goo blog サービス終了のお知らせ 

浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「サイン」

2018年01月30日 05時49分46秒 | 聖書の真理発見

 

水がぶどう酒に変わった、その驚くべき奇跡によって、その婚礼の場での関係者は大変な問題の解決を得ました。

イエスは人々の困った問題を見事に解決されたのでした。

それは何のためだったのでしょうか。

それはもちろん、一生に一度の大切な祝いの場で新郎新婦が恥を掻かないためでした。

しかし、それだけではありません。

 

ヨハネ2:11 
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。

John2:11
This beginning of signs Jesus did in Cana of Galilee, and manifested His glory; and His disciples believed in Him.

 

ここには、イエスがされた奇跡のことを「しるし」「サイン」と言われています。

「しるし」「サイン」はどこまでも何かを指し示している「しるし」です。

もちろん、サインそのものよりも、指し示しているものの方が大切です。

では、この奇跡はしるしとして何を指し示しているのでしょうか。

そのしるしはイエスを指し示しています。

人々の称賛や注目が新郎新婦に向けられるのが、普通の結婚式です。そこでなされるスピーチなどはすべて新郎新婦のことが話題となります。

ところが、このカナの婚礼の場では、水がぶどう酒に変わった奇跡(しるし)によって、イエスの栄光が現されました。

どういう栄光でしょうか。

ヨハネ1:14を見てください。

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」(口語訳)

そうです。恵みとまことに満ちている、父の独り子としての栄光が現されたのです。

イエスのことですね。

言い換えれば、水がぶどう酒に変えられたこの奇跡こそ、イエスがどういうお方であるかを指し示している「しるし」でもあるのです。

ですから、このことを知って弟子たちは改めてイエスを信じました。

新しくイエスと出会ったのです。

 

平凡な水が味と香りのあるぶどう酒に変わったように、あなたやわたしが主イエスを信じて、変えられたのは、ただ自分のためだけではありません。

その救いの変化もイエスを指し示すもう一つの「しるし」と言えないでしょうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「誰が栄光を」

2018年01月27日 06時34分15秒 | 聖書の真理発見

 ガリラヤのカナの町で行われた婚礼の場で、イエスは水をぶどう酒に変える驚くべき奇跡に行われました。

これはイエスが行った最初の奇跡であったと言われます。

この奇跡によって婚礼の場での問題は解決されたのですが、それだけがこの奇跡の目的だったのでしょうか。

他にどういう目的があったのでしょうか。

このお話の最後の1節にそのことが書かれています。

 ヨハネ2:11 
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。

John2:11
This beginning of signs Jesus did in Cana of Galilee, and manifested His glory; and His disciples believed in Him.

 

ここで「その栄光を現された」とありますが、どういうことでしょうか。

分かりにくい言い方ですが、ここに重要な意味があると思います。

 

婚礼の場でぶどう酒がなくなった時、新郎新婦や料理がしらが恥を掻くことになったであろう事態をイエスは見事に解決されました。

「よかったよかった」で終わってもよかったかもしれません。

しかし、最後の11節の言葉が付け加えられています。これはただの付け足しでしょうか。

 

通常、結婚式や披露宴の場で、皆の称賛や注目が集まるのはどこでしょうか。

そうですね。新郎と新婦がその場での中心的な存在です。皆の目がそこに集まっています。

では、水がぶどう酒に変わった、その奇跡の後、人々の注目はどこに向けられたでしょうか。

イエスに言われるまま、水を汲んで、料理がしらのところへ持っていったしもべたちの口から、その後、人々はどんなことを聞かされたでしょうか。

 

今日、教会の集会など、いろいろな集まりでは、どこに人々の称賛や注目が集まっているでしょうか。

誰が栄光を受けることになっているでしょうか。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「不可解な言葉」

2018年01月24日 07時20分30秒 | 聖書の真理発見

母マリヤの話に戻ります。

覚えておられますか。

マリヤは婚礼の席でぶどう酒がなくなったことで、イエスに助けを求めてきました。

しかし、イエスはその母マリヤに対して冷たいような、不可解なことを言われました。

「婦人よ、あなたとわたしとは何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」

Jesus said to her, "Woman, what does your concern have to do with Me? My hour has not yet come."

