前回に続いて、ルカ5章の話です。
よく注意してこの話を読んでみると、
大漁の奇跡の前後で、
ペテロに起こった変化は「先生」から「主よ」です。
ここには深い意味があるようです。
5:5 すると、シモンが答えた。
「先生。私たちは夜通し働きましたが、
何一つ捕れませんでした。
でも、おことばですので、
網を下ろしてみましょう。」
これは大漁の奇跡の前です。
5:8 これを見たシモン・ペテロは、
イエスの足もとにひれ伏して言った。
「主よ、私から離れてください。
私は罪深い人間ですから。」
これは大漁の奇跡の後です。
イエスのことを「先生」から「主よ」と
別の呼び方をしています。
ここでペテロは主イエスと出会っています。
その結果、自分の罪深さが見えてきたのです。
「先生」というのは、
イエスを教師と見ていたのです。
イエスの話を聞いている時、
ペテロは、イエスは素晴らしい教えをされる教師だ
と思っていました。
夜イエスを訪問したあのニコデモも、
イエスのことを
「神のもとから来られた教師」と言っています。
今日も、イエスを教師と見て、
教えを求めている人たちがいます。
しかし、イエスとの出会いが起こると、
イエスを主と告白し、
イエスに従う者となります。
聖書はこの出会いを強調しています。
イエスに出会う人は、
そこで知識以上のもの、いのちを得ます。
人を元気にするいのちです。
ヨハネ5:39,40
あなたがたは、
聖書の中に永遠のいのちがあると思って、
聖書を調べています。
その聖書は、
わたしについて証ししているものです。
それなのに、あなたがたは、
いのちを得るために
わたしのもとに来ようとはしません。(新改訳2017)
この大漁の奇跡はペテロが願い求めて、
与えられた結果ではありません。
最初からそのすべてにおいて
イエスが主導権をとっておられます。
ここでペテロは
主としてのイエスと出会ったのですが、
そこから人間をとる漁師へと
人生の使命に導かれています。
イエスの主導権を認め、
イエスを主として従う人たちを通して、
今日もイエスは神の国の働きを進めていかれます。
イエスを主として従う人たちを通して、
今日もイエスは神の国の働きを進めていかれます。






※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます