お変わりなくお過ごしでしょうか。
お変わりなく・・・と言うと、一般的には悪いことは何もなかったでしょうかという意味ですが、良いことで何かお変わりありませんでしたか。
日々の生活の中では、悪いこと、良いことなどいろいろです。
しかし、主イエスを信じている人には万事が益とされるとわたしたちは信じています。
今日から始める新しい聖書のお話しもその一つの素晴らしい例と言えます。
ああ、その話か、その話ならよく知っている。
出来れば、もっとあまり知らない話の方がよいのだけど・・・と思われる方もおられるかもしれません。
わたしは聖書をもう60年以上も読んでいる者ですが、これは本当に不思議な読み物だと思っています。
まだまだ分からないところも沢山あるのですが、一度読んでよく知っていると思っている話から、後になって、また新しい気づきや発見があるのです。
以下のお話しをその場の光景を思い浮かべながら、読んでみてください。
幾日かたって、イエスがまたカペナウムの町に来られた時のことです。
家におられることが知れ渡り、多くの人々が集まってきて、戸口のところまですきまが無いほどになりました。
イエスは皆にみ言葉を語っておられたのですが、ひとりの中風の人が4人の人に運ばれてきました。
ところが、群衆のためにイエスに近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、そこから中風の人を床に寝かせたまま、つり降ろしました。
イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に言われました。
「子よ、あなたの罪は赦された」
ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えたのです。
「この人は、なぜあんなことを言うのか。神を汚すことだ。
神おひとりのほかに、いったい誰が罪を赦すことができようか」マルコ2:1-7より
話は途中ですが、取りあえずここまでにします。
やっぱり知っている話でしたね。
このお話しはもう賞味期限切れで、新鮮味がないと思われる方もおられるかもしれません。
そう思われる方もおられるだろうなーと思いながらも、敢えてこの話を選びました。
では、ふたつのことをお聞きします。
記憶力を試すためではなく、このストーリーの場面をハッキリと思いに描いていただくためです。
①4人の人は家の屋根を壊して、大きな穴をあけ、そこから中風の人を吊り降ろしたのですが、こんな荒々しいやり方ではなく、他に選択肢は考えられなかったのでしょうか。
例えば、人がこんなに多いのならと、あきらめて帰った…とか。
聖書の話しをなぜそんな風に考えるのか、と疑問をもたれる方もおられるかもしれませんが、このストーリーの内容、光景をさらにハッキリさせるためです。
②4人の人とこの中風の人とはそもそもどんな関係だったのでしょうか。
想像してみてください。どんな答えにも正しい、間違いはありません。
何のためにそんな想像をするのでしょうか。
それは真理発見の上で意味があるからです。
次回に続きます。





