罪は赦された」と言われ、中風の人の心を見ておられました。

4人の人たちは何も言っていません。

律法学者たちも口に出して何も言っていません。

もちろん、中風の人も何も言っていません。

この人たちは誰も言葉として口に出して何も言っていません。

 このお話の中で話しているのはひとりだけです。

誰ですか。

イエスです。

イエスは目に見えない人の心を見ておられます。

人の心は外見だけでは分かりません。

 「しかしイエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。それは、すべての人を知っておられ、また人についてあかしする者を、必要とされなかったからである。それは、ご自身人の心の中にあることを知っておられたからである」(ヨハネ2:24—25口語訳)

 

律法学者たちの批判的な裁く心をイエスは見抜かれました。

この律法学者たちは、神を信じ、聖書をよく知っていた人たちです。

こうしなければならない、こうしてはいけない、それは間違い、それはおかしいという目

で、いつも裁く目で人を見ている人たちでした。

ですから、このような人たちは人間関係では孤独です。

 

それに対してイエスは赦されました。これは裁きではなく、恵みの世界です。

正直な心で主イエスのもとに来る人は赦され、ありのままで受け入れられる世界です。

この方は罪を赦す権威をもっておられるだけでなく、全ての人の罪をご自身が一身に引き

受け、十字架に架けられました。

 

ところで、一般に、人間関係には人を裁く傾向と赦す傾向とがあります。

あなたの場合、どちらかと言えば、どちらの傾向が強いですか。

 

次回に続きます。

 

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「罪を赦す権威」

2018年06月22日 05時57分48秒 | 聖書の真理発見

前回の続きです。 

中風の人に、イエスは「あなたの罪はゆるされた」と言われました。

その時、この人はその言われた意味が分かったでしょうか。

それは分かっても、分からなくてもよいことでしょうか。


イエスはそう思っておられません。

この中風の人の場合、自分の罪が赦されたことがどのようにして分かったのでしょうか。

もうお分かりですね。

もう一度、聖書を見てみましょう。

 

マルコ2:9-12

中風の人に、あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。

しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の人にむかって、

「あなたに言う。起きて、床を取りあげて家に帰りなさい」と言われた。

すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、「こんな事は、まだ一度も見たことがない」と言った。(口語訳)

 

「あなたの罪は赦された」という罪の赦しの宣告が本当であることをイエスは分かってもらいたかったのです。

それは、当の中風の人だけにではありません。

そこにいる皆にです。

特に批判的な思いをもって見ていた律法学者たちにも分からせるために、中風の人に向かって「起きなさい。床を取って家に帰りなさい」と言われました。

 その時、何も起こらなければ、「あなたの罪はゆるされた」という宣告も意味のない、ただのいい加減な言葉であったことになります。

しかし、驚くべきことに中風の人は起き上がりました。床を取り上げ、担いで皆の前から出て行きました。

 その前に、イエスは大事なことを言っておられます。

「人の子が地上で罪をゆるす権威を持っていることがあなたがたに分かるために」と彼らに言い、その後中風の人にむかって、「あなたに言う。起きて、床を取りあげて家に帰りなさい」と言われました。

 ここで何を教えられますか。

イエスの目的は病気を癒すことだけではありませんでした。

罪を赦す権威をもっていることを皆に分からせることが目的でした。

 

だいぶ昔の話しですが、京都の山科あたりで、わたしは車のスピード違反で警察に捕まったことがあります。

その取調べの机の前に座って、警察官に免許書を見せながらいろいろと聞かれました。

「あなたの郷里は福岡ですか。出身の大学はどこですか。えっ、わたしと同じ大学の出身ですね」

「えっ、ではあなたはわたしの後輩ですか。この罰金なんとかなりませんか」「いや、それは……」

この警察官はわたしの大学の後輩でしたが、その理由では、わたしの交通違反の罪を赦すことは出来ませんでした。

 

