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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「神のいのちの表れ」(14)

2017年09月28日 07時52分24秒 | 「神のいのちーシリーズ」

「熱い思い」

神のいのちについて、一緒に学んでいます。
この何回かは、神のいのちを意識的に生きようとしていたパウロのことから学んでいます。
パウロはキリストにある神のいのちをどのように生きていたのでしょうか。
コリント人への第2の手紙から、いろいろと見てきましが、もっとあります。
パウロは、コリントのクリスチャンたちに対する自分のうちにある思いを単なる思いとは見ていません。
その自分の中にある思いは、実は、神がもっておられる熱い思いなのだと言っています。

2コリント11:2
あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。
なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。(新共同訳)

英語のある訳では、「熱い思い」が「ジェラシー」(しっと、ねたみ)と訳されています。
その「熱い思い」とは自分の婚約中の人が、他の男性の方へ心を向けたことからくる嫉妬心なのです。
パウロのうちにあった熱い思い、それは神がもっておられるのと同じ熱い思いでした。
実は、コリントのクリスチャンたちは婚約中であったキリストから離れて、別の福音に逸れていったのです。
「ああ、そうか。彼らは福音から逸れていったのだね。どうしようもないなー」とは、なりませんでした。
そのクリスチャンたちに対する神ご自身の熱い思い、「ジェラシー」にも似たその思いをパウロももっていたのです。
自分のうちにあるこの思いは神の思いでもある、という確信をもっていたパウロ。
聖霊は神の思いとパウロの思いを一つとされました。

いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。
それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。(1コリント2:11 口語訳)

それは、パウロがこのような厳しい状況の中で、聖霊によって神のいのちを意識していたからです。
主イエスを信じるあなたやわたしもこの同じいのちをもらっている者です。

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