英語の訳とは少し違っていますが、両方を読み比べることで内容がもっと分かるように思います。

 

自分の母に対して「婦人よ」とはどういうことでしょうか。

「母上」とか「お母さん」と言われませんでした。

イエスと母マリヤとは親子関係であることは間違いありません。

その親子関係があってこそマリヤは問題解決の助けをイエスに求めてきたのでしょう。

この時、主イエスが驚くべき奇跡を行う上で、そのような親子の絆は助けとはならなかったのですね。

 

では、イエスは母マリヤにどんな関係を求めておられたのでしょうか。

「わたしの時はまだ、来ていません」とはどういう意味なのでしょうか。

 

ところで、当のマリヤはこのイエスの言葉の意味が分かったのでしょうか。

わたしやあなたには不可解なイエスのこの言葉をどうやら、マリヤは分かったようです。
僕たちに言った言葉からそのことが推察できます。

母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。

 

これはどういう意味でしょうか。

最初マリヤはぶどう酒がなくなったことで何とかしてほしいと、イエスのところへお願いにいきました。

今回は、イエスの言われることは何でもその通りにしてください、と言っています。

言い換えると、

1回目は、イエスに何とかしてもらいたいという願いです。

2回目は、イエスの言われることに何でも従うということです。

 

「わたしの時はまだ来ていない」と言われた、そのイエスの時は来たのでしょうか。

マリヤからしもべに指示が与えられた時、イエスは動き始められました。

 

あなたやわたしはイエスにいろいろなことでお願いの祈りをすることもあると思います。
しかし、一方で、イエスの言われることに聞き従う態度はどうでしょうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ビフォー&アフター」

2018年01月21日 06時41分54秒 | 聖書の真理発見

 カナの婚礼のお話、だいたいストーリーが頭に入っているでしょうか。

このお話から更に教えられることがあるでしょうか。

ここでまの、このお話から新しく気づいたことがありますか。

 

水がぶどう酒になったという奇跡についてです。

どちらも液体ですが、水は無色無臭で、味も色も香りもありません。

ぶどう酒には味、香り、色があります。

ありきたりの平凡な水が味と香りのある高級なぶどう酒に変わったのです。

いろいろなビフォー & アフターの話でもこんな話はありません。

 

ところで、この話は主イエスを信じた人のことと関係ないでしょうか。

見た目にそれほど鮮やかに変化したわけではありませんが、平凡で味も香りもないようなわたしやあなたが変わったことです。

 神の前には、そうです。

自己中心でただ、自分のためだけに生きていた者が、神のために召され、選ばれ、愛され、義とされているという、この変化です。無味無臭のような人生が平安や喜び、感動という味と香りのある豊かな人生へと変えられたのです。

さて、ここで、もう一度振り返って考えてみなければならないことがあります。

あのカナの婚礼の席にもし、イエスが招かれていなければ、この話はなかったことになります。

そうですね。

ぶどう酒が無くなって、困ったことになったということで、終わりです。

あなたやわたしの人生にも主イエスが招かれているなら、その人生はただの人生とは違ったものとなります。

 どう思いますか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「戸惑い」

2018年01月18日 06時35分26秒 | 聖書の真理発見

 前回の続きです。

「かめにいっぱい水を入れなさい」また、「それを汲んで料理がしらのところへ持っていきなさい」と言われたイエスの言葉に、しもべたちは2回とも従順に従っています。

その1回でも、こんなことを何でしなければならないのか、という思いが働いて、イエスの言われるとおりに従わなかったとすれば、この話はどうなっていたか、です。

めでたい祝いの場、婚礼の席は肝心なぶどう酒がなくなって、何ともしらけた場となったはずです。

その時、一番恥をかくことになったのは誰でしょうか。

多分新郎です。

イエスのみ言葉を聞いても行わない人もいます。

しかし、み言葉を聞いて、それが自分の思いや考えとは違っていても従う人もいます。

話を進めていきます。

 ヨハネ2:9-10
料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。

 料理がしらの戸惑いの様子が手にとるように分かりますね。

その時点で、この人も責任上、婚礼の席でぶどう酒が切れてしまって、次に出すものが無くて困っていたのでしょう。
打つ手も無く、不安と焦りの状況にあったこの人のところへぶどう酒が持ち込まれたわけです。

水から変わったぶどう酒だからといって、水臭いぶどう酒ではなく、なんと色も香りも味も最高級のぶどう酒だということが確認されました。

 その上質のぶどう酒の出所について料理がしらは分かりませんでした。

そこでわざわざ花婿を呼んで聞いています。

その時、聞かれた当の花婿は何と答えたのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ではもし、この料理がしらが花婿ではなく、その僕たちに「どこからこれをもってきたのか」と聞いたとすると、僕たちは何と答えたでしょうか。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、お聞きしたいことがあります。

僕たちが持ってきた、この水はどの時点でぶどう酒に変わったのでしょうか。

どう思いますか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする