goo blog サービス終了のお知らせ 

浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「時間を贖う」

2024年01月05日 05時30分29秒 | その他

 

「今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。」(エペソ5:16口語訳)

「機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。」(エペソ5:16新改訳2017)

redeeming the time, because the days are evil. (Eph 5:16NKJV)

 

あなたもお元気に新しい年を迎えられたでしょうか。

「良いお年をお迎えください」という、わたしたち日本人の年末の挨拶は、

あなたやわたしの、この一年が良い年になるようにという祈りのようです。

 

この年の初めに一緒に黙想したいみ言葉があります。

上記のみ言葉です。

「今の時を生かして用いなさい」という聖書のこのみ言葉は

何を語っているのでしょうか。

今の時を、どのように過ごすのかを、自分でよく考えなさい、

という勧めなのでしょうか。

 

「今は悪い時代なのである」というのは、どういうことでしょうか。

確かに世界情勢を見ても戦争が続いており、

また、日本の政治や経済などを見ていると、

今は良い時代というよりも悪い時代とも言えます。

 

わたしはこのみ言葉の箇所から、教えられることがあります。

「今は悪い時代だからです」というのは、

わたしたちたちのこの2度と帰ってこない人生、

そして、それだけに貴重な日々と言えますが、

この時間を浪費させようとする悪い時代にわたしたちは生きています。

 

英語訳では「今の時を贖いなさい」という言葉が使われています。

(コロサイ4:5も参照)

贖うとはどういうことでしょうか。

それは何々から贖うこと、何々から買い戻すことです。

ほっておけば、時代の流れに流されていきます。

そして、多くの時間を浪費してしまいます。

そこから時間を贖い、買い戻す必要があります。

機会を十分に生かす、とか、「時間をかせぐ」(ダニエル2:8)

という言い方もあります。

 

新しい年、み言葉に励まされ、また主にあって共に励まし合い、

この年を良い年にしていきましょう。

 

「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、

『きょう』といううちに、日々、互に励まし合いなさい」。(ヘブル 3:13口語訳)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「互いに励まし合う仲間」

2024年01月02日 05時30分51秒 | その他

 

詩篇33:10,11

主はもろもろの国のはかりごとをむなしくし、

もろもろの民の企てをくじかれる。

主のはかりごとはとこしえに立ち、

そのみこころの思いは世々に立つ。(口語訳)

 

新しい年が始まりました。

2023年もあっという間に過ぎ去ったような感じです。

何かいろいろなことをしているうちにです。

時の流れは、待ったなしですね。

 

今年はどういう年になるのか。誰もがそういう思いをもつ、この新年を迎えました。

今年の景気の予測とか、今年の世界情勢はどうなるのか、その展望とか、

そういうことが話題となる新年でもあります。

 

では、わたしたち主イエスを信じる者としては今年、

どういうことを予測できるのでしょうか。

今、現在のイスラエルとハマスの戦争を通して、

世の終わりが近いというようにも言われています。

そうかもしれませんね。

 

パウロはⅠテサロニケ3章13節で、主の再臨のことについて触れています。

しかし、すぐその後の4章では、

「あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、

現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください。」と言っています。

つまり、日々の日常生活のことについて、どういう生き方をするのかについて、

その後ずっと詳しく語っています。

 

もちろん、わたしたちは毎日のテレビのニュースなどを見て、早く戦争が終わり、

平和の時代が来てほしいと願います。

その願いがあったとしても、聖書の預言によれば、

時代は終末に向かって進んでいることを知らされます。

 

更に続いて、Ⅰテサロニケ4章11節には、

「私たちが命じたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、

自分の手で働くことを名誉としなさい」とあります。

その後、再び14節から17節には世の終わりについて、

再臨と携挙のことが語られています。

そして、18節には、

「ですから、これらの言葉をもって互いに励まし合いなさい」とあり、

更に、5章11節でも「ですから、あなたがたは、現に行っているとおり、

互いに励まし合い、お互いを高め合いなさい」とあります。

 

このような時代であるだけに、私たちクリスチャンは、批判したり、

裁いたりするのではなく、互いに励まし合う信仰の仲間を必要としています。

あなたにもそのような信仰の仲間がおられると思います。

 

わたしは今、この10年以上、数多くの小グループによる「バイブルトーク」を

通して、ほとんどオンラインですが、そのような信仰の仲間と毎月、

何年もみ言葉を中心とした素晴らしい交わりをもたせていただいています。

それがわたしにとっては、互いに励まし合う信仰の仲間たちです。

後期高齢者のこの年になっても、主がこのような仲間を与えてくださり、

本当に感謝しています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夕となり、朝となった」

2023年11月03日 05時30分49秒 | その他

 

長く続いているヨハネ福音書から少しだけ外れます。

 

わたしの住んでいるケアハウスの5階の窓から遠くの山と

夕焼けの空がとてもきれいに見えるので、朝夕、窓からの景色を

とても感謝しています。

その夕焼け空がだんだんと暗くなり、やがて真っ暗になり、

一日が終わります。

 

その夕焼け空を毎日のように見ながら思ったことがあります。

旧約聖書の創世記第1章には天地創造のことが記されていますが、

その中で、第1日目から第6日目までに共通した言葉が、

なんと6回も繰り返されています。

覚えておられますか。

そうです。

「夕となり、また朝となった」という言葉です。

これはなぜ、夕が先なのでしょうか。

「朝となり、また夕となった」ではないのですか。

 

