ルカ15章の中で、
このいわゆる「放蕩息子とその兄」ということで、
よく知られているこの話は、
イエスのたとえ話でした。
では、お聞きしたいことがあります。
イエスはこの話を誰に向かって話したのでしょうか。
弟子たちに話したのですか。
群衆に話したのですか。
ルカ15章の初めの方を読んでみてください。
ここに「罪びとや取税人」という人たちが
出てきます。
この人たちに話したのでしょうか。
そうでもなさそうです。
ルカ15:1-3
1 さて、取税人たちや罪人たちがみな、
話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。
2 すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、
「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。
3 そこでイエスは、
彼らにこのようなたとえを話された。(新改訳2017)
ここでイエスは3つのたとえ話をされましたが、
その3番目がこの放蕩息子とその兄の話でした。
上記のみ言葉によれば、
この話をイエスがしたのは、
どうやらイエスに対して文句を言った
パリサイ人や律法学者たちに対してでした。
もちろん、そこにいた罪びとや取税人と
言われる人たちも、
この話を聞いていたと思われます。
では、この話の中に出て来る「兄息子」とは
誰のことでしょうか。
イエスの口からはそのことを言っておられません。
しかし、これを読む人たちには想像できますね。
弟息子が、罪びとや取税人に当たるとすれば、
兄の方は、文句を言っていたパリサイ人や
律法学者のことと言えます。
彼らは、神を信じていました。
当時の宗教指導者でもあったこの人たちは、
聖書の教えを忠実に守ろうとしていましたし、
人にもそのように教えていました。
神がどういう方であるかを他の人たち以上に
知っているつもりでした。
しかし、イエスが教えている父なる神が
どのような方であるかを知らなかったのです。
放蕩をして財産を使い尽くして帰って来た
弟息子に比べて、
この兄は
家にいて忠実に仕事をして働いていたのです。
誰が見ても、弟に比べて、
この兄は良く出来た人だと思われる人でした。
では、お聞きしたいことがあります。
わたしたちの住んでいる、
この日本には弟息子のタイプと兄息子のタイプの
どちらが多いと思いますか。
わたしがバイブルトークでこの質問をすると、
多くの場合、日本にはやはり兄息子のタイプが
多いという答えが返ってきます。
しかし、最近あるグループで比較的若い人が
言ったのは、
半分半分くらいではないでしょうか、
ということでした。
日本もそういう時代になって来たのか、
とわたしは思いました。
「放蕩息子の話」として有名なこの話は、
実は兄息子のような人たちに対して
語られているということを確認した時、
わたしはこの話の深い意味に
改めて気づかされました。
そしてまた、日本での宣教の視点も、この兄息子の方にもっと重点を置く必要があるのではないかと思わされています。
どう思いますか。





