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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「カテゴリーにまとめを」

2022年08月29日 17時52分57秒 | 資料紹介

資料紹介

 

いつも、このブログに目を通してくださり、感謝です。

以前投稿しているものについて、少し整理しましたので、

関心のある方は、テーマごとにまとめていますので、探してみてください。

右下の欄の「カテゴリー」というところです。

なお、記事の日づけで検索ができるようになっています。

それはその上の方にある「カレンダー」からです。



わたしとしては、

「神のいのちシリーズ」

「神の国とは」などのシリーズに、

特に目を通していただきたいと思っています。

 

共に御国のために

 

 

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「老後の楽しみ」

2022年06月10日 05時30分28秒 | 資料紹介

 

残された人生の日々はわずかと言えるわたしの年齢です。

しかし、感謝なことに、本当に感謝なことですが、

わたしには「老後の楽しみ」というものが与えられています。

それによって元気をもらっています。

 

趣味とか何かを新しく始めるとか、そういうものは何もありません。

しかし、若い時からずっと興味をもってきたことの延長線にあるものです。

そうです。

もったいぶった言い方をしていますが、聖書です。

カッコいいですね。こんなことが言えるのは…。

そんなことはない?

 

ただし、それはひとりで聖書を読むということではありません。

信仰の仲間と一緒に聖書に向き合う時をもつことです。

「そういう集まりに出かけて行くのですか」

いいえ、そうではなく、自宅にいて、オンラインでのバイブルトークの

グループです。

 

わたしたちはコロナの問題が起こる前から、このやり方をしていましたので、

10年以上続いているグループもあります。

今現在、数えてみると、18くらいのグループ(うち7つは牧師のグループ)

に関係しています。

ひとつは今後も毎週続けていく予定の枚方家の教会のライン礼拝です。

その他は、地域、場所も日本中あちこちの人たちで、

教団教派もいろいろです。

これはわたしが意図的にやり始めたというよりも、

不思議な主の導きとしか言えません。

 

教会の牧師退職後、何をするのかはっきりしていなかったわたしでしたが、

主はこのような道を開いてくださいました。

このバイブルトークという名称で何をしようとしているか、

それをひと言で言いますと、

共に聖書に向き合い、主イエスに出会うこと、

また主からの語りかけを聞くことを目指しています。

ですから、わたしたちはこれを単なる聖書研究、聖書学びの時だと

思っていません。

 

このグループで、絶えず心に留めようとしているのは、次のみ言葉です。

「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、

この聖書は、わたしについてあかしをするものである。

しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。」

(ヨハネ5:39,40口語訳)

 

からだの衰えと弱さを感じる日々ですが、こんな老後の楽しみを、

いのちを、心の元気を得る機会を与えられて、本当に主に感謝です。

 

 

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「旅の家」

2022年06月07日 05時30分35秒 | 資料紹介

 

自分探しの旅。

神とはどういう方か。

これらのことを、ローマ人への手紙から探し求めてきました。

まだ、その途中ですが、少し話題を変えて、横道にそれます。

 

つい最近、わたしたち夫婦は80歳を超えて、引っ越しをしました。

「どこかの施設に入られたのですか。」

そういうことも考えなかったわけではありませんが、そうではありません。

今まで、40年余り住んでいた大津から大阪の枚方へ引っ越して

10年余りになりました。

その枚方から滋賀の草津に引っ越しました。

2階建ての一軒家に住んでいた枚方でのこの間、

「枚方家の教会」という名称で、我が家で礼拝の時をもってきましたが、

それもコロナの関係でライン礼拝に変わりました。

 

また、この間、いくつかの大阪の牧師会で、いくつかの教会の研修会で、

またある家庭で、またサイゼリアというファミレスで、

そしてまた、関西聖書学院での授業の奉仕で、

すべて同じバイブルトークの話と実践をさせていただきました。

この枚方の地で、主はわたしたちが予定をしていなかったところへと

導いてくださいました。

これらの働きは一段落したように思えましたので、

今回、主の導きと信じて、引っ越しとなりました。

 

「測りなわはわたしのために好ましい所に落ちた。」(詩篇16:6)

というみ言葉が、与えられたのは、わたしたちがインターネットで家探しの

物件をいろいろ調べている時でした。

一度、決まったところもあり、お金も払ったのですが、

後になって不動産屋さんからキャンセルの通知があったこともありました。

しかし、最終的に不思議な方法で今のこの集合住宅の一室が与えられました。

 

「主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、

あなたを見放さず、見捨てられないであろう。

恐れてはならない、おののいてはならない」。(申命記 31:8)

のみ言葉も与えられ、励まされました。

とても親切で、よくやってくれた最後に出会った不動産屋さん、

引っ越し業者、エアコン工事の業者、光回線の設定などなどにおいて、

主が先に立ってくださっていることが分かり、感謝でした。

 

そしてです。

引っ越し先での、わたしの毎朝のウォーキングコースのことです。

枚方では山田池公園という素晴らしいところがありましたが、

それに優るとも劣らないところがあったのです。

下の道を歩いているとまったく見えないのですが、

階段を上って堤防に出ると、そこがウォーキングコースとなっていた

だけではありません。

何と、その川底が素晴らしい公園となっていたのです。

草津川跡地公園というところです。

 

地元の方々はよく知っておられると思いますが、

昔これは天井川と言われていたところで、今は水もなくなり、

まったく新しく生まれ変わっていました。

ウォーキングをしているその下を通り抜けていくJRの電車が見えます。

何と、その場所まで新しい我が家から10分余りで行けるのです。

そうなんです。

測りなわはわたしにとって好ましい地に落ちたのです。

 

また、そのマンションのオーナーの方もとても良い方で、

満開のしだれ桜の下でお茶をごちそうしてくださり、

わたしたちを温かく歓迎してくださいました。

 

「あなたの定めはわが旅の家で、わたしの歌となりました。」

(詩篇 119:54口語訳)

 

近くにいる子どもたちも時間の許す範囲で、よく助けてくれました。

ただ、この引っ越しのために、とても頑張ってくれた妻の疲れと

からだの状態がやや心配です。これも付け加えておきます。

 

さて、これから引っ越した先でわたしは何をするのでしょうか。

後半は、老後の楽しみについてです。

 

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「事業存続による高まる危機感」

2022年01月15日 14時15分28秒 | 資料紹介

コロナ感染の拡大の中、事業存続による高まる危機感がニュースと

なっています。

わたしたちの教会のあり方も問われている時です。


「グループ バイブルトーク支援」というフェイスブック・ページを

立ち上げました。

これからはじめようとしておられる方、

既にやっておられる方

のために、お役に立てればと思って記事を投稿しています。

お読みいただき、「コメント」や「いいね」を頂ければ、感謝です。

よろしくお願いします。

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「違ってきた」

2021年11月16日 05時30分55秒 | 資料紹介

 

つい先日、83回目の誕生日を通過しました。

健康のことでは、足が痛い、腰が痛いなどはありませんが、

しかし気がかりなところはあります。

信仰のこと、老後の更にその先のこと、家族のことなどなど

いろいろ思うこともあります。

信仰とは、年数を重ねるほどに成長し、強くなっていくのだ

と思っている人もいます。

しかし、わたしはそうは思いません。

わたしの場合、若い頃に、大胆に信仰に生きていた(自分なりにです

が)時もあります。

 

また、年を取って信仰が円熟したのではないですか、

と言われると、やはり、そう簡単には「そうです」と

答えられません。

これはわたしの場合の話ですよ。

他の80代の方は別のことを言われるかもしれません。

 

じゃあ、わたしの場合(敢えてこの言葉を入れます)、

年を取るのと、信仰はあまり関係ないのでしょうか。

言えることがあります。

わたしの場合、信仰の面で違ってきたことがあります。

どう違ってきたのか、聞きたいですか。

(時々、わたしがこういう言い方をするので、わたしの近くにいる人、主から与えられた賜物、賢い妻は、「聞きたくありません」と答えます。)

それは聖書の読み方、とらえ方が違ってきたということです。

自慢しているのではありませんよ。

主のあわれみによるものだと思いますので、そのことをわたしなりに、

とても感謝しています。

このブログを長く読んでくださっている方々の中には、

そのことに気づいておられる方もおられるかもしれません。

詩篇の、この個所は何年も前にも取り上げているところだ

と分かっている人は、前のところと比べると、言っていることが

だいぶ違うなーと思われるかもしれません。

わたし自身そう思っています。

その以前の自分と今の自分を比べると、

あの時はそういうとり方をしていたのだ、しかし、

今は違うことが分かります。

「違ってきた」と言うのは、ひとつはそういうことです。

正直に言えば、わたしは以前の自分の書いたものを読み返すことは

あまりしたくないので、ほとんどしません。

今、何の話をしているのでしょうか。

このブログに長い間、お付き合いくださり、

年寄りの話に耳を傾けてくださり、本当に感謝しています。

次回は詩篇28篇に入ります。

 

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