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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「神のいのち」(24)

2017年07月31日 09時06分48秒 | 「神のいのちーシリーズ」


「誰が教えたのか」

善悪を知る木から取って食べた後の話をもう少し見ていきましょう。
その結果、アダムとエバはどうなっていったでしょうか。
一つは自分たちの裸を隠しました。
もう一つは、神の前から木の間に隠れました。
さらに続きます。
主なる神に問いただされた時、アダムは何と答えたでしょうか。
その答えからも、善悪を知る木とはどういうものであるかが分かります。

創世記3:11-12
神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。
食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。
人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。(口語訳)

自分のやったことについて、問いただされた時、これがアダムの答えでした。
言い換えると、あなたが一緒にして下さったあの女が悪いのです、と人のせいにしていますね。
何が善で何が悪かを、アダムは自分で決めています。
小さな子が親に怒られると、お兄ちゃんが悪いんや、と言います。
「いいかね、そういう時は、人のせいにするのだよ」ということを、いったい誰が教えたのでしょうか。
誰かに教えられたわけでもないのに、子どもは自然にそういうことを身に着けています。言い換えると、アダムのいのちを受け継いでいるわけです。

主なる神は、今度は女エバの方に向かって言われました。
「あなたは、何ということをしたのか」
女は答えました、
「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」
ここもそうですね。人(へび)のせいにしています。
もちろん、それは嘘ではありません。
嘘ではないのですが、この言い方はやはりすっきりしませんね。
なぜでしょうか。
自分はあまり悪くないという自己主張が背後に隠れているからです。
へびが悪い、自分はあまり悪くないというのは、善悪を知る木から食べた結果でした。
誰かに、そうするのだよと教えられたわけでもないのに、自然に人のせいにして、自分はあまり悪くないという言い分けをするようになりました。
今の時代にも同じようなことがありませんか。
それで人間関係がまずくなり、生きることに辛さを覚えるようになります。
政治の世界には、そういうことが普通に行われているのをニュースで見ます。
国と国の争い事も、根っこにはそういうものがあります。
そういう生き方をすることを誰に教えられたということでもなく、自然に身について生まれてきた人間の姿がここにあります。
アダムとエバが善悪を知る木から取って食べたことが、なぜ悪いのかという疑問は解けたでしょうか。

次は「いのちの木」のことを見ていきましょう。

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「神のいのち」(23)

2017年07月29日 09時38分40秒 | 「神のいのちーシリーズ」


「すべての不幸の始まり」

食べてはいけない、それを食べると死ぬことになる、と言われていた善悪を知る木から取って食べた後、
アダムとエバに何が起こったかを見てきました。
エデンの園で、人が善と悪を知ることを禁じられていた、その理由が少しお分かりになったでしょうか。
神が造られた自分自身を、それ以前は、そのまま受け入れていたアダムとエバは、
その木から取って食べた後、自分たちの姿を恥じるようになりました。
その後、神の前から隠れました。

これらのふたりの行動は、自分で良い悪いを判断し、行動するようになった結果と言えます。
主なる神が良いとされることを良いとし、主なる神が悪いとされることを悪いとしていた時とは、
大きく変わってきました。
もっと、別の言い方をすれば、人は主なる神の思いや意図から離れて、自分が神のようになろうとする道を踏み出したのでした。
そして、これが人間の不幸のすべての始まりとなりました。
旧約聖書は、正に、その後人間はどのような歩みをしていったかを表しています。
その後の人類の歴史上のすべての問題は、人が善悪を知る木から取って食べたことによる人間の歴史とも言えます。

これが聖書の人間理解です。
どんな人も例外なく、生まれた時から、このアダムのいのちを引き継いで、生きています。
自分で善悪を判断し、人を裁き、自分を良しとする自己中心の生き方です。
もっと言えば、自分を神とする生き方です。
しかし、これは本来、主なる神が造られた人間の姿ではなかったのです。
では、本来神が望んでおられる人間の姿をどこに見ることが出来るでしょうか。
希望はあるのでしょうか。

「もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、
まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、
ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか」(ローマ5:17 口語訳)

次回に続きます。

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「神のいのち」(22)

2017年07月27日 09時34分30秒 | 「神のいのちーシリーズ」

「居場所」

食べてはいけないと言われていた「善悪を知る木」から取って食べて後のアダムとエバの話しの続きです。
神の足音を聞いて、ふたりは園の木の間に隠れました。
神から身を隠したアダムとエバに対して、主なる神は何と言ったでしょうか。

主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。(創世記3:9 口語訳)

