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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「万事に益となる」

2017年12月31日 06時25分44秒 | 「神のいのちーシリーズ」

 

わたしは毎朝、特別な事情のある日以外は、ほぼ毎朝、大きな公園までウォーキングをしています。

雨が降ってもなるべく傘をさしていくようにしてます。

もう、40年以上続いているでしょうか。

この習慣はわたしの健康維持にプラスとなっていると思います。

 

1テモテ 4:8 

からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。(口語訳)

 

からだの訓練は少しは益があるというのですね。

何に比べてでしょうか。

信心の訓練と比べると少しは益があるのです。

ウォーキングにせよ、ジム通いにせよ、からだの訓練は多少は益するところがありますが、ある時までです。

それより先、つまり老後ではなく死後のためには何の益もありません。

しかし、主イエスを信じる信心の訓練は今現在のいのちと後の世のいのちにつながっているので、すべての点で有益なのです。

 

聖書のみ言葉を黙想することも信心のための訓練の一つであるとわたしは思っています。

どう思いますか。

 

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「星のように」

2017年12月28日 06時22分05秒 | 「神のいのちーシリーズ」

 昔は夜の空を見上げて、今日も星がきれいだなーと思ったことがありました。

しかし、近頃は星もあまり見えなくなりました。

空がすんでいれば、星が輝くのは真っ暗な夜の空です。

周りが暗ければ暗いほど、星の明かりはハッキリします。

誰の話でしょうか。

 

ピリピ 2:15 

それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。

あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。(口語訳)

 

すばらしいみ言葉ですね。

これを読んで、何を思いますか。

何を感じますか。

自分はまだまだそんな人間ではない、と思いますか。

主イエスを信じる人たち、いのちのみ言葉をしっかり持っている人たち、その人たちの存在価値とはどれほどのものかということです。

「いのちの言葉を堅く持って」いる人たちは、この世の価値観や人生観とは違った価値観を持って生きている人たちです。

その人たちは暗い世に輝いている星のように見られています。

イエス・キリストはご自身のことを「世の光」と言われました。

この主イエスを信じている人たちも星のようにこの世に輝く、そういう存在です。自分で頑張って、光を放っているわけではありませんが。

このみ言葉を黙想し、信じて、受け入れませんか。

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「作り話なのか」

2017年12月25日 06時30分18秒 | クリスマス・ストーリー

 このクリスマスのお話は、夢の中に天使が表れてきたり、星が動いて東方の博士たちを家畜小屋まで導いたりと、やはり昔の童話のような作り話ではないかと思われても仕方がないようなところがあります。

ある意味で、この話は作り話です。

だれが作ったのでしょうか。

東の国で星を見た博士たち、ちょうどそのころベツレヘムの家畜小屋におぎゃあと生まれた幼子イエス。この両者を見事につなぎ合わせるというシナリオ。

人類歴史のある時期に、このストーリーを展開させた方、その方こそ、目に見えない神である主ご自身です。

ここにも神がどのようなお方であるかを、聖書は見せています。

罪深い人間の現実と目に見えない神の現実が見事に交差するクリスマス・ストーリー、その筋書を書き、演出した方がおられます。

このストーリーは、今日、主イエスを信じる人の人生のストーリーとも関係があると思いませんか。

あなたやわたしがイエス・キリストに出会うために、その星の役目をしてくれた人がいましたか。そしてまた、そのために聖書のみ言葉のどこかが与えられましたか。

 もう一度、このストーリーの全体を振り返ってみてみましょう。

 マタイ 2:1-3 

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。

ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。

そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。

彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、

『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。

そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。

彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。

彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。

そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。

そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。

そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、

ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。(口語訳)

メリークリスマス!

 

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「人間の現実、神の現実」

2017年12月23日 07時11分40秒 | クリスマス・ストーリー

 聖書は高いレベルの理想を教えている本だと思っていませんでしたか。

そして、ありのままの生々しい人間の現実を無視していると思っている人たちもいます。

そうでしょうか。

 マタイ 2:13-15
彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、
「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。(口語訳)

 第1回目のクリスマスは、喜びや感動だけで終わりませんでした。

ねたみ、自己保身のために他者を抹殺しようとする人間の罪深い姿が現されています。

そして同時にまた、人間の現実世界や人生に介入して来られる見えない神の現実が現されています。

イエスの父と母、ヨセフとマリヤのふたりは、幼子イエスの誕生と合せて、この二つの現実を身をもって体験しました。

遠くエジプトへと夜逃げをするように旅立って行ったヨセフとマリヤと幼子イエス。

この3人家族の突然のエジプト行きの旅費はどうしたのでしょうか。

想像できることは、あの東方の博士たちがもってきた黄金、乳香、没薬が役に立ったに違いありません。

罪深い人間の現実と見えない神の現実が見事に交差するクリスマス・ストーリーは、あなたやわたしの人生のストーリーとも関係があると思いませんか。

 

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「幼子に会うために」

2017年12月21日 07時27分57秒 | クリスマス・ストーリー

星に導かれて、そしてまた、聖書の預言の言葉に確認を得て、ついに幼子イエスのいるところにやって来たのは、不思議なことに聖書の民ではなかった東方の博士たちでした。

 マタイ2:11-12 
そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。(口語訳)

生れて間もない幼子イエスに会うために、恐らくラクダによる長旅をし、黄金、乳香、没薬といった贈り物まで用意してきて、やっとそこにたどり着いた東方の博士たち。

このためにどれほど長い時間をかけたのでしょうか。

高価で貴重な贈り物を用意するためにも相当のお金を使ったことでしょう。

それだけの時間とお金を使っても惜しいと思わなかったのですね。

不思議なことに、イエスに出会うそのことが、それだけの値打ちと価値あるものであることを彼らはここに身をもって証明しています。

 クリスマス・ケーキを食べることも、ライトアップされたツリーを見ることも幸せかもしれませんが、クリスマスが指し示している幼子イエスに出会い、喜びと感動を体験する人たちは今日も言葉に表せない幸せを知っている人たちです。

どう思いますか。

 

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