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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「この人はどうなのですか」

2025年02月11日 05時30分20秒 | ヨハネ福音書より

ガリラヤ湖畔で、復活のイエスとペテロふたりだけ
の会話が続いています。
どんな話をしていたのか覚えておられますね。
そのふたりに、後からついて来た弟子がいました。
前回からの続きです。
ヨハネ21章からの話です。

21:21 ペテロはこの弟子を見て、
イエスに言った、
「主よ、この人はどうなのですか」。
 21:22 イエスは彼に言われた、
「たとい、わたしの来る時まで
彼が生き残っていることを、
わたしが望んだとしても、
あなたにはなんの係わりがあるか。
あなたは、わたしに従ってきなさい」。(口語訳)

後からふたりに着いて来ていた人とは、
多分、このヨハネ福音書を書いたヨハネ、
その人のことですね。

ふと、それに気づいたペテロが
「主よ、この人はどうなのですか」と聞いています。

「わたしを愛するか。わたしの羊を飼いなさい。」
と2度、3度、同じようなことを聞かれ、
また言われていたペテロでした。
ペテロのための今後の主のご計画について、
復活のイエスと話し合っていた時に、
「この人はどうなのですか」と、
ペテロはヨハネのことを聞いています。
どんな思いで、
ペテロはこの人のことを聞いたのでしょうか。
人のことが気になるのですね。
なぜでしょうか。

このペテロの言葉に対して、
イエスはどういう返事をされたでしょうか。
このイエスのペテロへの返事をどう思いますか。
「・・・あなたには何の関係がありますか。
あなたはわたしに従ってきなさい。」

イエスがヨハネとの関係の中で、
何かを考えておられたとしても、
それはペテロには関係ないことです。
イエスは、そのことでペテロに協力を頼んだり、
意見を求めることはしておられません。
今は、ペテロ本人と一対一で大切な話をしている
途中です。

主はあなたやわたしのために
計画を持っておられます。
しかし、それは他の人には関係のないことで、
その人たちにはまた別に、
その人たちのための神のご計画があるのです。
人のことが気になるとしても、
それはあなたには関係のないことです。

そういう風に、この話からわたしは受け取っています。

1コリント 7:17 
ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、
歩むべきである。
これが、すべての教会に対してわたしの命じるところである。(口語訳)

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「ふたりだけで」

2025年02月07日 05時30分52秒 | ヨハネ福音書より


ヨハネ21章からのお話を通して
聖霊の語りかけを聞きたいと思っています。

湖畔での朝食の後、
イエスはペテロとふたりで話をしておられます。

他の6人の弟子たちは
ふたりの話が聞こえていたのでしょうか。

ペテロとイエスだけが知っていたことが
ありましたね。
それは他の弟子たちにはまだ、
知らされていないことでした。

 さて、ここで話をしているペテロとイエスは
他の弟子たちと同じ所にいたのでしょうか。
以下の個所から想像してみてください。

ヨハネ22章20-22節
20 ペテロはふり返ると、
イエスの愛しておられた弟子がついて来るのを見た。
この弟子は、
あの夕食のときイエスの胸近くに寄りかかって、
「主よ、あなたを裏切る者は、だれなのですか」
と尋ねた人である。
21 ペテロはこの弟子を見て、
イエスに言った、
「主よ、この人はどうなのですか」。
 22 イエスは彼に言われた、
「たとい、わたしの来る時まで
彼が生き残っていることを、
わたしが望んだとしても、
あなたにはなんの係わりがあるか。
あなたは、わたしに従ってきなさい」。

おわかりですね。
ペテロが振り返ると、もうひとりの弟子が
後についてくるのが見えたのです。
ということは、どういうことでしょうか。

ということは、イエスとペテロは他の弟子たちから離れて、ふたりで歩いていたということです。
そこに、おそらくヨハネと思われる弟子が
ふたりの後について来ていたのです。

 ペテロはそれに気づきました。
イエスとペテロは他の弟子たちから離れて、
ふたりだけで歩きながら話をしていたのです。
どちらが先に歩き始めたのでしょうか。
 「ヨハネの子シモン、
この人たち以上にわたしを愛しているか」
と最初に話をはじめたのは復活のイエスの方でした。
ですから、やはり話のどこかで立ち上がって、
歩きはじめたのはイエスの方だと想像できます。

ここに他の弟子たちから離れて、
ペテロとふたりだけの話をする上で、
イエスが配慮しておられることがわかります。
他の弟子たちから、
誤解されないための配慮だったのでしょうか。
 それとも、
これはペテロ本人のためだったのでしょうか。

ところが、そのふたりだけで歩きながら話している、その後にいつの間にか着いて来た人がいたのです。
この光景が見えますか。
 ふたりだけで歩いていたと思っていたペテロには
驚きでした。
それでペテロはこの弟子を見て、
イエスに言いました。
「主よ、この人はどうなのですか」。(21節)
この時、ペテロはどんな気持ちで、
主イエスに聞いたのでしょうか。
自分とイエスと、
とても大切な話をしている途中でした。
そんな時、
他の人のことが気になるペテロがここにいます。
そんなペテロのこともイエスはわかっておられたのでしょうか。
 どう思いますか。

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「なぜ、3度も」

2025年02月04日 07時14分08秒 | ヨハネ福音書より

ヨハネ21章15節からイエスとペテロの
ふたりだけの話が続いています。
イエスは「わたしを愛しているか。」と聞かれ、
ペテロの返事の後、「わたしの羊を飼いなさい。」
と言われました。
この同じような会話が3度も続いています。

ヨハネ21:17 
イエスは三度目に言われた、
「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。
ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、
心をいためてイエスに言った、
「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。
イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。」

 なぜ、3度も繰り返し聞かれたのでしょうか。
イエスのこの意図は何だと思いますか。
この人はしっかり念を押しておかないと、
すぐ忘れるからと思われたのでしょうか。
本人のペテロ自身は、これをどう思ったでしょうか。
同じようなことを何度も聞かれると
なぜなのか、と思わなかったでしょうか。

おわかりですね。
あなたも多分、
想像しておられることがあると思います。
この話をずっと前の方から読んでいる人たちには、
わかることです。

この3度というのは、
どうやらペテロが3度イエスを知らない、
と言ったことに関係があるのではないか、
と思いませんか。
もし、そうであるとすれば、です。
このペテロがイエスを3度知らないと言った、
あの出来事を、
この時点で知っていたのは誰と誰でしょうか。
もちろん、イエスはその事件が起こる前に、
ペテロに直接言っていたことでした。

ヨハネ13:38 
イエスは答えられた、
「わたしのために命を捨てると言うのか。
よくよくあなたに言っておく。
鶏が鳴く前に、
あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。
(口語訳)

イエスは、
まだ捕らえられる前にハッキリとこの時、
3度と言っておられます。
この時は、これは過去のことではなく、
これから先に起こることを言われたのでした。

 そして、この復活のイエスは今、
ガリラヤ湖畔で、ペテロに個人的に3度
同じようなことを繰り返し聞いておられます。
その話の内容は、ペテロの過去のことではなく、
これから先のことでした。
復活のイエスは、
復活前のイエスと同じように過去のことを
言うよりも、先のことを言っておられます。
 このことに気づきますね。

ただし、イエスは過去のことを
忘れておられるのではないことを
ペテロにはわかる仕方で伝えておられるようです。
しかし、イエスの主要なテーマは
過去のことではなく、これから先のことです。

 ここで、もう一つ、
気づくことがあります。
それは、このペテロが3度イエスを知らない
と言ったあの知られたくない話については、
この時点では、ペテロ本人とイエス以外の人は、
まだ誰も知らなかったのではないか、
ということです。
なぜなら、ペテロ本人か、
イエスの口から皆の前で、
まだそんな話はしていなかった
と想像できるからです。

そうだとすると、
この湖畔で、
復活のイエスが他の弟子たちのことを無視して、
ひとりペテロにだけに個人的に向き合って、
話しておられることについてわかる気がします。

過去のことは言われず、
これから先のことばかりを話しておられる
イエスについて、どう思いますか。





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「明日から先のこと」

2025年01月31日 05時30分14秒 | ヨハネ福音書より

ヨハネ21章15節からの続きです。
ガリラヤ湖畔で朝食を共にした弟子たちでしたが、
復活のイエスはその中のひとり、
ペテロにだけ声をかけて、
ふたりで話をしておられます。

「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。

とペテロに聞いておられます。
このイエスの聞き方についてどう思いますか。
なぜ、このような聞き方をされたのでしょうか。
ここから何か思うことがありますか。

わたしはあります。
以前、ペテロが言っていた言い方に、
ここでイエスは合わせておられるようです。
復活のイエスは、
以前のペテロのことを覚えておられたのです。

マタイ26:33
するとペテロはイエスに答えて言った、
「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、
わたしは決してつまずきません」。(口語訳)

「みんなの者」とは他の弟子たちのことですね。
 ペテロは他の弟子たちと自分を比べているのです。
それで、イエスは「この人たちが愛する以上に・・・」と言われたのではないでしょうか。
復活後のイエスは、墓の中から復活された後、
以前のことをすべて忘れてしまわれた
のではないようです。