以前から、ここを読んで、いつもなぜ夕が先なのかと

思っていました。

それで、わたしなりに気づかされたことがあります。

 

わたしたちの普通の感覚では、朝となり、夕となるのが普通です。

そして、一日が終わるのです。

しかし、神さまの感覚では、そうではなく、

夕が先でその後に朝が来るわけです。

 

わたしは、天地万物、被造物を通して、

神はご自身を啓示しておられ、ご自身の思いやご性格を

見せておられると信じています。

 

ローマ1:20

神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、

天地創造このかた、被造物において知られていて、

明らかに認められるからである。

したがって、彼らには弁解の余地がない。(口語訳)

 

とすれば、この「夕となり、また朝となった」というのも、

何かが示されているわけです。

人の目に終わりと思えることが、神の目には

その終わりから新しいことが始まるのです。

 

わたしはもうすぐ85歳の誕生日を迎えます。

人生の終わりが近くなってきたことを感じさせられる年齢です。

この年齢で亡くなった人がいても、

それほど驚く人はあまりいないと思います。

人生の夕暮れが近づき、やがて真っ暗な夜を迎えます。

それでわたしの人生は終わりとなります。

しかし、その終わりは終わりではないのです。

夕となり、朝となるのです。

そうなのか。

神さまはそのことを教えるために毎日、毎日、日が沈み、

真っ暗な夜が来ることを見せておられるのか。

と、ふと思わされて、また夕焼けの空と夕暮れを見る、

その見方が変わってきました。

人の労苦はすべて夜で終わります。

しかし、神のみわざはその後に始まります。

 

そのように思うと、夕焼け空の、大空を紅く染めている

その赤色は十字架の血潮ではないか、そして、

あの時も昼の12時から3時まで全地は真っ暗になった。

わたしの悔いの多い人生もあの圧倒的な赤色で覆いつくされ、

赦された者として終わっていくのだ、と。

 

そして、朝が来ました。主イエスの復活は朝でした。

やはり、「夕となり、朝となった」です。

これは聖書学者から見ると、正しい聖書解釈ではない

かもしれませんが、わたしにとってはとても感動的な

み言葉でした。

「あたーらしい朝がきた。きぼーの朝だ。

よろこーびにむねをひらき、おおぞらあおげ・・・」

どこかで聞いた歌ですね。

わたしはほぼ毎朝6時30分、この歌を聞いて、また歌って、

公園で近所の人と一緒にラジオ体操をしています。

 

お知らせ・・・

このブログに書かれている同じ内容の記事をスマホやパソコンの

メールにも「聖書のみ言葉の黙想」という題で配信しています。

メールで宛先にreg-mikotoba@-obc.jp と記入して、

空メールを送れば、登録されて、大津バプテスト教会の名前で、

毎週火曜日、金曜日の午前7時に自動的に入ってきます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「再度の引っ越し」

2023年05月30日 05時30分16秒 | その他

 

このブログをお読みいただいている皆さんですから、

わたしの個人的な近況をお知らせしておいた方がよいかと

思いますので、少し聖書からそれますが、お聞きください。

去る5月10日に私と家内はまた引っ越しをしました。

 

何と私たちは退職後、長年住み慣れた教会敷地内の牧師館を出て、

これで5回目の引っ越しとなりました。

そして、これが恐らく最後となります。

 

家内のからだの状態があまりよくなく、歩行も難しく、

台所での動きにも困難が生じてきたことが直接の理由です。

 

インターネットで調べ、半年くらい前に申し込んだのですが、

ここは夫婦で住める部屋はなく、すべて個室となっていますので、

別々に部屋が空くと、ひとりだけが先に入り、もうひとりは後に

残ることになります。

そのことで心配していたのですが、結果としては同じ5階の部屋の

別々のところが2つ空いたということを聞きました。

主の導きだと思ってすぐに決断した次第でした。

 

わたしの部屋の5階からベランダ越しに見渡す景色が最高です。

(と、初めて見た時、わたしは思いました。)

遠くの山々、近くの森、その間に新しそうに見える家々が見えます。

大空が大きく広がっており、空気もきれいなところです。

朝6時、玄関のかぎが開くのを待って、散歩に出かけています。

自然の素晴らしいところです。

 

このケアハウスでは、ある教会によって毎週礼拝が持たれています。

わたしはこんな礼拝がなされているケアハウスがあることで感動を

覚えました。

入居者は50名ほどですが、どなたがクリスチャンで、

そうでないのか分かりません。

日曜日の礼拝に出てみて、初めて入居者の中の数人のクリスチャン

の方々に出会いました。

 

この場所での生活は、わたしにとっての初めての経験ですが、

主が送ってくださったところと信じて、主の先立ちを信じて、

主が何をなそうとしておられるのかを知ることを優先し、

その主に従って行くことを心がけていきたいと思っています。

 

「主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、

あなたを見放さず、

見捨てられないであろう。

恐れてはならない、おののいてはならない」。(申命記31:8口語訳)

 

どうぞ、お祈りに覚えてくだされば幸いです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする