詩篇30篇の後半です。
30:6 わたしは安らかな時に言った、
「わたしは決して動かされることはない」と。
30:7 主よ、あなたは恵みをもって、わたしをゆるがない山のように
堅くされました。
あなたがみ顔をかくされたので、わたしはおじ惑いました。
主が御顔を隠されたと言っていますので、
主なる神などおられないのではないかという思いになったのですね。
新共同訳では、「御顔を隠されると、わたしはたちまち恐怖に陥りました」
となっています。
そのような中で、ダビデがどういう祈りをしたのかが8節以下です。
30:8 主よ、わたしはあなたに呼ばわりました。ひたすら主に請い願いました、
30:9 「わたしが墓に下るならば、わたしの死になんの益があるでしょうか。
ちりはあなたをほめたたえるでしょうか。
あなたのまことをのべ伝えるでしょうか。
30:10 主よ、聞いてください、わたしをあわれんでください。
主よ、わたしの助けとなってください」と。
多分、これは一晩だけの祈りではなかったと思います。
このような祈りが何日続いたのかは分かりません。
何の反応もなく、感じることもない神に祈り続けることは
簡単ではありません。
しかし、お金があっても無くても、頭が良くても悪くても、
そういうことに関係なく誰にでもできることです。
ダビデはただ癒されて、元気になることだけを祈っていません。
癒されて、主をほめたたえる者となり、主のまことを宣べ伝えるためだ
と言っています。
何のために癒されるのか、普通の生活に戻るのは何のためなのかを
ハッキリさせて祈っています。
その後、喜びと解放の朝が来ました。
30:11 あなたはわたしのために、嘆きを踊りにかえ、荒布を解き、
喜びをわたしの帯とされました。
30:12 これはわたしの魂があなたをほめたたえて、
口をつぐむことのないためです。
わが神、主よ、わたしはとこしえにあなたに感謝します。
「あなたをほめたたえて、口をつぐむことのないためです」とあります。
ここから賛美について教えられます。
あなたは賛美がお好きですか。
わたしは歌が上手い、声がよいとは言えませんが、賛美が好きです。
ひとりでいる時にも歌います。
耳の良い家内に、少し音程が狂っているのでは・・・と
言われることもあります。
ひとりで歌っている時は、そんなことはまったく気になりません。
賛美は自分が恵まれるための讃美ではありません。
もちろん、人に聞かせるための讃美でもありません。
賛美は主がして下さったことに対する感謝のための讃美です。
主がどういう方であるかを告白する賛美です。





