ルカ2:1-20のこのクリスマス・ストーリーから、神とはどういう方だろうか。
わたしたち日本人の中には漠然とでも神の存在を認めている人は少なくないと思う。
しかし、イエス・キリストのことについてはどうだろうか。
イエス・キリストは偉大な人であったので、死んだ後、弟子たちによって神としてまつられたのだろうか。
イエス・キリストは天地の主なる神からこの世に遣わされた方だった。
このキリスト誕生の経緯のすべてはこの主なる神の発想であった。
その神は、神を信じないローマ皇帝のような影響力のある権力者をも御計画のために用いることができ、ご自分の御計画とタイミングによって、人を動かすことが出来る方であった。
一方で、この主なる神は、人には無視されているような貧しい人たちを選ばれ、用いられた。
このクリスマス・ストーリーによれば、主なる神はイエス・キリストの誕生を多くの人には知らせておられない方である。
御使いは多くの人に遣わされず、他の人は羊飼いたちを通して、その知らせを聞くようにされた。
特に雄弁で説得力のある人たちとも思われなかった羊飼いたちを通してである。
御使いは誰にでも現れてイエスの降誕を知らせてはいないが、幼子イエスは誰でも近づくことが出来る家畜小屋に生まれている。
神は良い者にも悪い者にも太陽を昇らせ、雨を降らしてくださる方であり、すべての人に公平に愛を示しておられる。
誰でも自由に入って行ける場所にイエスは生まれた。
しかし、そこに入って行ったのは、少数の人たちだけだった。
イエス・キリストはその生涯において、神をご自分の父と呼んでおられ、ご自分を神の子として表された。
しかし、当時のユダヤ人たちはこのイエスを認めなかった。
誕生の時もそうだった。
十字架上で死ぬ時もそうだった。
最初のクリスマスでは、羊飼いたちというごくわずかな人たち、この貧しい人たちだけが飼い葉おけに寝かされた幼な子、このイエスの誕生を喜んでいる。
最初のクリスマスも多くの人はイエスの誕生を無視していたように、今日も多くの人に、その誕生日は無視されている。
今日も、特に日本の社会では、マスメディアにもイエス・キリストのことは無視されている。
もう一度、主なる神とはどういう方なのか。
主なる神とは、羊飼いたちや飼い葉おけに寝かされた幼な子の出てくる、このようなクリスマスのストーリーの脚本を書かれた方である。
目に見えない舞台裏でその演出もされ、このシンプルなストーリーを通して多くの人に大切なメッセージを発信しておられる方である。






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