神はアダムの姿が見えないので、どこにいるのかを聞いているのでしょうか。
隠れているアダムを探しておられるのでしょうか。
実は、善悪を知る木から取って食べた後、ふたりは自分の本来の居場所が分からなくなりました。
本来いるべき場所におれなくなったのです。
そしてやがて、ふたりのために用意されていた、このすばらしいエデンの園からも追い出されることになります。
ああ、なんと悲しいことでしょう。
ふたりは神の用意されたすばらしい居場所を失いました。
それで、今日、人類の先祖アダムの罪を引き継いでいる多くの現代人も自分の居場所を求めています。
自分の安心できる居場所を自分で造ろうとしています。
一時的ではなく、いつまでも安心できる居場所を見つけた人はいるのでしょうか。

イエスが取税人のかしらザアカイの家に招かれ時、ザアカイはイエスと出会って、劇的な救いを体験しました。その後、イエスが言われた言葉です。

「人の子(イエス)が来たのは、失われた人を探し出して、救うためである」ルカ19:10

失われた人とはどういう人のことだと思いますか。
「まいごのまいごの子ねこちゃん」の歌をご存知ですか。
失われた人とは、迷子の子ねこちゃんのような人です。
「なまえ-をきいてもわからない」
本当の自分のことが分かりません。
「おうち-をきいてもわからない」
自分の居場所を失って、自分がどこから来て、今、どこに行っているのか分からない迷子の状態です。

そのような失われた人を探して、救うためにイエスはこの世に来られました。

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「神のいのち」(21)

2017年07月25日 09時16分49秒 | 「神のいのちーシリーズ」


「罪の支払う報酬」

なぜ、アダムとエバは「善悪を知る木」から取って食べることを禁じられていたのか、
その理由は、その木から取って食べた後のふたりに何が起こったかということを見ていくことでよく分かりました。
前回までのところ、ガッテンですか。
善悪を知る木から取って食べた後、人は自分自身のことを恥じて、隠すようになりました。
また、主なる神との信頼の関係と交わりを避けて、隠れるようになりました。
さらに続きます。
罪が入ってきました。
そしてさらに、そこに死が入ってきました。
人は生まれて、死に向かって生きるようになりました。

「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、
こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである」(ローマ 5:12口語訳)

人の肉体は少しづつ死んでいく方向に進んでいくようになりました。
科学や医学の力と知恵を尽くしても、未だに、この死の問題を解決する道はありません。
アンチエイジングという手法で、少しはそれを遅らせることは出来るとしても、
間違いなくすべての人が死に向かっていく人生を止めることは出来ません。
わたしも後期高齢者になって、いろいろと若い頃には経験しない体の衰え感じています。
急速に体力が弱っていくのを日々感じている、このわたしの年代の人たちは、
若い時に比べて、更に自分の死を意識するようになります。

「罪の支払う報酬は死である。
しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」(ローマ6:23口語訳)

主よ、アダムのいのちに生きていた者です。その終局は罪の支払う報酬としての死でした。
そのような者のために、あなたは救いの道を開いてくださいました。
イエス・キリストを信じ、受け入れる者に賜物として与えられる永遠のいのち、この救いを感謝します。

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「神のいのち」(20)

2017年07月22日 09時30分56秒 | 「神のいのちーシリーズ」

「隠れる」

エデンの園の中央にあった「善悪を知る木」のことについて学んでいます。
人間の問題の根源がここにあったようです。
主なる神はアダムに命じて、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよいが、
善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」と言われました。
何が善で、何が悪かを知ることは良いことだと思いませんか。
なぜ、主なる神は、人にそのことを禁じられたのでしょうか。
その理由を知ることは簡単です。
実際に、この「善悪を知る木」から取って食べた後のアダムとエバに何が起こったか
ということを見てゆけば、よく分かります。

女エバは蛇の誘惑に負けて、その木から取って食べました。
そして、そばにいたアダムにも取って与えました。
その結果として、最初にふたりがしたことは何でしたか。
そうです。
自分たちが裸であることが分かって、いちじくの葉をつづり合わせて、腰にまいたのです。
「善悪を知る木」から取って食べた後、神に創造された、そのままの自分の姿を恥じ、
裸のままでは良くないと自分で判断したのです。
「良くない」とですね。
次にふたりがしたことは何だったでしょうか。
主なる神が歩いてくる音が聞こえてきた時、ふたりは急いで、園の木の間に隠れました。
自分たちの姿を神に見られたくなかったのです。

創世記3:8
彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。
そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。(口語訳)

ここから、わたしたち人間は隠すようになり、また隠れるようになりました。
隠すというは、その裏で、知られるのはよくないと、自分で良い、悪いの判断をしているからです。
善悪を知る木から取って食べた後、人は知られることは良くないと判断し、自分の問題を隠し、
また自分自身も隠れるようになりました。
それ以前は、すべて神の前にオープンであり、神との信頼の関係と交わりをもっていました。
何が起こったのかお分かりですね。

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