空気は目に見えない。
命も目に見えない。
心も目に見えない。
主なる神も目に見えない。
このどれも、大切なものなのに無視してしまうことが多い。
なぜ?
見えないから。
詩篇33:15
「主はすべて彼らの心を造り、そのすべてのわざに心をとめられる。」
この聖書のみ言葉によれば、
わたしの心は自然にできてきたものではなく、それを造られた方がおられるのだ。
主なる神は心をもっておられる。
神はわたしをご自身のかたちに似せて造られた。
また、わたしのすることについて心をとめられる。
人の顔色や人の目を気にする心と主の目を意識する心。
どちらの傾向が強いか。
主の目を意識する心、
それは信仰に関係している。
人のことをどうしても意識してしまう。目に見えるからだ。
主の方を無視してしまう。目に見えないからだ。
この事実を認めよう。
見えるものはすべて一時的で、見えないものは永遠に続く。
これも聖書の言葉。
聖書は目に見えない神を、見えるように見せてくれている。
イエスは目に見えない神を、見えるように現しておられる。
そのイエスは、信じる者の内におられる「栄光の希望」である。
これも見えない。






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