ヨハネ5章の続きです。
5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、
聖書を調べています。
その聖書は、わたしについて証ししているものです。
5:40 それなのに、あなたがたは、
いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
わたしはこの39,40節のみ言葉をいろいろなところで、
これまで何度も引用してきました。
とても大切なことが言われているからです。
ひとつは聖書についてです。
もうひとつは永遠のいのちについてです。
あなたは聖書を何年くらい読んでおられますか。
わたしはこの聖書をもう60年以上読んでいると思います。
長く読んでいる割には、まだまだです。
まだまだ次々といろいろなことを新しく教えられています。
その中でも、ある時からこのヨハネ5章39節のみ言葉に接して、
「そうなのか」と新しい発見というか、気づきがあったように思いました。
「この聖書はわたしについてあかししている」
とイエスご本人が言っておられます。
それもここで聖書というのは、
新約聖書の福音書ではなく、旧約聖書のことですね。
イエスさまは説明なしに簡潔に、ハッキリと言われるところがあります。
イエスのこの言葉を言い換えれば、
当時のユダヤ人たちは聖書を読んでいたのですが、
その読み方が問題でした。
この日本でも、今日も聖書を読んでみた人は、多いと思いますが、
聖書を倫理道徳の教えとして、
あるいは単なるキリスト教の教えとして読もうとすれば、
サッパリ分からなくなります。
ユダヤ人たちは永遠のいのちを得ようとして聖書を読んでいたのですが、
何が問題なのでしょうか。
イエスさまによれば、永遠のいのちを求めて読んではいるが、
彼らはイエス抜きに読んでいるということです。
その「いのち」はイエスのもとに来て与えられる「いのち」なのです。
では、わたしたちクリスチャンは
どういう読み方をすればよいのでしょうか。
聖書を読み、そこからイエスのもとに行く読み方をします。
そのイエスのもとに行けば「いのち」を、永遠のいのちを得られる、
とイエスご自身がハッキリと言っておられるからです。
聖書はいろいろな読み方ができますが、
わたしは聖書を学び、聖書学者のようにならなくても、
イエスのもとに行き、イエスに出会い、いのちを得る、
そういう読み方をしたいと思っています。
主イエスによれば、ここに聖書の中心テーマがあるからです。
どう思いますか。
ルカ24:27も、時間のある方は読んでみてください。





