前回は、「ハマスの息子」の本の感想を書かせていただき、中東のパレスチナで生と死のはざまで生きている人たちが、如何に残虐な人間となっていくかについて、少しだけ話させていただきました。
そのパレスチナから少し離れた地中海沿岸の地域で、約2000年前、過酷な環境の中に置かれていたパウロという人が、その厳しい状況の中で人間の醜い本質に帰って行くのではなく、反対の方向、つまり神のいのちに生きることを学んでいたのです。
2コリント4:8-11
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。
途方にくれても行き詰まらない。
迫害に会っても見捨てられない。
倒されても滅びない。
いつもイエスの死をこの身に負うている。
それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。
わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。
それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。(口語訳)
わたしはこのところを自分なりに解釈しています。
どういう仕方で、わたしの内にイエスのいのちが現れるのか。
神のいのち、イエスのいのちは、わたしの肉、自分のことしか考えられない自己中心の自我が死ぬ時、つまりイエスの死をこの身に負う時に現れるのです。
言い換えれば、キリストと共に十字架に死んでいる、その自分を認める時、イエスのいのちがこの身に現れるのです。
その体験は人によって違うかもしれません。
「ハマスの息子」の著者も、行き場のない、あの厳しい環境の中で、何らかの形でこのイエスのいのちを得た人だと思います。
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