「また心にもないことを言って・・・」
と家内に言われたことがある。
どういう意味か。
心では、本当はそう思っていないことを口で言っていると思われた場合だ。
見事に見破られたというわけ。
そんな時、
「いやいや、本当にそう思っているよ」
とまた、言わなくてはいけない。
詩篇19:14
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、
心の思いがあなたの前に喜ばれますように。」
口の言葉と心の思い、これが一致しているかいないか。
それが問題だ。
人から信頼されなくなるのはどういう場合だろか。
口で言うその言葉と日々の現実の行動が、つまり言行が不一致である場合だ。
だがしかし、ここでは自分の口の言葉と心の思いが一致しているか。
そのことが問題とされている。
幸いなことに周りにいる人で、そんなことに気づく人はあまりいない。
だから大事なことではあっても、自分もそれをいい加減にしてしまう。
では、見えない自分の心が見えている方がいるとすればどうか。
家内のことではない。
聖書の神を信じるとはどういうことか。
その方の前で自分の口の言葉と心の思いが
喜ばれるものになるようにと心がけて生きる人。
今の時代には合わないかれしれない。
だが、3000年前にそんな人がいたのである。
今日、そんな人になることは可能なのか。それにどんなメリットがあるのか。
「主よ、わたしをためし試み、心と思いとを練りきよめてください」詩篇26:2
「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、
わがもろもろの思いを知ってください。」詩篇139:23