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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「バイブル・ストーリーによる真理発見」

2017年06月30日 09時07分25秒 | 資料紹介


このブログのタイトルは、間もなく、「聖書との対話」浜崎英一ブログと変わります。


本の紹介をさせてください。
この本は、昨年の11月に地引網出版社より出版されたものです。
聖書の中のストーリーを通して、ひとりひとりが自分で真理を発見していくための自己発見型バイブル・スタディについて
教えているものです。
特に、未信者の方々と一緒に聖書を学ぶための指針としての本です。
これまで、この本を通して、これなら自分でも出来そうだと、未信者の人に声をかけて、聖書の学びのグループをはじめられた方が何人もおらます。
聖書には教えも沢山記されていますが、聖書の中の半分以上はストーリー、物語です。
簡単で、誰にでも分かるお話、ストーリーを通して、聖書はシンプルに深い真理を語っています。
それは、論理的な思考ではなく、絵画的な思考ですので、子どもでもお年寄りでも、誰にでも親しみをもって耳を傾けることの出来るお話しです。

わたしは現在、このようなストーリーを選んで、質問集を作っています。
グループでの聖書の学びを対話型で進めていくための質問集です。
すでに、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネとそれぞれの福音書から13から18くらいのストーリーを選び、質問集を用意しています。
これはこの本を読まれた方々が、自分でもこの学びのグループを始めてみたいと思われる方々のためのものです。
長年、わたしが自分でやってきたことから、また、学びのグループからヒントをもらったりして、出来てきた質問集です。

関心のある方は、一度、この「バイブル・ストーリーによる真理発見」の本を読んでくださることを、お勧めします。


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神のいのちとは・・・(2)

2017年06月29日 17時06分05秒 | 「神のいのちーシリーズ」



このブログのタイトルは、間もなく、「聖書との対話」浜崎英一ブログ に変更される予定です。


「目に見えないもの」

マリヤは聖霊によって身重になりました。

それが事実であると信じている人たちは、更に信じなければならないことがあります。

それは、主イエスを信じている人たちも、聖霊によって新しい命をもらっているということです。

命が与えられるというのは、言い換えると、生まれるということです。

「誰でも、水と霊とから新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」

とイエスはユダヤ人指導者ニコデモに言われました。

新しく生まれる人とは今までもっていなかった新しい命をもらった人のことです。

新しい命をもらった人は、神の国を見ることが出来る新しい目をもらった人とも言えます。

命とは不思議なもので、目には見えません。女性が妊娠すると、新しい命を宿したのです。

その命が10か月後かに、赤ちゃんとなって、オギャアと誕生します。生まれた赤ちゃんが命ではありません。

命を宿している赤ちゃんです。命そのものは目に見えませんが、赤ちゃんのからだが日に日に成長していく姿は、まさに命を表していま

す。

見えないもので、大切なものがいろいろあります。心も見えませんが、見えないからないのではありません。

命も見えませんが、見えないからないのではありません。

天地を創造された主なる神も見えませんが、見えないからいないのではありません。

「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。

見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである」(2コリント4:18口語訳)

主イエスを信じているあなたやわたしのうちに、聖霊によって新しい命が宿っています。この見えない事実を信じていますか。

その見えない命を生きていますか。

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神のいのちとは・・・(1)

2017年06月26日 16時47分25秒 | 「神のいのちーシリーズ」


「処女降誕」

長い間、開店休業していましたブログをまた始めました。


わたしは処女降誕ということが信じられたから、クリスチャンになったのではありません。
「そんな非常識なことをお前は信じているのか」と常識外れの人間だと思われたくないという気持もあります。
しかし、わたしは、主イエスを信じたので、常識ではとうてい信じがたい、この処女降誕のこともそのまま信じられるようになりました。

処女降誕のことが、この世で誰よりも一番信じられなかったのは、誰だったでしょうか。
そうです。マリヤとヨセフでした。
ふたりにとって、処女降誕の事実を受け入れることは、大変な決断を要することでした。
このことについて、聖書にはわかりやすくふたりの不安と動揺の様子が記されています。
特にイエスの父親となるヨセフの場合、それは処女降誕という論理上の問題ではなく、他人ごとでもなかったのです。
自分の許嫁マリヤの身に起こった現実だったのです。
そんなことは、とてもとても信じられない話でした。一度は、マリヤと離縁を決心したことは、その表われだったと思われます。

「ダビデの子、ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。
その胎内に宿っているものは聖霊によるのである」

ある夜、思い悩むヨセフに、夢の中で現れた主の天使の言葉でした。
マリヤが身重になったのは聖霊によるものでした。
人類史上、こんな例は他にありません。
ところが、聖霊によって、新しい命が与えられたというのは、実は、マリヤだけのことではない。

どういうことでしょうか。

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