しかし、イエスは罪を赦す権威をもっておられることを皆に知らされました。

人は病気が癒されても、やがて死んでいきます。

罪が赦されて、平安が与えられ、新しい命に生きていく人となるのは、病気の癒し以上に永遠の命につながっていきます。

 

ですから、これはあなたやわたしにも関係のある重大なことではないでしょうか。

さらに次回に続きます。

 

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「罪の赦しの宣告」

2018年06月19日 06時17分12秒 | 聖書の真理発見

 前回の続きです。

イエスは中風の人に

「子よ、あなたの罪は赦された」と言われました。

そして、イエスはこの言われた言葉が単なる言葉ではなく、本当にそうだということを証明されました。

 

しつこいようですが、またお聞きします。

この中風の人はいったい何をしたので罪を赦されたのでしょうか。

今日、特別なことは何もしなくても、お金を一円も出さなくても、罪の赦しを宣言してくれる、そういう宗教はあるでしょうか。

あるとすれば、何かいい加減で、嘘っぽいと思いませんか。

 

この中風の人がしたことと言えば、イエスのところへ連れてきてもらっただけです。連れてきた4人の人たちのその熱意ある信仰を見て、イエスはこの罪の赦しの宣告をされました。

 

だいぶ前の話しですが、この聖書の箇所を一緒に学んでいる時、ある婦人がこういう話をしてくれたことを思い出します。

「わたしは姉に、こう言ったんです。

『イエスさまを信じたら、罪がゆるされるんやで』

それに応えて姉はこう言いました。

『罪がゆるされるんか』

 

そして、この人はイエスさまを信じたそうです。

こういう場合もあるのですね。

主は人それぞれ違った仕方で働かれます。

同じことが他の人にも当てはまるとは限りません。

 

この中風の人は罪の赦しの宣告を受けました。

ところで、この人には赦されたことが分かったでしょうか。

あなたは自分の罪が赦される経験をしましたか。

罪が赦されたことがどうして分かりましたか。

 

イエスはその後、何と言われたかがこのストーリーの大切なポイントです。

次回に続きます。

 

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「どちらがやさしいか」

2018年06月16日 06時01分04秒 | 聖書の真理発見

イエスは見抜かれたのですね。何をですか。

律法学者たちの心の中の思いをです。

人には見えないところです。口に出していない、その人たちの心の思いです。

 

この少し前にも人には見えないものを、イエスは見られましたね。

何でしたか。

中風の人を運んできた人たちの、その信仰を見られました。

そしてまた、イエスは人には見えない中風の人の心の罪を知っておられました。

 

ここでイエスとはどういう方だと思いますか。

このように人の心を見られるイエスさまと交わりをもっている人はこのことを知っておく必要があります。

なぜですか。

それは祈りにも関係があるからです。

祈る時、自分の心の思いを正直に祈っていますか。

その祈りを聞いておられる方は、人の心を見ておられる方です。

 口には出さなかった心の思いでしたが、イエスは律法学者たちのその思いを

ご自身の霊で見ぬいてハッキリしたことを言われました。

律法学者たちはきっと驚いたでしょう。

口では言っていないのに、心の中を見抜かれてしまったからです。

 

そして、イエスはその後、質問をされました。

イエスはよく質問をされますが、今回は簡単なようで結構難しい質問でした。

 

マルコ2:8-9

イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の霊ですぐ見ぬいて、

「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。中風の人に、あなたの罪はゆるされ

た、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。

 

どうですか。

中風の人に、あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きよ、床を取りあげて歩けと言うのと、どち

らがやさしいと思いますか。

 

「罪がゆるされた」と言う方がやさしい、と言う人もいます。

「起きよ、床を取り上げて歩け」と言う方がやさしい、と言う人もいます。

どう思いますか。

どちらも難しいという人もいるかもしれませんが、質問はどちらがやさしいかと聞かれていますか

ら、どちらかを答えなければなりません。

次回に続きます。

 

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