
「誰が教えたのか」
善悪を知る木から取って食べた後の話をもう少し見ていきましょう。
その結果、アダムとエバはどうなっていったでしょうか。
一つは自分たちの裸を隠しました。
もう一つは、神の前から木の間に隠れました。
さらに続きます。
主なる神に問いただされた時、アダムは何と答えたでしょうか。
その答えからも、善悪を知る木とはどういうものであるかが分かります。
創世記3:11-12
神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。
食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。
人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。(口語訳)
自分のやったことについて、問いただされた時、これがアダムの答えでした。
言い換えると、あなたが一緒にして下さったあの女が悪いのです、と人のせいにしていますね。
何が善で何が悪かを、アダムは自分で決めています。
小さな子が親に怒られると、お兄ちゃんが悪いんや、と言います。
「いいかね、そういう時は、人のせいにするのだよ」ということを、いったい誰が教えたのでしょうか。
誰かに教えられたわけでもないのに、子どもは自然にそういうことを身に着けています。言い換えると、アダムのいのちを受け継いでいるわけです。
主なる神は、今度は女エバの方に向かって言われました。
「あなたは、何ということをしたのか」
女は答えました、
「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」
ここもそうですね。人(へび)のせいにしています。
もちろん、それは嘘ではありません。
嘘ではないのですが、この言い方はやはりすっきりしませんね。
なぜでしょうか。
自分はあまり悪くないという自己主張が背後に隠れているからです。
へびが悪い、自分はあまり悪くないというのは、善悪を知る木から食べた結果でした。
誰かに、そうするのだよと教えられたわけでもないのに、自然に人のせいにして、自分はあまり悪くないという言い分けをするようになりました。
今の時代にも同じようなことがありませんか。
それで人間関係がまずくなり、生きることに辛さを覚えるようになります。
政治の世界には、そういうことが普通に行われているのをニュースで見ます。
国と国の争い事も、根っこにはそういうものがあります。
そういう生き方をすることを誰に教えられたということでもなく、自然に身について生まれてきた人間の姿がここにあります。
アダムとエバが善悪を知る木から取って食べたことが、なぜ悪いのかという疑問は解けたでしょうか。
次は「いのちの木」のことを見ていきましょう。
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