ここでイエスは、弟子たち皆に向かって
「あなたがたはわたしを愛しているか」
とは聞かれませんでした。
なぜでしょうか。
大漁の奇跡を体験したのは
ここにいる弟子たち皆でした。
イエスが用意していた朝の朝食を食べているのも、
ここにいる弟子たち皆でした。
 しかし、「わたしを愛しているか」という、

この言葉は他の弟子たちには言われず、
ペテロにだけ個人的に言っておられます。
これはご自分の気に入った人とそうでない人を
差別しておられるのでしょうか。
他の弟子たちのことは無視しておられるかのように、ペテロと一対一で向き合っておられます。
その中で、
自分との愛と信頼の関係を大切なこととして確認し、ご自分の羊のことを託しておられます。

これはわたしの想像です。
これは差別ではありません。
イエスは、ペテロが弟子たちの中でリーダーシップをもっていることを知っておられたようです。
ペテロが「わたしは漁に行く」と
ひとりで行こうとした時、
他の6人の弟子たちも「わたしたちも一緒に行こう」と言ってついてきました。
イエスはこのようなペテロと他の弟子たちの関係を
知っておられたようです。
ペテロが率先してやっていくなら、
他の弟子たちも後についてくるという、
ペテロのリーダーシップの賜物を
イエスはよく知っておられたのです。
ですから、ひとりペテロの心が動かされるなら、
他の弟子たちもペテロに影響され、
ついて行くことをイエスは
よくわかっておられたのです。

この後の時代の使徒行伝を読んでみると、
確かにペテロは大勢の弟子たちの中で
リーダーシップを発揮しているのが分かります。

ここでイエスとはどういう方だと言えますか。
ペテロや弟子たちの過去のことには触れず、
明日から先のことについて話しておられます。
わたしはその反対の傾向があります。
明日から先のことはまったく分からず、
過ぎ去ったことに心を奪われやすいわたしとは
大違いです。
あなたはどうですか。

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「この人たち以上に」

2025年01月28日 05時30分37秒 | ヨハネ福音書より
今の時代は、過ちや失敗の責任が、
場合によっては厳しく追及される時代です。
このような時代の中で、
わたしたちは人生に挫折した人たちに
どう接していけばよいのでしょうか。

主イエスの十字架を目前に、挫折し、
イエスを裏切った弟子たち。
その弟子たちに対して、
復活のイエスはどのように対応されたでしょうか。
 もう一度彼らが再出発するために、
どのように導かれていったでしょうか。

これは、人生の挫折を経験した人たちに対して、
わたしたちがどう接していけばよいか
の模範でもあります。

ヨハネ福音書21章の続きです。
夜どおしガリラヤ湖で漁をして
疲れていた弟子たちは、
イエスが用意しておられた朝食を食べました。
早朝の湖畔でのことです。
 その後、話はどうなったでしょうか。

「皆さん、お腹いっぱい食べましたか。
それでは話したいことがあります。
あなたがたはこれからもわたしの弟子としてやっていってくれますか。」
とは聞かれませんでした。

ヨハネ21章15節
21:15 彼らが食事をすませると、
イエスはシモン・ペテロに言われた、
「ヨハネの子シモンよ、
あなたはこの人たちが愛する以上に、
わたしを愛するか」。
ペテロは言った、
「主よ、そうです。
わたしがあなたを愛することは、
あなたがご存じです」。
イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」
と言われた。(口語訳)

食事の途中ではなかったのです。
食事が終わるのを待って、
イエスの口から出た最初の言葉は
弟子たち皆に対してではなく、
ひとりペテロに対して言われた言葉でした。
「ヨハネの子シモンよ」
とイエスはペテロ個人に語りかけておられます。
あたかもそばに他の弟子たちはいないかのように、
です。

イエスは皆に対して話しておられる場合があります。しかし、他の弟子たちがそばにいるのに、
個人的に誰かひとりに声をかけておられることも
少なくありません。

大勢の群衆がいて、
他の弟子たちもそばにいたのですが、
イエスはひとりの弟子、
ピリポにだけ声をかけて、
「どこからパンを買って来て、
この人たちに食べさせようか」
と聞かれましたね。

この場合も、他に6人の弟子たちがいたのですが、
その人たちには関係ないかのように、
ひとりペテロにだけ声をかけておられます。
ペテロ本人も他の人たちもいるのに、
なぜ自分ひとりに声をかけられたのだろうか、
と思ったはずです。
「あなたはこの人たちが愛する以上に、
わたしを愛するか」
 ここでイエスの聞いておられることは、
この人たち以上にと言っておられますので、
他の弟子たちのことも意識しておられたようです。
しかし、ここで、なぜ、人と比較するような、
このような言い方をされたのでしょうか。
どう思いますか。

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